駅の出口の柱の隙間で喫煙し続ける男
もうひとつの出口は、歩道に降りるためだけの階段があり、目の前には道路がある。
階段の下の小さなスペースはお世辞にも清潔とは言えず、ガード下によくある暗い雰囲気がある。
改札の近くにコンビニがあり、その店で揚げるチキンなどの排気が換気扇によって伝ってくるので、不快な臭いもある。
ディズニー客はホームと直結したブリッジからホテルに向かって歩く。その途中にあるこの階段は、夢と魔法の国では使用されることのない、ハリボテの向こう側にある住民向けの通路というわけさ。
駅に到着した人たちは、足早に階段を降り、そのスペースを抜けて家路に就く。
しかし、感覚が過敏な私は、階段を降りる前に悪臭に気づいて顔をしかめた。
階段の下のスペースで誰かが煙草を吸っている。加熱式ならまだしも、火を着けるタイプの普通の煙草だ。甘い香りのフィリップモリスや1mgの軽い煙草ではなく、10mg以上の重い煙草だろう。
セブンスターかマルボロかメビウスか。クールやパーラメントではないな。
ヤニの臭いが出口に広がっている。こんなに人の通りが多いスペースなのに、どこかの愚者が駅前で煙草を吸っているのだろう。
今回は角が立つので、匿名のとある街は、財政力が高くて先進的な街のように思われがちだが、条例の整備においては後進的であると言わざるをえない。
他の自治体では10年近く前に議会基本条例が制定されていたりもするわけだが、この街は今になってようやくその条例に着手している。
自分たちの方針や心構えなどを指し示す議会基本条例も作れない市議会が、街のことについてアレやコレやと多数決で決めていたわけだ。
これも街の歪みだな。
それにしても驚くことがある。
人口密度が高い街では受動喫煙防止条例が制定されていたりもするが、この街にはその条例がない。あくまで行政からのお願いベースで市民に呼びかけている。
人の我と欲が絡むことに性善説や義理人情は必ずしも通用しない。そのために社会にはルールがある。
評判やクレームを気にしてルールを決めないと、結局はカオスになって批判が集まる。課題から逃げ続けているようでは市民からの称賛や信頼は得られない。
この街は道路でトラブルがあれば速攻で対応してくれるのだが、条例などの街のシステムの変革については牛歩のごとき遅さだ。
つまり、駅の出口で煙草を吸っている輩がいたとしても、罰則を伴う行政的な対応は困難だ。駅の出口を管理する事業者が警備員を配置して喫煙者に注意するしかない。
もしくは、勇気ある市民が、「ここで煙草を吸うな」と喫煙者に抗議し、その注意に逆ギレしてきた時点で110番通報して警察官を呼ぶという手段もある。
この場合、警察としては喫煙場所以外での迷惑行為に対して注意することはできるが、取り締まるための法的根拠に乏しい。
しかし、地域住民同士の口論の仲裁という形になると警察官は解決するまで立ち去ることができない。当事者も同様だ。
警察官に立ち会ってもらい、喫煙者に対して抗議し続けるわけだな。
喫煙者は警察官を無視して立ち去ることも、抗議してきた人に暴力をふるうこともできない。そこで徹底的に非を追求すれば、喫煙者は面倒になって公共の場で吸わなくなる。
...と思いきや、別の場所で再び吸い始めることだろう。これが依存症の怖さでもあるし、だからこそ条例が必要なんだ。
私もかつてはヘビースモーカーだった。嗅覚過敏だが主流煙はあまり辛くなくて、ニコチンやタールで嗅覚が麻痺して楽だった。
なので喫煙者の気持ちは分かるのだが、この駅には少し離れたところに喫煙所がある。
その場所に行かずに、駅の利用者が歩く通路の真横で煙草を吸うことは迷惑行為でしかない。一体、何を考えているんだ。
感染症予防で喫煙所が閉鎖されているかもしれないが、公共の場では吸わない。それがマナーだ。
だが、路上喫煙であっても道端で一服、あるいは歩きながら一服といった行為であれば、単純にモラルやマナーに欠けた品のない行為だと蔑むことができる。
