2020/11/16

チーバくんの顔の辺りの緑豊かな場所を自由に走る

浦安の大ファンの正体を特定したからなのか、浦安市の行政の闇を照らしたからなのか分からないが、アクセス数が一時的に跳ね上がり、Google検索の順位が急上昇した。このブログは浦安の課題を袈裟斬りにするブログではないので、平凡なオッサンの生活録に戻る。さて、今回の柏市を中心としたサイクリングは本当に素晴らしくて、自らのHPをフル充電することができた。


HYPSENTの録の文章が鬱屈して暗いのは、電車通勤の最中に苦痛しのぎにスマホで打ち込んでいるからだな。こんな地獄のような環境で明るく面白い話なんて書けるはずがない。

浦安という街の裏側についてはよく知っているし、それらを大公開したい気持ちがなくはないが、そう遠くない将来、市外に引っ越すわけだ。それらを他者に知らせたところで何も変わらないことだろう。

この街の財政はすでに詰んでいて、もはや有効な策が見当たらない。経費の節減や事業の見直しは焼け石に水。財政調整基金も底をつき、赤字まっしぐらだな。

ディズニーや鉄鋼団地といった企業からの税金もそれなりに大きいが、やはり市民からの税金がこの街の財政の柱になっている。埋め立てによって土地を広げ、そこに住宅を作り、首都圏から高収入かつ働き盛りの若い世代を長期にわたって受け入れ続けたことで浦安市の財政力が高まった。

しかしながら、人も街もいつかは老いる。そのビジョンがなかったわけではないはずだが、市民が喜びそうな公共施設やサービスを増やし、市職員の給与も上げ、補助金もたくさん配ってきた。

その一方で、老朽化するインフラや施設の修繕については後回しになり、満足度の高さから市民は行政についての関心を持たなくなり、人も街も足るを知らなくなり、結果、この有様なのだろう。

あと4~5年もすれば浦安市の財政は大きく傾くことが試算されており、パンデミックによってそのペースが加速している。すでに来年度の予算が60億円程度不足するそうだ。

土地を広げることは不可能に近いし、住宅を増やすことにも限界がある。団塊世代を中心とした第一期の世代はすでにリタイアを迎え、団塊ジュニア世代を中心とした第二期、あるいはより若い世代がこの街の税収を支えることになる。

その間、この街に新たなイノベーションが生じて税収が増えるという見込みはないと思う。新浦安駅近くの団地群の大規模開発によって再び若くて高収入の世代を呼び込むというスキームがなくもないが、現時点で生活しているシニア世代はどうするのかという話だ。大きな変化は望めない。

ただでさえ赤字に向かっている状態で、大型地震による液状化あるいは大雨等による広範囲の水没が生じれば、一発で財政の致命傷になる。自主財源での復旧は困難だろう。財政が厳しい千葉県に頼ることは難しく、結果的には国に要望するしかないだろうな。

それなのに、街の財政力を誇って施設やサービスを増やし続けてきたのだから、やはり方向性を見誤ったのかもしれないな。貯金しておけば良かったのに。

だが、その方向性を求めたのは多くの市民だ。この街の人たちは街の財政や行政にあまり関心がない。自分のことばかり優先する。

「財政が悪化すると市の施設が老朽化し、サービスが低下し、経済的負担が増える」と言ったところで聞く耳を持たないことだろう。

何事も経験だ。その状況を実体験すればいい。その前に私は市外に引っ越す。

ただ、財政悪化のスピードが速すぎることが気がかりだな。引っ越しまでに財政が耐えられるだろうか。

さて、ようやくオッサンの自分語りに戻る。

最近、通勤地獄以外には大きなストレスもなく、大きな感情の谷にいるわけではないのに心の中が空虚になって何もする気が起こらないことがある。

全てに満足しうる毎日ではないけれど、仕事においては適度なバランスとペースで毎日が進んでいる。家庭においても妻が激怒することはほとんどない。子供たちは自分で自分のことができるようになり、会話も楽しい。ありがたいことだ。

にも関わらず、波形を描きながら生活のリズムや自分の感情が進んでいく毎日の中で、谷を過ぎて山に向かわずにベースラインで留まってフラットに進んでいる感じだ。

感情が枯渇した後の後遺症として、たまにあるらしい。

しかも、昨今は不安定な世の中だ。仕事の先も見えないが、次から次に依頼が降ってくる。

忙しい時期を抜けて落ち着いてくるのかと思ったら、再び次の波が来る。どれだけ予想しても次の展開が読めない。

気を張っていたところで緩み、再び気を張るということを何度繰り返すのか。

感情が谷に差し掛かり、そこから持ち直すということは大なり小なり誰にでもあることで、谷に差し掛かったところでどうやって自分を制御するのかということが大切だと思う。

まあとにかく、本日はせっかくの休日で天気も良く、サイクリングに適した気温だ。

しかし、ルーティンとして通っている袖ケ浦市までの内房ルートに出かけたいという気持ちが湧かない。それどころか、布団から起き上がる気力もない。

最低限の家事をやって、自室で映画を見たり居眠りして、スピンバイクを漕いで寝ようかと思ったが、それで心身が回復するのだろうか。

気持ちが低空飛行のまま平日が始まると厳しい。かといって、本当に疲れている状態で無理をするとモチベーションの前借りになる。

この辺の見極めが難しいな。生きることに疲れたら習慣を大切にし、生きることに飽きたら変化を大切にする。

状況は後者だ。私は変化を求めているのだろうか。

このような時には、とりあえず手賀沼を目指してロードバイクで走ることにしている。

手賀沼ルートは偶発的な出来事が生じることが多くて、ふとした地域住民や風景との出会いがある。

私の記憶が確かならば、手賀沼は浦安市の北の方角、柏市と我孫子市の間にある。

私は子育てを機に千葉県に引っ越したが、千葉県のことをよく知らない。真面目に記憶すれば覚えることができるのだが、昔の見聞録のように、あえて地図を覚えずに実際に訪れた方が楽しい気がする。

