2020/12/24

オートバイ通勤を志したけれど記憶が戻って挫折する

浦安から都内への電車通勤では、車内の混雑も酷いものだが、駅構内での乗り換えの方が疲れる。しかし、その日の朝の乗り換えの通路で痛々しい光景を目撃して疲れが吹き飛び、腹の中が持ち上がるような苦しさがやってきた。


その前に、一言だけ言いたいことがある。

この仕事、忙しすぎだろ。

ブログも書けない状態になれば、色々な意味で大変なことになっていると考えて差し支えない。

現時点でも大変なことになっているが、まだ扉が開いたというレベルの話なのだろう。

もとい、駅のホームから別の路線のホームを繋ぐ通路には、多数の人々が往来を急ぎ、その群衆の姿はひとつの黒い生き物のように感じる。

その群れの中に私も含まれている。この状態が異様だと感じないのか?

まあいい。電車が大嫌いで行ける限りどこまでもマイカーを運転して自走で出張に出かける賢人のことを思い出し、電車通勤という地獄を回避するための策を思い付いた。

原付で浦安から都心を通過することは厳しい。

高速バスでの通勤では職場に到着するために再び電車に乗ることになる。

ロードバイク通勤は時間がかかり、2年間続けた後で交通事故に遭って中止した。

マイカー通勤は渋滞が厳しい上に人身事故を起こせば職業人生と子供たちの人生が詰む。

JR京葉線が嫌いなら、東京メトロ東西線で通えばいいじゃないと妻は言う。マリー・アントワネットがよく似たことを言ったと伝承されていたな。日本有数の混雑率の東西線に耐えることができれば苦労はない。

そこで思い付いたのは、小型自動二輪のオートマ限定の免許を取得し、スクーターもしくはカブで通勤するスタイルだ。

最近、小型自動二輪のAT限定は道路交通法の改正で取得が楽になった。

普通自動車免許を有している場合には学科試験が免除され、技能講習は2日で終了するらしい。

その後に教習所で卒検をパスすれば、あとは免許センターで免許の書き換えだけだ。

オッサンなので一本橋で落ちて卒検を何度か受験するかもしれないが、何とかなるだろう。

125ccのバイクのカタログを眺めていたら、スーパーカブの後継でハンターカブというモデルが新発売されたことを知った。

このフォルムは大好物だ。とても美しい。しかもオートマ免許で運転することができるらしい。

浦安市内にホンダのオートバイを取り扱う店があることも知った。

小型自動二輪の免許を取得して、ハンターカブを買い、これを愛車にして浦安から都内に通勤しよう。

現金一括払いで代金を支払えば少しはディスカウントされるはずだ。ヘルメットと小物、保険も加えて50万円くらいだな。

近場の教習所を探してみると、隣街の市川市に教習所があり、浦安にも送迎バスが出ている。江戸川沿いの近場なのでミニベロで休日に出かけて教習所に通うこともできる。

そして、自動二輪の免許を取れば、この電車通勤の地獄から解放される。

しかし、何かがおかしい。

思考がサクサクと進みすぎている。まるで過去に同じことを考えていたかのようだ。

バーンアウトの際に感情とともに記憶の一部が消し飛んでいることがある。

妙な違和感を覚えながら駅の構内で乗り換えのための長い通路を歩いていたら、前方を進む人たちの中で頭や上半身の動きが違う人を見かけた。

30代後半くらいのサラリーマン風の男性が、右腕で松葉杖をつかみ、側方に向けて真っ直ぐに伸ばした左足を引きずりながら懸命に歩いていた。

これは痛い状況だ。

経験が長いサイクリストであれば、その姿を見てどこを怪我したのかが分かる。

足首や膝を骨折した場合には、両腕に松葉杖をもって進むはずだ。足を横方向に伸ばして引きずることも少ない。

彼は腰から落車して大腿骨の付け根を骨折し、ボルトとプレートが股の外側に埋め込まれているはずだ。

手術後に退院して、ようやく職場に通うことができるようになった時期なのだろう。

外回りが多い営業職ならばさらに悲惨だな。

しかし、大腿骨の付け根を骨折することはロードバイク乗りには珍しくない。

ダウンヒルでリアタイヤがスリップしたり、ライドやレースでフロントホイールが何かにぶつかって落車すると、身体が真横に倒れて肩や腰が路面に叩きつけられる。

浦安市内でも何人ものロードバイク乗りが大腿骨を骨折して、チタンプレートを埋め込む手術を受けている。

そもそも、肩や腰、背中に付けるロードバイク用のプロテクターが市販されておらず、ヘルメットと布一枚で疾走するということ自体がおかしなことだ。サイクル業界の知性を疑う。