そのようなオッサンや若者はどこにでもいるし、夜は特に多い。
しかし、彼の喫煙スタイルはいささか非典型的であって、その行動がとても興味深い。
駅の出口を降りたスペースの柱と柱の間の1メートル四方にも充たない小さな隙間に入り、立ったまま俯いてスマートフォンを見入り、片手で煙草を吸い、付近に煙を撒き散らしている。機関車のようなピストン吸いだ。大丈夫なのか。
ワイヤレスのヘッドホンを付けているのだろうか、通行人の視線やつぶやきも完全に無視している。
階段の手すりに缶ビールのロング缶を置いて酒を飲みながら、スマホを見つめて煙草を吸っていることもある。
彼にとってはこの場所が居酒屋の代わりなのか。底辺飲みと揶揄されるスタイルの亜種であって、非常に品のない行為だ。
しかし、彼の出で立ちを見ると、迷惑行為をするようなタイプに見えない。
きちんとスーツを着てネクタイを締め、髪型も小綺麗にセットされた普通のサラリーマンだ。
年齢は私よりもひと回りくらい若く、30代半ばといったところか。
私が帰宅する時間が前後しても、その男性は階段下のいつものスペースに入り込んで、スマホで動画を見つめながら煙草をふかしている。
ビールの缶を持ち帰らずに、そのまま階段の手すりの上に放置していくので、彼がここに立ち寄ったのかどうかがよく分かる。
客観的には、この男性はエゴが強く、公共の衛生や他者への配慮に欠けた人物だ。
法に抵触するか否かを判断し、注意されても回避できる範囲内で迷惑行為をやっている。狡猾な男だと思われても仕方がない。
この街に受動喫煙防止条例があれば、条例違反だと注意することができる。だが、色々な意味で足りない街の行政に期待することは難しい。
それ以前の話として、この男性は、どうしてこの場所でスマホを見ながら煙草を吸い続けているのだろうか。
自宅の最寄り駅に到着し、駅の近くで煙草を1本だけ吸いながらスマホでメールやラインをチェックするといった話ならば、5分程度で終わることだろう。
彼の場合には、駅のガード下の柱と柱の隙間の暗く湿気を帯びて汚れたスペースに入り、おそらく長時間にわたって立ち続けている。その姿には狂気を越えた悲哀を感じる。
そこで吸う煙草に爽快感はあるのか。そこで飲むビールに仕事帰りの達成感はあるのか。
理解しがたい奇妙な習慣だが、やはり彼にとっては何か理由があってこの場所に留まっているのだろう。
一人になるための空間が欲しいのであれば、自転車に乗って川沿いに行くと人が減る。しかし、人通りの多い駅前で留まっているわけだから、それが理由ではないということか。
「やあ、こんばんは。君はどうしてこんなところで機関車トーマスになってるんだい?」と尋ねてみたくなったが、知ったところでどうなんだという話だな。
おそらく気分を害するような返答しかないだろう。
駅から自宅までミニベロのペダルを回しながら彼の奇妙な行動について考えたが、その段階では答えが見つからなかった。
その翌日も、翌々日も、彼はガード下の隙間に入って煙草を吸い続けていた。やはり何か様子が変だ。
仕事が終わって最寄り駅に到着し、そのまま自宅に帰ることができずに時間を埋めているということか。
だとすれば、彼は独身ではなくて既婚者、しかも子育て中の父親だな。
子供は2歳...いや、3〜4歳といったところか。
夫婦共働きかどうかは分からないが、彼の年齢でこの街に住むということは、ダブルインカムの蓋然性が高い。保育園の朝の送り担当だな。
最初は確かに品のない煙草と酒の飲み方だと思ったが、帰宅恐怖症の特徴が出ていると感じるようになった。しかもかなりこじらせてしまっているようだ。
3割の父親に帰宅恐怖症あるいは帰宅拒否症と呼ばれる徴候が出ているという報道がなされたことがあったが、精神医学においては適応障害のひとつとして理解されている。
