失われた力を取り戻すための鍵
そのように感じていると、「貴様は経済を回すことを否定するのか!」と批判されそうだが、論点がずれている。
経済を回すことと、無謀ともいえる我欲の追求で自ら感染することは違う。
後者は社会のコンセンサスとして提案された範囲を逸脱して、自分の欲求に任せて行動しているわけだ。理解する対象として値しない。
外食を楽しみたいのであれば家族レベルで楽しめばいいと思う。酒を飲みたければ静かに飲むか、自宅に買って帰って飲めばいい。
パンデミックが来る前と同じような状態で忘年会を開く人たちの行動を理解することができずにいる。感染者が増えて当然だ。自分で感染の機会を増やしているのだから。
こういうオッサンが家庭にウイルスを持ち帰って家族や地域に伝播させ、いずれ私たちにも感染が広がるのだろう。
誰が感染しているのか分からない集団でマスクを外して大声を出せば、感染が広がって当然だろうと思いはする。
歴史ではなくて経験から学ぶ人たちが多すぎる。
年配や基礎疾患を持っている人たちではコロナに感染すると重篤化することは分かる。
しかし、それがコロナに限定した話なのかというと違う。様々な感染症は免疫能が弱っている人を襲う。
だからこそ、医療機関は感染症対策において専門的なスタッフを用意して、免疫が弱い人たちを守ろうとする。
今回のパンデミックの脅威は、わざわざ感染のリスクが高い場所に自ら出向いて、そこで感染した人が病院にやってきて、医療関係者や患者にウイルスを広げる点が厄介だ。
「俺のことは放っておけ」と突っ張っているお爺さんだって、実際に死にかけると早く病院に連れて行けと懸命に生き残ろうとすることだろう。
それにしても、今回のパンデミックは経済に対するダメージが大きい。
社会が混乱すれば不況がやってくることが多い。
この年末に赤ら顔で忘年会を楽しんでいるサラリーマンたちの給料が来年も同じ金額であることも、数年後に彼らが会社にいられるかどうかも分からない。
就職前の大学生たちについては、有名大学だからといってサークルだ飲み会だと盛り上がる時代は終わった。これから就職において超氷河期がやってくるはずだ。名前も知らない大学においては述べるまでもない。
国立大学や早慶、医系学部はともかく、マーチ以下は希望の職場を探すことに苦労することだろう。職種にもよるが、人員削減が始まると新規採用枠が減る。枠が減れば当然だが激戦になる。
採用枠が減るのであれば、会社や役所としてはマンパワーの不足分を補うくらいに高い能力を持った若手を探すはずだ。
大学時代はゼミや部活で頑張りましたとか、学外の活動やサークルで貴重な体験をしましたとか、そういったステレオタイプなアピールは通用しないことだろう。
表向きの能力が横並びであれば、プラスアルファとして学歴が判断基準になることは否めない。
学歴のレッテルなんてその人の能力には直接的に関係しないが、この社会はレッテルを見て判断するような因習が未だに残っている。
実にくだらないと言い捨てることは簡単だが、多数の候補者たちを基礎学力で選別する際、あるいは競争や裏切りの多い職業人生の中で同じ門をくぐった人たちを信じる際には、このようなレッテルは役に立つと考えられているらしい。
老婆心ながら言うと、今の大学生たちは酒を飲んで楽しんでいる場合ではない。近い将来に必ずやってくる就職氷河期に備えて資格や技能を身につけておいた方がいい。
私は大学院まで通っていたので、就職する際には氷河期が続いていた。
その時代を実際に経験したからこそ言えることだが、自らの職業人としての未来の扉が狭まっているのに、飲み会だサークルだと楽しんでいる場合ではない。
長時間の苛烈な労働と低賃金、かつ不安定な職場はたくさんある。そういったブラックな職場に入ること自体は難しくないかもしれないが、軌道修正は難しい。
...と言ったところで若者たちには通じないことだろう。まあ一度きりの職業人生を頑張れと言うしかないな。
いくら社会を憂いたところで何も変わらないし、10年以上にわたる毎日の電車通勤で見た人々のモラルやマナーはこの程度だと思っていて、全てではないが我田引水な人の割合は高い。
社会に落胆することは容易だし、これが守るべき社会の姿なのかと諦めることはあるが、生きていれば悪いことばかりが続くわけでもなく、とても勉強になる人たちとの出会いもある。
社会全体の流れを大河に例えれば、自分の存在なんてそこを流れる落ち葉や枯れ木のようなものだ。
さて、年末が近づくと誰もが忙しくなる。
普段から鬱々とした生活録を残している私だが、ブログから想像しうる以上に真っ当な仕事に就いていて、それなりに忙しい。