落車による骨折は確率論だと宣う人もいるが、歴史ではなく経験から学ぶ愚者に他ならないし、議論するだけの価値もない。

そのような人たちは他者について批判することが得意だが、自分が批判されることを極端に嫌う。身辺調査や長文の連射砲にロックオンされないように気をつけることだ。

彼の姿を見るだけで痛い気持ちになる。頭から突っ込んで脊髄を損傷しなかっただけでも不幸中の幸いだが。

こうやって職場に通い、リハビリが済んだら再び手術で皮や肉を切り開いてボルトやプレートを取り除くわけだ。

その時、何かを思い出した。

私は過去に小型自動二輪での通勤を実際に考えたことがあったんだ。

バーンアウトで感情が枯渇し、それでも生きなければとロードバイク通勤による荒療治をすることにした。

とにかく大好きな自転車に乗って運動しまくれば、心の疲れも減るだろうと。

しかし、道路が混んでいると浦安から都内の職場まで片道2時間くらいかかった。

それでも、もはや電車に乗り続けることができなくなっていたし、家庭で妻が怒って暴れるので帰宅恐怖症のようになっていた。

帰宅する時間が近づくとに動悸や目眩が激しくなった。そこに趣味のロードバイクによる通勤を挟んだわけだ。

バーンアウトが急激に治癒することはなかったが、有酸素運動と自分自身と向き合う時間を用意したことは意味があった。

動くことができなくなるまでバーンアウトが進行することはなく、少しずつ快方に向かっている気がした。

しかし、2018年のことだったと思う。週末に妻が激昂して、とうとう私に対して直接的な暴力を加えた。

現在では落ち着いて笑みも増えた妻と同一人物とは思えないくらいの姿だった。

一言で表現すれば悪霊に取り憑かれたかのような状態で、怒鳴ったり物を投げつけることがよくあった。

だが、妻がフラストレーションを溜めて大爆発した理由も分った。

ロードバイク通勤のために時間がかかり、子育てや家事における私の担当が減っていた。

しかし、通勤して働かないと妻の稼ぎだけでは家計がもたない。新町に住むことさえできなくなる。

かといって家庭の負荷を増やすと、バーンアウトしている私は間違いなく潰れる。

状況としては詰みだ。下の子供が泣き叫びながら夫婦喧嘩を止めに入らなかったら、離婚していたと思う。

子供が幼児の頃に離婚する夫婦が珍しくないご時世だが、メディアで紹介されるのは夫が至らずに妻が実家に帰ったというケースが多い。

悪いのは夫で、不倫したとかDVで妻に危害を加えたとか。本当にそのようなケースばかりなのだろうか。

どうして育児に入ったばかりの夫婦が離婚するのか。

育児に入って妻が暴れ、夫の精神が崩壊して離婚に至るケースが少なからずあるはずなんだ。

そこから夫婦のコミュニケーションが取れなくなれば性格の不一致、夫が暴力を振るってしまうと全体としては夫が悪いという形になり、いずれにせよ離婚専門の弁護士が出てくるのだろう。

育児に入った妻が実家に依存し、夫を見下したりストレスの捌け口として攻撃し、こんなに使えないのであれば離婚して養育費だけを夫に払わせた方が楽だと考えるケースが少なくないのではないか。

だから離婚専門の弁護士たちは、夫をターゲットにするのだろう。金を持っている側を訴える場合の方が弁護士の報酬が多いはずだ。

勘違いしている人が多いかもしれないが、弁護士は正義の味方ではなく、クライアントの味方だと思う。法というものを用いて商売をやっているわけだから、儲かる仕事を選ぶことだろう。