新婚や子供が産まれたばかりの頃は仕事が終わると帰りたくて仕方がなかった家庭だが、何らかの理由で家庭がストレスを受ける場になってしまい帰宅することが難しくなる。
うつ病や別居、離婚に発展することもあるらしい。
まあ、父親が帰宅せずに飲み歩くことは昔からよくあって、サザエさんでもそのシーンがあるくらいだ。
だが、波平やマスオの場合には寿司折をぶら下げて帰宅していたわけだから、家庭が怖いというわけでもなかったのだろう。
昨今の社会的問題になっている父親の帰宅恐怖や帰宅拒否は、心療内科分野のマターになっているらしい。
残業を減らそうという社会の風潮があっても、父親が真っ直ぐに帰らずに安い立ち飲み屋で時間を潰すとか、自宅の近くの公園で待機して家族が寝静まるまで待つとか。
私の場合も他人事ではなくて、確かに家庭に戻ることが怖いと感じた時期があった。駅前のネットカフェで休んだこともあったが、その場所は閉店してしまった。
夫婦共働きの風潮についてのメリットやデメリットは、当事者であれば説明する必要がないだろう。
その潮流の中で、父親たちにはとても大きな負荷がかかっている。
母親の方が大変だと言われれば確かにそうだが、今の父親たちは昔と同じくらい金を稼ぎ、しかも家事や育児もしなさいという考えが広がって、心身ともに追い詰められるようになった。
他方、父親たちからの苦痛の叫びは社会に響くことはない。なぜなら、それが望ましい父親像ではなく、家庭の悩みを外に出すことが男として恥だという不文律があるからだろう。
直接的な相関がどの程度あるのか分からないが、自殺者の7割が男性だ。
このような状態が続くのだから、適齢期でも結婚しない男性が増えることは容易に想像しうる。
最近では一人暮らしでパグやトイプードルといった小型犬を飼う独身男性が増えてきたそうだ。
なんてこったと思いはするが、妻子という存在はパグやトイプードルよりも遥かに扱いが難しい。
さて、先ほどの駅のガード下の隙間に入り込んでスマホを凝視して煙草を吸い続けている男性は、おそらく付近の団地に住んで育児に入った父親だと思う。
育児中に煙草を吸うなと妻から指摘され、しかも家で酒を飲むなと言われているのかもしれないな。
家事や育児の夫の担当が少ないと、妻から詰められ、職場では納期に追われ、しかも部下の面倒まで見なくてはならなくなり、相当に追い詰まっているのか。
妻にきつく指摘されたとしても、近い将来やってくる昇進試験のことを考えると、仕事への力を抜くわけにもいかない。
父親としては、出世して世帯収入を増やさねばと頑張ることだろう。当然だがストレスも増える。
夫が帰宅すればテーブルに料理があり、妻が冷えたビールを取り出して注いでくれるといった昔のドラマのシーンは夢物語でしかない。
かといって、毎日、外で夕食をとって帰宅するだけの小遣いもなく、駅のコンビニで発泡酒を買って喉に流し込み、先にアルコールを摂取してから帰宅して遅い夕食という形だな。
そのスタイルは若い頃なら何とかなるが、四十路になると身体にダメージが出てくる。
駅のホームで底辺飲みを晒している中年男性たちを眺めれば分かる。
腹周りが狸の置物のように膨らんだオッサンたちが多い。たまに痩せている人がいたりもするが、顔色が赤褐色や土色になっていたりする。肝機能の低下の徴候だ。それでもアルコールを自制することができない。家族は見て見ぬふりだろう。
結局、先の男性は、最寄り駅に着いてからニコチンとアルコールをチャージして、勢いを付けて自宅に帰ろうという気持ちなのだろうか。
家族が寝静まるまで深夜残業を続けるという手段があるかもしれないが、煙草と酒を心の拠り所にしているのだろう。
すでに言動に顕れているので、精神的にかなり追い詰まっているように見えるし、このままでは身体を壊してしまうことだろう。
しかし、誰に悩みを打ち明けることもなく、誰かが助けてくれるわけでもなく、苦しみを抱えて生きる。