しかし、この数年の年末と比べて大きく違うことがある。その変化について喜ばしくも感じ、気を緩めるべきではないと自らを戒めていたりもする。
何が変わったのかというと、自分の意思の通りに思考が回転するようになってきたということ。
笑い話のようだが、本人にとっては深刻な状態だった。仕事で何かのテーマがあるとして、さあやるぞと思っても思考にロックがかかって進まないことがよくあった。
そもそもバーンアウトという脳の現象は感情やモチベーションの枯渇を生じるわけだから、どこかで心身が動かなくなることは想像しうることだ。
最近、そのロックが解除されて、思ったように思考が動くようになってきた。
目の前にデータがあった場合、そこから何を察知して、その後で何をすべきかということが頭の中でマップになって表示され、残りはそのマップに従って検証するだけの話。
そんな普通のことができずに苦労していたのだが、ようやく調子が戻ってきた。
そのロックがなぜ生じたのか、その理由は明確だ。共働きの子育て、ならびに長時間の電車通勤の地獄、その他は妻の実家との関係といった仕事に全く関係しない場でのストレスだった。
結局のところ、私は子育てという誰もが行うことをナメていたのだと思う。
自分なら大丈夫だと過信して家庭を持ち、自分なら大丈夫だと子供が産まれ、実際は大丈夫ではなかったということだ。
子育て自体は苦労があったが、それ以上に苦労したのは妻との関係だった。しかも妻の実家が浦安市内にあり、LINEグループまで用意して繋がっている。
親離れできない妻と子離れできない義実家。それに加えて拷問のような長時間の電車通勤によって私の精神はガリガリと削られていった。
少しずつ復調した経緯において、私は妻や義実家に対して何の感謝の気持ちも持ち合わせていない。
バーンアウトに陥った際であっても、その人たちが私を助けてくれたとは思っていないし、私は今でも自分の力、それとこのような自分を助けてくれた人たちのお陰で今に至っていると思っている。
家庭においては夫であり父親というアバターを自分で用意して、その役をトレースする形で生きることにした。妻や子供たちが見ている私という存在は、大方が役を演じているわけで、本当の自分の姿とはほど遠い。
けれど、人と人との関係とは興味深いもので、私が夫や父親という役を演じていても家族は気がつかない。自分の素を出すよりも家庭が安定するのであれば、その方が楽なのでいいという具合だ。
バーンアウトとうつ病は似て非なることがあって、後者は自ら死のうとするそうだ。前者にはそれが生じないらしいので、元気の前借りのようなものなのだろうか。
では、ようやくバーンアウトという深い井戸から抜け出せたきっかけは何かというと、その状態となった理由が消えてきたからだな。
共働きの子育てで怒り狂って暴れ続けた妻が、ようやく落ち着いてきた。今でも子供たちを甲高い大声で叱ることはあるが、理性を保った状態で叱っている。
他方、バーンアウトの際にはロードバイクに乗ってペダルを漕ぎ続けることで精神の負荷を抑えていた私自身にも変化がやってきた。
そのきっかけは、あえてロードバイクという趣味から自分を遠ざけるという相反した行動にあった。
以前は、ロードバイクという趣味を人生の中心に近いところに置いてストレスに耐えていたわけだが、今は違う。
ペダルを回したくなったらスピンバイクに乗って自室で汗を流すことが増え、ロードバイクに乗ってサイクリングに出かけることにこだわらなくなった。
一時期は自転車用品に小遣い以上の金をかけていたこともあったが、最近ではすっかり正気に戻った。
もちろん、サイクリングはとても楽しくて心身ともにリフレッシュすることができるが、家庭とのバランスを考えて無理をしないように心掛けている。
年末のように多数の人々が苛立って自動車を運転している時にはライドに行かない。また、年始のように人々の気持ちが緩んでいる時にもライドに行かない。
それをどうして知っているのかというと、2016年から2018年くらいにかけて続けていたロードバイク通勤の経験によるものだ。
とりわけ年末に一般道をロードバイクで走ることは危険だと感じた。自動車のドライバーの多くが年の瀬で苛ついていて、自分が気をつけていても周りの人たちが気をつけていないという状態だった。
年始は年末ほど危険ではないが、気を抜いた人や酒が抜けきっていない人たちが自動車を運転している時があって事故に巻き込まれそうになったことが多々あった。
路面が濡れている時や凍結している可能性がある時もライドには行かず、条件が良くて家庭に余裕がある時には気が済むまでロードバイクに乗って走り回る。