そして、離婚した後で養育費を払わない元夫によって、元妻が経済的に困窮するというケースが問題になっている。

子供を連れて実家に戻り、元夫からの金の支払いがあれば何とかなるだろうというスキームが崩れ去る。

うちの妻は女尊男卑の思想があって、養育費の支払いが滞るのは男が全て悪いと主張して譲らない。

確かに法で定められているのだから、多くのケースでは男の責任であることは間違いない。

だが、妻からの暴力で精神が崩壊した夫が離婚後に同じペースで働くことができる保証なんて、どこにもないんだ。

職場で働けなくなったら、養育費を払い続けることは難しくなる。

資産の半分は元妻に渡し、収入による養育費の減額があったとしても、貯金を潰しながら養育費を払い続けるわけだ。

そのような状態になった時、自分を追い込んだ元妻への怒りは高まり、送金することさえ止めてしまうのではないか。

もちろんだが、それによって自分の子供が精神的にも経済的にも苦しむ。父親の責任を放棄する行為だ。

けれど、精神が疲れると深井戸に落ちたかのように自分ひとりの思考になる。子供を連れて出たのなら、自分で何とかせよという利己的な考えになるのだろうか。

離婚する経緯に至った理由が妻からの言葉や身体の暴力であったなら、それまでに受けた苦痛の仕返しを考えることさえあるかもしれない。

そして、子供たちが苦しむ。なんてことだ。

昔の日本では、女性が結婚すると実家と距離を置き、自分の家庭を守るというコンセンサスがあった。

ここで問題だったのは、夫の実家との距離はそのままで、女性が男性の一族に嫁ぐというシステムだった。

それによって女性が精神的に追い込まれ、逃げ場がなくなり、我慢し続けることが多かったはずだ。

他方、現在の日本では、女性が実家との距離を保ったまま結婚し、実家と自分の家庭との境界がなくなっていることが珍しくない。

自分の家庭のことに妻の実家が干渉してくると、夫としては不快になる。

妻としては夫よりも実家のほうが頼りになると考え、夫を攻撃するようになる。

男性目線で恐縮だが、夫という存在が自分の家庭を守る上で唯一無二の存在だと考えていれば、夫婦喧嘩があったとしても、精神が追い詰まるまで夫を攻撃するはずがない。

夫は実家に相談することもできず、妻と義実家は結託して夫に一族のやり方を押し付ける。

夫婦共働きが普通なのだから、夫は仕事と家庭を両立すべきだ。しかし、夫としてきちんと稼げと。

話は単純なんだ。昔の日本で問題になっていたシステムが反転し、今度は夫が苦しむ時代になったということか。しかも、民法がその変化に合せて形を変えているはずもない。

メディアがそれをどうして報じないのか。報じることのメリットよりも、批判されるデメリットの方が大きいからだ。

社会を変えたい人たちにとっては、一歩間違えると男尊女卑の社会に戻りかねない思想は歓迎しないだろうし、たとえ現時点で過度な揺り戻しが生じていると説明したところで納得しないことだろう。