それが昨今の父親たちの現実なのだろう。
育児中に趣味を楽しむことができないと嘆く父親は多いが、趣味を続けられるだけでもありがたいのが現在の育児中の父親の生活だ。
この国は昔から十分な支援もない状態で男たちを激戦に送ることがよくある。そこにあるのは精神論と同調的圧力だ。
無理を承知で耐えることが男の美徳だという風潮が変わらないから、独身男性がパグやトイプードルを飼い始めるんだ。
うちの妻はキレやすいが、私のサイクリングの趣味には寛大なので、その点では助かった。今ではキレることが減ったので、家庭が怖くなくなった。
だが、育児の厳しさを経験した上で振り返ると、他の世帯と自分の世帯を比べないことが最も大切だったな。
よくSNSやブログで他の育児中の父親の情報発信をチェックして、色々と嘆く父親がいたり、ポエムを発する父親がいたりもするが、それで何かが変わるわけでもない。
重要なことは妻との関係であって、その関係を真正面から受け止めたり、ある程度を諦めてライン引くことができれば、子育ては楽になる。
だが、若い父親は妻との関係については棚上げにして、その他の部分で自分に負荷をかけたり、色々とフラストレーションを溜めたりもするわけだ。
自分が経験した軌跡だから外から冷静に眺めることができるが、その状況の中にいた時には周りが見えなかった。
他の世帯では妻から投げられた物が飛んでくるのかと他の父親に尋ねても、心当たりがないという答えが返ってきたり、逆に高価なロードバイクを部屋の外で保管せよと怒る奥さんがいると聞いて、信じられない気持ちになった。
さらに、育てやすい子どもと育てにくい子どもは確かに存在する。自分の子どもは育てにくいと言いたくないのが父親の気持ちだ。
私の子どもたちは育てにくい。落ち着きがなくて、こだわりが強い。だからなんだという話で、それを受け止めざるをえない。父親なのだから。
とどのつまり、妻のタイプは無数で、子供のタイプも無数で、それらをかけ合わせたところに自分がいる。自分で答えを見つけるしかないというわけだ。
駅のガード下の柱の隙間に入り込み機関車のように煙を吹き出している男性を見かけ始めたのは、この数カ月くらいの話だ。
彼が育児中の父親ではないかという考えは、あくまで私の推察の域を出ていないが、精神状態として追い詰まっていることは分かる。
すでに壊れかけて公共の場で他者を巻き込んでいるが、私にはどうすることもできない。
このペースをあと半年、あと1年と続けていれば、彼の精神状態はさらに悪化することだろう。
彼のように不格好でも、ストレスに対して抗う余裕がある時はまだ大丈夫なんだ。
海や川の浅瀬を進んでいるうちに、一気に深みに落ち込むように淵がやってくる。父親がその状態になっても妻や子供たちは他人事だ。
そこからの淵が深い。助けを呼ぼうとしても声が出ず、手足をバタつかせても身体が沈んでいく。
辛うじて水面に出ている口から呼吸し、どうして自分は妻子と共に歩むのかとか、どうして自分は生きなければならないのかと考え始めたらループがやってくる。
ある朝、いつもと同じ朝、しかし自分だけが動かず、時間だけが過ぎていく朝。この瞬間の絶望は凄まじい。
まあとにかく、自分は自分、家庭は家庭ということで父親という役を演じながら生きる程度でちょうどいい。
あまりに主張が強い妻に対しては、離婚を前提に話し合う前に、どの程度まで譲歩することができるのか、同時に夫がどの程度まで譲歩することができるのか話し合う必要がある。
その線引きから逃げると、結局は自分に負荷がかかると思うわけだ。
機関車トーマスの彼も、禁煙してペダルを漕げばいい。
駅のガード下で無意味に過ごしている時間でローラー台に乗って汗を流した方が夫婦ともに健全だ。
...と思いながら今日もヤニ臭に顔をしかめながら通り過ぎる。
ガード下から煙草の臭いがしなくなることを望みながら、けれどそれが急になくなると心配だと思いながら。