東北や関西までマイカーで出張する電車嫌いのボス
妻の実家がある浦安市に住めば、子育てのサポートがあると思ったことは間違いだった。
妻は親離れできず、義父母は子離れできず、独身の小姑までが近くにいる鬱陶しさは大きい。
私たちの夫婦がどこに住むのかなんて私たちが決めることだ。しかし、この街は住みやすいと浦安を強烈に推してきた。
この人たちは浦安以外の街に長く住んだことがないから分からないのだろう。
まるで宗教のように浦安という街が一番だと信じている市民は多い。
電車通勤での都内へのアクセスの悪さを日々感じるたびに、浦安は千葉県にあることを実感する。
吐き気がしたり、腹の調子が悪い時の長時間通勤は最悪で、1時間半以上も波のない平穏な時があるはずもない。
浦安大好きな妻や義実家は、これが普通の通勤だと言うけれど、どう考えても普通ではないし、共働きなので家事や子育ての負荷もある。個人的には狂った生活だと思う。
生きている中で電車通勤が最も苦手な行動なので、私はそれを避けながら生きてきた。
子育てに入って浦安に引っ越し、電車通勤があまりに苦痛で職業人生にも支障が出たり、体調まで壊した。
この生活で誰が得をしているのかといえば、妻と義父母だけであって、私は大損だ。
毎日3時間も大切な時間を奪われて、しかも苦痛を耐えているのに労いの言葉もない。
では、どうしてここまで電車通勤が嫌なのか。
人混みが苦手なのは昔からだ。電車や駅は様々な人たちが多くて疲れる。
単純系から複雑系に引き戻されるというレトログレードな流れに苦しんでいるというか。
人の生き方というものは、子供の頃は単純な事象の理解や記憶から始まって、大人になるにつれてより高度で複雑な知的活動を営むように進む。
その流れとは対照的に、個人を取り巻く外的な環境は、子供から大人になるにつれて複雑性を帯びた集団から単純化されてフラットな集団へと変わっていく。
環境が変わるというよりも適性や生き方によって同じタイプの人たちが集まると考えるべきだろうか。
公立の小学校や中学校の学級には、様々な子供たちが集まる。勉学に励む人や部活に励む人がいて、特に何も興味がない人がいて、その後の進路も様々だ。
それぞれの人たちに共通する価値観を見つけることは難しく、まさにカオスという集まりから人生が始まる。
小学校や中学校では気の合う友達を見つけることが難しく、良い思い出は残っていない。
しかし、高校入試で進学校に進むと、その鬱陶しい複雑性が一気にマイルドになり、とても過ごしやすくなった。
ヤンキーの類は入学してこないわけで、それぞれの同級生には大学進学という共通の価値観があった。
そして、大学や大学院に進むと、将来像がさらに似た人たちが集まる。
就職すると、さらに取り巻く環境が単純化されて、お互いに考えていることがよく分かるようになった。
もの凄く変わった人が多いのだが、考え方や価値観のベースが同じ感じなので、とても居心地がいい。
普通なのか変わっているのかなんて、所詮は相対的な判断基準に過ぎない。
出世欲が強い人たちと職人気質な人たちとの間で微妙な空気が流れることはあるが、現場を大切にしないと上も転ぶのでそれなりのバランスがあるし、その見返りも用意されている。
仕事に没頭して働いた昔の父親たちも、夫婦共働きの子育てで疲弊している現在の父親たちも、職場に行けば単純化されたシステムや価値基準と共に働くという点では共通している。
夫婦共働きの世帯が増えて、仕事よりも子育ての方が大変だということに母親たちが気付くようになったことも、仕事と家庭の両立を求められた父親たちが疲弊していることも、この流れに矛盾しない。
子育ては仕事のように定められたスキームもゴールイメージも絶対的なシステムも存在しない。
子供自身が歩く変動係数のようになっていて、無限の複雑性を生み出している。疲れることが自然なんだ、子育ては。