子育てに入った妻が実家に依存するのはよくあることだ。しかし、夫を見下したり攻撃することは正しくない。

男尊女卑の社会への反省から、女性の立場を尊重しようという考えは私も賛同するが、現実は往々にしてバランスが逆になり、男性が擦り切れる世の中になってはいないか。

もとい、妻が激怒すると私の意見は全否定になる。子供たちが自立するまで連れ添うという結論だけを提示し、私は議論を打ち切った。

元々の思考や感性が合わない二人のギャップが育児に入って露呈しただけの話だ。そのギャップを埋めるのは互いの理解や気遣い、そして諦めなのだろう。

それらが生じてからのステージが、恋愛や生殖の対象という範囲を乗り越えた本当の夫婦の姿だと思った。

それらが生じなければ離婚することもありうる。社会から子供が減るはずだな。ここまで大変なのだから。

そして、精神的なダメージが残ったまま平日が始まり、仕方がないとロードバイクに乗って出勤した。

その途中で、私は交通事故に遭った。

真横から飛び出して来たのだから避けようがない。朝の通勤時間帯には我欲を追求する猛者がさらに増える。そのひとりによって私は不利益を被った。

まさに泣きっ面に蜂だな。だから浦安なんて街に住みたくなかったんだ。打ち所が悪ければ死んでいた。

その当時は離婚するかどうかの瀬戸際にも関わらず、自らの感情は枯渇して悪夢のようだった。

路面に転がり、見上げた空は青かった。

重度の怪我はなかったが、自分は何をやっているんだろうかと虚しくなった。

その余裕も、事故で大きな傷がなかったという幸運によるものだ。間に合わせの流用品だが、鎖骨や大腿骨を保護するためのプロテクターを付けていたので助かった。

事故に遭った日の朝、私は明らかに集中力がなくなっていて、余計なことを考えていた。

その時に考えていたことが、オートバイでの通勤だったんだ。

オートバイで通勤する場合にはどのような手順で免許を取り、何が必要になるかとか。

妻が家庭で大暴れし、義実家に対して計り知れない嫌悪が生じ、子供が独立するまでの夫婦関係だと割り切っても、自分は何とかして家庭を維持することができないかと思案していたわけだ。

時速30kmにも至っていないロードバイクで落車しただけでも、硬いアスファルトの路面への衝撃は凄まじかった。

鈍い衝撃というよりも、もっと鋭く冷たい衝撃だった。

125ccのオートバイは自動車の流れに乗って走行することができる。時速50kmという速さは自動車であれば普通か遅いくらいだろうけれど、ロードバイクであれば限界に近いフルスピードに相当する。

生身の状態で転倒すれば、どれだけのダメージが生じるのかについては想像に難くない。

ロードバイクでの落車による骨折では骨が外に飛び出ることは希だと思う。

しかし、オートバイクでの転倒による骨折では、足が直角に折れ曲がって骨が飛び出たり、肘から下が肉と皮でぶら下がっている状態になることもあるそうだ。

さらに、ロードバイクで交通事故にあった時、私は経験が10年以上あってロードバイクも自分の体に合っていた。

咄嗟の事態でもバイクコントロールができて、できるだけ安全な場所に飛び込んでいく余裕があった。

初心者が同じ状況になったら、前輪をロックさせて一回転し、顔や頭から路面に突っ込んだことだろう。

ところが、私はオートバイの経験が全くない。事故に遭えば身を任せることしかできない。それはとても危険だな。

仮に事故に遭って大怪我をした場合、運良く退院することができたとすれば、私はどうやって浦安から都内に通勤するのだろう。

松葉杖や車椅子を使って、今でさえ辛い長時間の通勤を耐えることができるのか。

自動車の運転は無理だろうし、浦安から都内の職場までタクシーに乗ると大変な金額になる。

しかも、妻や義父母が私を助けてくれるとは到底考えつかない。そのような配慮ができる人たちであれば、私は浦安に引っ越すこともなかったし、バーンアウトするまで追い詰められることもなかった。

この経緯で、私はオートバイによる通勤は困難だと判断し、事故のショックとバーンアウトによって記憶そのものが閉じられていたらしい。

部分的な記憶喪失なんて映画や漫画の話だと思っていたが、リアルに記憶を取り戻してみるとなかなか面白い。

そして、子供たちが私立中学に入学する時期を見計らって脱浦し、エントランスロックで義実家の干渉を防ぎ、引っ越した先からロードバイクに乗って職場に通うという方針を固めたわけだな。

それまでの間にバーンアウトが悪化すると、私だけの問題ではなくて家庭が傾く。

そこで、とりあえず夫や父親というアバターを操作するイメージで家庭に戻り、妻が暴れても何とか耐えるということにしたわけだ。

しばらく耐えているうちに子供たちが大きくなり、妻も落ち着くようになり、浦安からの脱出が近づいてきて少しだけ気が楽になってきた。今ここという話だ。

オートバイの免許を取って、ロードバイクの趣味をやめてオートバイに乗り、キャンプツーリングに出かけるというのも趣がある。

だが、自分でペダルを漕ぐ楽しさがなくなるのは寂しく感じるし、都内に引っ越すと二輪用の駐輪場を探すことが大変だろう。

今は動かない方が良さそうだ。