ホワイトな街をソロライドで訪れて頭の中がホワイトになる
この「自由な実走」とは、大まかな目的地を設定し、ルートを決めずに方角だけを参考に走り続けるというスタイルだ。
コンパスツーリングと表現することができそうな走り方はかなりマニアックではあるけれど、ネットではたまにこのスタイルでソロライドを楽しんでいるサイクリストを見かける。
スマホのGPSマップで現在地をすぐに調べることができる時代だからこそ、あえてデジタルから解放されると爽快な気持ちになる。
ロードバイクのライディングには様々な形があって当然だが、ルートを決めるという基本を排除することで走りに自由度と新鮮さが得られる。
千葉県の北西部には個性豊かな街が多く、コンパスを頼りにアドベンチャーゲームのように走ると楽しいことに気づいた。
ということで、今回は「白井市」に向かって走ることにした。
私は最近になって気がついたのだが、地図を見ていると船橋市の北に隣接して白井市という街がある。
浦安市に引っ越して10年以上が経ったが、頭の中に白井市という自治体の存在が入っていなかった。
最近の市町村合併によって生まれた街なのかと思ったら、2001年にはすでに白井市が存在していた。
この自治体の名前は「しらいし」ではなく、「しろいし」と読むそうだ。
出発の前夜に白井市のプロモーション動画を観たのだが、アバンギャルドさが先行して人や街の素の姿を感じない。
数千万円の予算で制作してすぐに公開中止になった浦安市のプロモーション動画よりも低コストで仕上げてポイントを掴んでいるが。
謎多き街だ。
梨の生産において有名なのだそうだ。梨といえば例の妖精が活躍しすぎて船橋市というイメージがある。
ということで、千葉県出身の妻に白井市について尋ねてみる。
「ああ、白石市のこと?」という答えが返ってきた。
「違う、白井市。し、ろ、い、し」と丁寧に発音したのだが、千葉県で育って千葉県に住んでいる妻でさえ心当たりがないそうだ。
やはり謎多き街だ。
ウィキペディアにアクセスしてみた。2017年に行われた知名度調査では、「白井市を知っている」と答えた人の割合は、白井市の隣りにある船橋市の市民でさえ38.6%に留まり、千葉市や市川市の市民では20%だったそうだ。
隣の船橋市の市民の6割が白井市のことを知らなかったことに驚いた。
おそらく、白井市のことを知っている浦安市民は10%程度になるのだろう。
そこで、謎が多い白井市まで自転車に乗ってちょっとした冒険に行こうと思ったわけだ。
個体密度が高すぎて息苦しい金魚鉢のような消耗郷を脱出して市川市に入ると、いつものように心拍数が下がった。
原木中山のインターチェンジの前で右折した後、とある著名人の看板を目印に左折して小道を抜け、自転車のまま高速道路を楽に越える橋を渡る。
このルートは浦安市内のサイクリストに教わった。彼は私がバーンアウトで苦しんでいた時に助けてくれた貴重な存在だ。
そこから船橋市を経由して、鎌ケ谷市に入る。コンパスで北東の方角に走れば、いつか白井市に到着することだろう。
ここまでは調子が良かった。たまに船橋市や鎌ケ谷市の住宅街に入っていくと、街と家と人が調和していて、とても穏やかな気持ちになった。
高台の宅地に新築の戸建ての看板があり、2500万円の値が付いている。
浦安市の海沿いでは同程度の戸建てが8000万円以上といった金額になっている。どうすればそんな金が手に入るのだろう。全員が宝くじを当てたのだろうか。
家の中に入れば間取りは同じだろう。人の価値観は様々だな。
鎌ケ谷市は相変わらず活気がある。雑多とは言えないし、閑静とも言えず、しかし歴史に根付いた街並みというか。
鎌ケ谷市には大仏があるそうで、この街の明るい雰囲気と相まってポップな感じに映る。
気を良くした私は木下街道に入って賑やかな通りを眺めながら進んだ。
眼前に白井市という道路標示が見えた。往路は30kmくらいだろうか。
道路の脇には様々な店舗が並び、生活に必要なものは自動車があれば入手が可能だな。
なんだ、謎があるわけでもなく、私がイメージする千葉県北西部の街ということか。
しかし、しばらく走り続けると、街の雰囲気が一気に変わった。
北部は農地が広がっていて、南部には千葉ニュータウンの一部なのだろうか、多くのマンションや戸建てが整然と並んでいる。
しかし、何か強い違和感を覚える。不安や恐怖にも似た違和感だ。
休日の昼間なのに道路脇に歩行者の姿が見えない。自転車で通行している人もほとんど見かけない。
しかし、人の気配が薄いだけで違和感が生じるはずがない。
それならば、私が内房や外房にサイクリングに行った時に同じ感覚を受けているはずだが、このような違和感はなかった。
とりあえず白井駅に行ってみよう。駅前なら人がいるはず。
北総鉄道という電車の路線があることを初めて知った。この辺りから日本橋まで通っても1時間もかからないそうだ。
浦安市から都心への電車でのアクセスが、いかに煩雑で時間がかかるのかを実感する。