それぞれの仕事にはそれぞれの苦労があるが、学生の頃のように国語から理科、社会、美術といった多方面のことを要求されることも少ない。
職業人としてのスキルやノウハウを蓄積させながらタスクに取り組む。だからプロと呼ばれるのだな。
職場での人間関係においても、公立の小中学校の学級のように多様性の高いものではなくて、様々な個性や生き方はあっても互いによく似たコンセンサスや距離感があって、共に長きにわたって付き合っていくことになる。
そうか、高校生時代に防衛大学校に進学して自衛官になろうと考えたことがあったのだが、どうやら私は複雑性のある社会が苦手で、単純化されたシンプルな環境が落ち着くらしい。
自衛官の仕事も色々とあって大変だろうけれど、国を守るという共通した考えがあり、とても分かりやすい規律があり、職業人として私なりに悩む必要がないと感じたということか。
自分がどうして生きているのかとか、自分が何のために生きているのかといったテーマに陥って思考がループするくらいならば、その方がより楽に生きることができると考えたわけだな。
生活や行動に斑のある私のことだから、自衛官は向いていなかったかもしれないし、若い頃から叩き込まれれば慣れたかもしれないな。
現在の職場はそれなりに厳しいが、それなりに自由度があって、私としては気に入っている。大変な時期もあったが、オッサンになってくると人間関係も楽だ。
ところが、子育てに入ると、「子供の保護者」という形で複雑系の中に引っ張り込まれる。
小学校のPTAはこれでも人間関係があっさりしている方だ。公立保育園の保護者同士の人間関係は酷かった。
日本では昔、保育運動と呼ばれる社会の波があって、若い保護者たちが行政と対峙することが多かった。
当時の日本は母親に家庭を任せて父親が働くという考えが広がっていた。
共働きで働く世帯に対する行政の支援はあまりに拙く、親たちは大変な苦労を続けながら職業人として生き抜いた。
当時の資料を目にしたことがあるが、今の保育園と比べれば簡易託児所のように思える。
その名残りが未だに保育園に残っていて、自動入会の父母会なんてものがあった。市のシステムでも何でもなく、園内のイベントや卒対に体よく人員を集めるための面倒な組織になっている。
父親も育児参加という潮流なので私も父母会に出てみたのだが、そこで眼にしたのはカオスな状況だった。
保護者同士のマウンティングや陰口。湿度が高めな人間関係に加えて、個々の我が飛び交う実に複雑性のある社会だった。
夫婦共働き世帯の母親たちは仕事と家庭で大変で、常に何らかのフラストレーションを抱えているし、父親だって同じことだ。
些細なトラブルで火がついて怒鳴り合いになることもあったし、ここは新浦安だ。自己主張高めで民度控えめな地域では何が生じるのか粗方見当がつく。
子供を育てていると保護者同士の関係も面倒だが、通勤にも苦労する。
現在の状況としては、さっさと脱浦して荒川を越え、通勤地獄からも義実家のプレッシャーからも解放されることを渇望している。
義父母の介護や墓の世話なんて御免だ。そこまでする恩は受けていない。娘や孫たちが近くに住むという幸せは、私が通勤やストレスで消耗し続けることで成立している。
その苦労について、義実家からの労いなんてものはない。
さらに、浦安は人口密度が高すぎて息苦しい。嘘だと思えば1週間くらい生活してみれば分かる。
せっかちで我が強い住民。夢と魔法を求めて旅の恥をかき捨てる観光客。
街中に出るだけで心拍数が上がり、市外に出るとすぐに楽になる。健康に悪いことは明らかだ。
ああ、こんな街に引っ越さなければよかった。自分で選んで引っ越してきたのなら諦めも付くが、妻や義実家に引っ張りこまれたという経緯があるから余計に苦痛なのだな。
しかし、子供たちが小学校に通っているので転校は気の毒だ。市外への引っ越しどころか日の出地区から出ることさえ容易ではない。
私は思うのだが、首都圏の鉄道網というインフラはとても公平な移動手段だな。