育児中にロードバイクに乗れないと嘆いている父親の多くは、この緩急をつけることができずに妻との間で緊張感が生じ、突っ込んだ話もできずにライドに行けないとさらに嘆くケースが多いようだ。
共働きの妻も忙しいということで、私は家事の負担を増やし、けれど妻からの感謝を期待しないことにした。
まあそういった些細な気遣いは蓄積すると大きいようで、妻がブチ切れて私に激高することはほとんどなくなった。
家庭が落ち着けば、職場での仕事においても落ち着いてくる。
バーンアウトによって失った職業人としてのキャリアは取り戻すことが難しいが、それでもようやく前方を走っている人たちの背中が見えてきた。
しかし、ここでの焦りは禁物だ。枯渇した感情が自分に戻ってくると、「アイツらには負けたくない」という競争心が生まれる。
競争心や闘争心といった類の感情は、無駄な我欲であって意味がないと私は思っていたが、実際にはとても大切なものなのだなと思う時がある。
バーンアウトした状態では感情そのものが枯渇していたので、誰に負けようが引き離されようが全く気にならなかった。
だからといって仕事が捗ったのかというとそうでもなくて、現状としては自らのパフォーマンスを発揮し得ない無様な状態が続いていた。
そこから以前の状態に戻すための特効薬とか民間療法の類いは見当たらなくて、「今の自分にはこの仕事は無理だ」と感じたことについて時間をかけて取り組んでクリアして、再び別の仕事に取りかかって苦労しながらクリアする。
そのような積み重ねによって苦手意識を持っていたこと...まあ当時はほとんどが苦手になっていたわけだが...をクリアし続けた。
モチベーションが枯渇していた時の記憶というものは、意識的というよりも無意識的な領域に刻まれているようで、得体の知れないプレッシャーを感じたりもしたものだが、実際に取り組んでみると大したことがない場合が多かった。
2019年の半ばまで妻との意見の衝突が続き、さらに2020年に入るとマンションの上の階で朝から深夜まで尋常とは思えないくらいに暴れ回る子供を連れた一家が引っ越してきてバトルになったので、バーンアウトのリハビリに集中し始めたのはこの半年くらいだろうか。
調子を落としていた時に助けてくださった人たちには今でも感謝の気持ちを忘れず、何ら助けてくれなかった人たちには仕返しを考えずに意識の中から存在を消し、常に自分のアバターを操作しているくらいの気持ちで生きる。
自己愛によるアピールをなくし、口数を減らして地道に生きる。
残り少ない人生の時間で、今、自分はやるべきことをやっているのだろうかと自問自答し、同僚たちにとっては他愛もないことに私は苦労してハードルを越え続け、その経験を正しい意味での自信に繋げる。その繰り返しだな。
ひとりで思考の井戸に落っこちて、そこから這い上がり、再び以前の状態に戻るための鍵というものは、実はひとつではなかったということだ。
家庭にしろ仕事にしろ、数え切れないほどの鍵を使って箱を開け、そこに閉じ込められていた自分を取り戻すイメージだな。
しかし、物は考えようだ。
現時点の状況を鑑みると必ずしもこれまでの経験をトレースしているわけではなくて、リセットされた地点からより効率的に進む手段を考えながら進んでいるような実感がある。
つまり、再起動というよりも再構築に近い感じがあって、それはそれで新鮮味があって趣がある。
モチベーションが豊かだった頃は、少しくらい無駄があっても先を切り開く馬力があった。
けれど、その力を失った時期の記憶が残っていると、できるだけ最短距離で前に進むような工夫を考えるようになった。
なるほど、以前はこのようなところで思考の無駄があったのだなとか、ここはもう少し力を入れれば良かったのだなと、自分自身を振り返ることができるようになった。
このような経験は自らが望んでなしえることではないと思っているし、まあ色々と大変だったけれど大切なことだったなと感じる。
何より、自分の性格を変えたいと思う人はたくさんいるだろうけれど、実際に性格を変えることはとても難しい。
五十路に入る前に生き方どころか性格まで変えることができたのは不幸中の幸いと言ってよいのだろうか。
状況が好転しているからそのようなことが言えるのだろうと感じはするし、その割には失ったものがとても大きいと感じもする。
一度過ぎてしまった時間は二度とは戻らないが、過ぎた時間を後悔するよりも、残りの時間をどのように生きるかを考える方が大切なのだろうな。
先日も箱に閉じ込められた自分の思考の一部の鍵を開けていたら、非常に興味深い気づきがあった。
元気な頃の私にはこだわりがあって手を出さなかった仕事の術だったのだが、こだわらずに受け止めることで大きな武器になりそうだ。
これだから生きることは面白い。