茨城県から都内に通っている同僚がいるのだが、浦安に住んでいる私とドア・トゥー・ドアで15分間くらいしか変わらない。浦安の新町は駅に向かうだけで時間がかかる。その後の乗り換えも多い。
白井市から通勤・通学で東京に通っている市民は3割程度なのだそうだ。確かに職場の位置によっては便利なベッドタウンだな。
白井市のプロモーション動画では、名前にちなんで「ホワイトな街」をアピールしている。特産の梨、それと千葉ニュータウンの一角を担う住宅地もアピールポイントだ。緑が豊かで開放感があり、しかも清潔感がある。
ふるさと納税の返礼品で梨を用意したのだが寄附があまり増えず、フライパンを追加したら寄附の金額が倍になったらしい。
確かに、このフライパンは面白い。今度、白井市に寄附しようかと思った。こうやって浦安市の税収が減っていく。
だが、今はそんなことを考えている余裕がない。
白井駅に到着した...はずなのだが、駅の入口がどこなのかが分からない。
明らかなロータリーがあって、タクシーが1台だけ停まっている。コミュニティバスや路線バスは見かけない。
駅前のモニュメントは噴水の機能があるようだが、水が枯れている。どこかの街と同じだな。
普通にイメージする地方の駅舎が見当たらない。それ以上に、休日の昼間の駅前の広場に人がほとんどいない。
ようやく駅舎らしき建物が見つかった。北総鉄道は運賃が高いことで知られている。白井市と東京を往復すると2千円程度。
立地や利用者数を考えると、それも仕方がないのだろう。
ロードバイクから降りて、四方を眺める。背の高い大きな団地が駅の周りを取り囲むように配置されている。
何だろうか。この恐怖や不安にも似た違和感の正体は。
それぞれの街にはそれぞれの街の個性がある。千葉県北西部の自治体は強烈な個性を放っていると私は思っていて、それらを色で表現することができそうなイメージさえある。
白井市を色でイメージすると、確かにホワイトだと思った。
地方にやってきたという印象はあるが田舎と呼ぶには住宅や店舗が多い。広い公園もあり、きちんと手入れされた公共施設もある。
けれど、訪れた人たちに向けて放たれる強烈な個性を感じない。
まるで真っ白なキャンバスの中にいるような不思議な感覚だ。
この街を訪れて何をしたいのか、その衝動が消えていく。
味わいのあるラーメン屋や喫茶店が見当たらない。思い出に残りそうなモニュメントや名所はどこだろう。
おそらく、近隣の自治体からの知名度が高くないという背景には、このホワイトなカラーが関係しているのではないか。
個性がないと言われればそうかもしれないが、住民の生活に必要な環境は整っているように思える。
一般論として、単独の自治体において住居や雇用、消費や娯楽など、それら全てを揃えることは難しく、周辺の自治体の一部をアウトソースとして使っている。
浦安市の場合には、職場が都内という市民が4割程度か。市内だけで職を探すことは無理だろう。雇用の場を東京に依存している。
一方で、浦安駅前の賑やかな飲食店、そして全国レベルで有名なディズニー産業においては、他の自治体の住民が利用することが多い。
新浦安や舞浜のショッピング施設も同様だろう。
持ちつ持たれつの関係とも言えなくはないが、シティデザインにおいてはとても重要だな。
多くの自治体は、他の街の人たちを引きつけるアピールポイントを探している。
他の街の市民から見てアウトソースとして利用価値があるものであれば成功するが、その多くは民間主導と立地条件だと思う。
鉄道の駅やショッピングモール、宅地造成はその典型だな。
都心に通いやすく自然が豊かという利点を活かして働き盛りの世代を呼び込んだ流山市の場合には、そのマーケティングにおいて民間の実務経験者を市職員として採用したそうだ。
他方、行政主導で町おこしに取り組んで空振りに終わり、多額の負債を生じる自治体も多い。
熟考や論理性の足りない首長が、レントシーカーのような声の大きい市民や側近の提案に乗り、ノーと言えない上にマーケティングに拙い行政職員が動くと、往々にしてこの失敗に陥る。
首長が替わると責任者がどこにもいなくなり、市民が長い年月をかけて負の遺産を背負い、巧みに利益を狙った人たちだけが儲かるという仕組みだろう。どこの街でも起こりうることだ。
その点では、白井市の行政は堅実だな。住宅と生活環境を整え、特産品の生産も維持し、とてもバランスが良い。
町おこしで一発を狙うこともないようだし、調査資料を眺めた限りでは、市民の満足度も決して低くない。
移動にはマイカーが必要だろうけれど、自分たちの日常生活に必要なものは近場で揃うはずだ。
その上で足りない物やサービス、娯楽などについては、周辺の自治体に行けばいいというわけだな。近隣には千葉市や船橋市、柏市がある。
このスタイルであれば、民間や行政のリスクが少ないな。