電車は多数の人員を効率よく輸送することが可能であり、運賃も低価格に抑えられている。
職場が通勤手当を支給しても大きな負荷にはならず、しかも都心よりも近郊の住宅の方が広くて安いということで、都外の沿線にベッドタウンが作られて労働者が往復するようになった。
しかも、アルコールを飲んで酩酊していても電車は人を輸送してくれる。酒好きなサラリーマンや若者たちには最高の乗り物だな。
結果、この有様。
以前、九州から関東に短期間だが転勤したサイクリストのブログを拝読して勉強になった。
確か、彼は社宅が千葉県内にあって、そこから都内に電車で通勤していたと思う。
彼の電車通勤についての感想がとても興味深い。
「福岡ではヤバいやつは本気で逃げないとヤバいのだが、東京ではどうしてこんなにチンパンが多いんだ?」
私はそのブログの文章をなるほどそうかと見つめた。
ヤバいやつという人は、おそらく本当に逃げないと危険なくらいの状態なのだろう。
確かに首都圏ではそこまでヤバい人を見かけないし、東京であれば警視庁にすぐに捕まる。
他方、九州から関東にやってきた彼が表現した「チンパン」というフレーズは、どう考えても「チンパンジーのような人」ということだろう。
東京都民に限ったことではなくて、千葉県民も含まれているはずだ。
他者を動物に例えて揶揄することは適切ではないので、私の意見としてそのような表現を使うことはない。
しかし、電車の中や駅構内においてマナーやモラルが破綻した人を見かける頻度は非常に高い。
浦安から都内に通っていると、帰路では頭にネズミの耳を付けた人たちがさらに増える。
これもまた人の多様性だとは言え、常識的に考えてありえない行動に出る人はたくさんいる。
人としての行動とは思えないから、その姿をチンパンジーという言葉で表現したわけか。
周りを気にする人もいれば、周りを気にしない人もいて、それぞれの人たちのモラルや価値観も違う。
鉄道という便利で公平な大量人員輸送のシステムが構築されたからこそ、非常に幅広い多様性を持った人たちが集まるということか。
極限まで複雑化した個の集まりの中では、自分を見失う感覚がある。
毎日のようにどこかの路線で人が飛び込んでいたりもして、これが本当に人が人として人らしい生活を送っているのか疑問に感じる。
混み合った電車や駅で長い時間をかけて通勤する首都圏のシステムは、もはや個々がどう感じようと変わらない。
自分の生活を変えた方が手っ取り早く、脱浦へのモチベーションが高まる。
さて、仕事がきっかけで勉強になることは多く、数えられないくらいの賢人と出会ってきた。
年上の賢人の場合には、「この人が自分の父親だったなら、もっと違う人生があったのかな」というエピソードがあると、生きることがより楽しくなる。
バーンアウトの徴候が出始めた2016年くらいのことだろうか。私はひとりのボスに出会った。ここでは一元的にボスと記す。
人と人の縁は分からないもので、彼の部下とは10年以上の付き合いがある。その部下の紹介ではなくて、別の機会で知り合ったので、互いに奇遇だと意気投合した。
そのボスはとても偉い人だが、礼儀正しく、凄まじい洞察力を有していた。まさに、この人が自分の父親だったなら的な印象を感じた。
古き良きダンディズムと表現したくなる男のこだわりもあって、安い筆記用具を使わない。たぶんオーダーメイドの万年筆だな。
また、思ったことを口に出すので裏表がない上に、相手が年下でもフランクに接してくださる。
彼の部下いわく、ボスはパワハラ気質なのだそうだが、部下を立てて無茶振りをするボスは嫌いではない。そこから自分の成長に繋がることが多い。
ある程度は予想が付いていたのだが、職場が違うにも関わらず、ボスからの無茶振りが私にまで飛んできた。彼のようにあまりに優れた人は自分と他者との境界が曖昧になっていることがある。
とても大変な無茶振りだったが、そこで得られた経験や人脈は私の職業人生を新たな展開に導いてくれた。ボスが思いついたことをこなすだけで、目の前の大きな扉が開き、そこには新たな世界が広がっていた。
感覚過敏を抱えていつも死にそうな感じに見える私だが、決して治癒することがない重荷を背負って生まれてきたことへのトレードオフなのだろうか、人生の軌跡の上でタイミング良くマイルストーンになってくださる人たちに出会い、こっちだと手を引っ張ってくださる。
ボスとの付き合いも長くなり、とある場所で彼や部下と顔を合わせることがあった。
相変わらず切れ味鋭いボスの力量に驚いた後で解散となり、その帰り道。
皆が少しずつ出口に向かって歩き、これから電車に乗ってそれぞれの場所に帰るのかと思っていたら、ボスだけが別の方向に歩こうとしていた。
ボスに挨拶しようと近づいたところ、隣にいた部下の人が「今日も車で来たんですか?」と笑っていた。
ボスの職場から都内まではかなりの距離がある。混み合った道路をマイカーで移動してやってくるには大変だと思ったわけだが、ボスの一言が面白かった。
「うん、僕は電車が大嫌いだからね」
なんと、ボスは鉄道での移動がとても苦手で、電車を利用せずに生活することにしているそうだ。
電車が嫌だ、電車が嫌だと悲壮感を漂わせている私とは対照的に、「嫌だから乗らない」とポジティブに突き進んでいるボスの姿が神々しく見えた。
「新幹線にも乗らずに自動車で現地に行ったりもするんですよ」
ボスの部下が呆れたようにつぶやいた。
電車嫌いにも程があると思ったが、おそらくボスの感性は普通の人たちのレベルを大きく超えていて、視覚や嗅覚などから膨大な情報が入ってくるのだろう。
常人では感じられない情報を脳内で選別することができさえすれば、それは非常に高い洞察力に繋がり、職業人としての武器になる。
もしかすると、ボスも感覚過敏を有しているのかもしれないな。そう考えると、物へのこだわりとか、無茶振りといった性質も理解しやすい。
しかし、新幹線にも乗らないというのは驚いた。私は在来線の混雑や九州のサイクリストがチンパンと表現した複雑系が苦手なだけで、新幹線は特に嫌いではない。
シートに身体を預けて、そこで禅を組んだり居眠りしたりと、むしろリラックスすることができたりもする。
ボスの場合には、自らの行動が制限されること自体が嫌なのかもしれないな。
「仙台から大阪までは自動車で行く範囲ですよ」とボスが笑っていた。
そこまでの電車嫌いは凄まじいと思ったが、そういえば私の実父も電車嫌いだな。
そうか、辛い辛いと嘆き続けるよりも、自分で何とかするという姿勢が大切なのだなと思った。
駐車場を借りて、自動車で職場を往復するという手段もあるのだが、浦安から都心までの道路は非常に混み合う。
だから浦安なんかに住むんじゃなかったと、再びいつもループに入る。
オートバイで職場に通っている人が結構いたりもするわけだが、たぶんそのような理由なのかもしれないな。
オートバイか...
若い頃はオートバイで学校や職場に通う人たちが格好良く見えたものだ。あの時に免許を取っておけばよかったと後悔しても仕方がないが、125ccの免許ならば何とかなるかもしれない。
今は子供たちを育てていて、塾だ私立だと金がかかる。原付に乗って交通事故で大変なことになったらと考えると、なかなか気が進まなかった。
しかし、過剰な話ではなくて、このまま本当にストレスで潰れたら家庭が傾く。
ストレスで潰れなかったとしても、何年間も毎日、目覚めた時点でやる気が削がれているような生活を続けることが、本当に私にとって意味があることなのか。
家族や義実家の満足や利益ばかりを考えて、自分だけが消耗する生活を続ける必要があるのか。
私について興味がない妻にとっては他人事なのだろうけれど、オートバイで通勤することも考えた方がいいかもしれないな。
電車が大嫌いで、仙台や大阪まで自動車で移動してしまうボスの話を思い出して、そう感じた。