翻って、白井市の周辺自治体の住民から見た場合はどうだろう。自分が住む街に足りなくて白井市にあり、アウトソースとして利用したいと感じる存在は限られているのではないか。
それらは公共施設でも民間施設でも、さらには海や山といった自然でも構わない。
隣の船橋市民だけでなく、周辺自治体の住民が白井市に行きたい、あるいは白井市に行かざるをえないという要素があれば、当然だが知名度が上がる。
しかし、現状では人々が想像する千葉県の北西部の地図の中で、この街の存在感が真っ白になっているのではないか。
この状況は、住んでいる人たちというよりも、行政のシティデザインによるものかもしれない。
しかし、よくよく考えてみると、各自治体における相互のアウトソーシングのような形は、人口が減少する将来において大切になってくると思う。
余程に馬力のある自治体を除いて、それぞれの街がそれぞれにおいて完結するような施設もしくはサービスを維持しうる状態は厳しくなってくることだろう。
市民や行政としては街の独立性にこだわりたいだろうけれど、施設やサービスを自治体間で共有してコストを減らす時期が来るのだろう。
ゴミ焼却施設などでは自治体間の共有がすでに始まっている。
しかし、そのようなシェアリングは行政や市民に柔軟性がないと実現が難しく、結局は街同士でアピール合戦を繰り返し、限られた勤労世代を奪い合うような青色吐息のサバイバルレースが続くのだろうな。
白井駅の前で立ち尽くして街づくりについて考えることは勉強になるのだが、未だ自身に説明がつかない違和感が続いている。
白井駅前に広がる多数の大型団地群は、新浦安駅前のそれらと似ている。
しかし、建物は似ていても、白井駅前には新浦安駅前のような気が滅入る程の人混みがない。
おそらく、長年の新浦安住まいによって、団地群に囲まれた駅の近くには人が集まるという思考が染み付いたらしい。
いや、意識的な思考というよりも、違和感が真っ先にやってきたのだから、深層心理のレベルまで人が多い街のイメージが入り込んでいるということか。
この状態のまま白井市を訪れると、私の脳内の情報処理はどうなるか。
自分が住む街とよく似た場所にいて、街から人が消え去ったかのような感覚がある。
この情景がSF作品ならば人間が存在しない時空の捻れに巻き込まれたという展開、ミステリー作品ならばハーメルンの笛吹き男のような大規模な集団失踪、ホラー作品ならばここからモンスターに襲われ、サイコ作品であれば浦安での生活は全て自分の脳で作り出した仮想空間という展開になりそうだな。
しかし、それらは単なる空想に過ぎない。
普段から肉眼では見えない微細な違和感を見つけることが仕事だったりもするわけで、あまりに巨大な街単位の違和感によって思考がオーバーヒートしたのだろう。中二的な解釈だな。
同時に、新浦安は人が多すぎてあまり気付かなかったが、私はベッドタウンによくある巨大な団地群を見ると、それらを異様に感じてストレスのベースラインが上がるらしい。
人が蜂の巣のような住居に住み、私も住んでいる。妻はこれが普通だというけれど、私には普通に感じない。
それにしても、これだけ住宅が多いにも関わらず、どうして街の中に人が少ないのだろう。
白井市の面積は浦安市の2倍程度、人口は約6万人。
浦安市の場合には定住人口に加えてディズニー客が押し寄せるので、人口密度としては白井市の10倍以上になることだろう。
しかも浦安市の場合、利便性を追求した結果として人が均一に分布せず、斑のある密集が形成される。
白井市の場合、休日はマイカーに乗って周辺に移動したり、近所の公園や施設に分散しているのだろうか。
駅から少し離れた公園に行くと、仲が良さそうなシニアの夫婦が散歩を楽しんでいた。私に対して気さくに声をかけてくださり、気持ちが楽になった。
街の知名度や外観は、必ずしも住みよさと相関しない。
私は知名度があって見た目が良い街で生活しているが、ストレスによって心拍数を上げながら生きている。
私にとってはブラックな街だ。そこからホワイトな街にやってきたので戸惑っているということだな。
白井市には、自ら住んでみることで感じる穏やかさがあるはずだ。人が人として生きる上で何が大切なのかを知るのだろう。
しかし、新浦安住まいの私にはこの街で覚える違和感に疲れてきた。
スマホで現在地をチェックして、コンパスツーリングを続行することにしよう。
このような時にはGPSが便利だなと思いつつ、先ほどから私を凝視している生物の視線が気になる。
すでにこの状態で5分以上経過しているはずだ。
「様々なことに勝手な価値観を貼り付け、ああでもないこうでもないと無駄に考え、小さな板を見つめて貴重な時間を消費し、自らの進む方向さえ分からない。人間とは何と愚かな生物だろうか」と思っているようにクールな視線だな。
しばらくすると、やけに陽気な白井市民の婦人がキャットフードを持ってきて、その猫が私から離れていった。
復路はコンパスツーリングを続行して帰宅。
様々な示唆と気付きがあって勉強になるライドだった。