イメージとしては、チーバくんの顔が千葉県北西部に該当し、浦安市はベロに相当する。

チーバくんはオスだという話だが、千葉県の地形を眺めると股間の突起に該当する土地が存在する。

しかし、諸般の都合により突起が削除されている。この部分は富津市の一部だろうか。その地域の住民が不憫だ。表示されても表示されなくても子供に説明することが難しい。

もとい、浦安市の隣が市川市で、その隣が船橋市、その隣が千葉市...いや、習志野市が間に入っているな。最近まで市川市と船橋市の間にあると思っていた。実際に習志野市を訪れると、落ち着いていて素敵な街だった。

江戸川サイクリングロード沿いの松戸市、流山市、野田市の並びは分かるのだが、鎌ケ谷市と八千代市の位置関係が分からなかった。浦安市の北にある街が鎌ケ谷市。付近に白井市という街があるそうだが、一度も訪れたことがない。

千葉市の向こう側には四街道市や八街市という街があるらしい。私から見ると多くの謎に包まれた街だ。

もしかすると関所があって、千葉都民は通行手形がないと入れないというルールがあったりするのだろうか。

道に間違って八街市に入り込んでしまった時に叫ぶフレーズは決めてある。

それぞれの街にどのような特徴があるのかもあまり分かっていないし、千葉県の北西部は道路が細かく入り組んでいて、まるでアドベンチャーゲームのダンジョンのようだ。

それぞれの街にはそれぞれの良さがあり、サイクリングで訪れると新たな発見ばかりだ。とても新鮮で勉強になる。

例えば、河川敷の通称サイクリングロードに出かけると、たくさんのサイクリストが走っているわけだが、暇に感じることはないだろうか。

代わり映えのない風景、アップダウンのない地形、向かい風の直撃、そして見知らぬ人との脚力や機材のマウンティング。

狂ったように疾走するトライアスリートやロードレーサー、そしてニワカローディ。突っ走る以外に楽しみがないからだろう。

ストイックなトレーニングを好むか、サークルのグループライド等でない限り、飽きたり苦行になるかもしれないな。

ロードバイクのライドに飽きてくると、グルメスポットや絶景スポットといった目標を設定したり、社会人サークルで走るようになったりもするのだが、走ることが手段になってしまう。

ゆっくり走ろうと言っているにも関わらず疾走して自己愛を充たそうとする輩が出たり、自分では何ら提案しないのに新しいルートばかり求める輩が出たり、ライドに全く出てこないのに文句ばかり言う輩が出たりと、何かと人間関係が難しくなる。

結局、ソロライドに戻ったり、ロードバイクという趣味をやめてしまったりもする。

この趣味には様々な楽しみ方があるので、自分に合ったスタイルで走ることが大切だな。

内房方面のルーティンコースで無心になって走ることも好きだが、どうやら本日の気分はそれではないらしい。

とりあえず、新浦安から出よう。日の出地区からシンボルロードを北上して新浦安駅の近くの車道を走っていたら、東京ベイシティバスが私を追い越しながら幅寄せをかけてきた。

右手でバスの車体に触れるくらいの近さだ。私の左側には回避するようなスペースがない。このままだとサンドイッチだな。急減速して東京ベイシティバスの後方に回避する。

東京ベイシティバスのドライバーは時間通りに駅前のロータリーに入ることで頭が一杯なのか。

すると、背後では別の東京ベイシティバスが車間距離を詰めてきた。5メートルくらいか。落車したら間違いなく轢かれる。

乗務員の態度と運転について利用者からの評価が高くない東京ベイシティバスだが、これでも10年前に比べればずっと良くなった。

都営バスと比べて、東京ベイシティバスのドライバーは車道を走る自転車の追い越しや車間の取り方に慣れていない。

東京ベイシティバスのドライバーの中にも優しくて礼儀正しい人たちが多いわけだが、たまにトラック野郎に出てきそうな強面のドライバーがいたりもする。彼らに直接抗議しても、売られた喧嘩を買うような態度でかかってくることもある。

東京ベイシティバスの窓口に連絡しても構わないのだが、明らかにバスが危険な場合には、バスの四方に表示されている車両の番号を記憶して、浦安警察署に通報することにしている。

警察が東京ベイシティバスに立ち入り、ドライブレコーダーをチェックしてくれるので、話が早い。

では、東京ベイシティバスのドライバーの中にどうしてこのような荒い運転をする人が多いのかというと、確かにバスドライバーも大変だと思う。人だけでなく自動車が多過ぎるんだ、この街は。

さらに、市民がせっかちでピーキーなので、少し遅れただけでもクレームを飛ばしたりもする。

歩道に自転車が通行するためのスペースがあるにも関わらず、車道をロードバイクで走っていたら幅寄せなり煽りなどをやってやろうという気持ちになったりもするのだろう。

これもまた、この街の歪みのひとつだ。

海を埋め立てて人が住むなんて自然の摂理に反していると思うし、この街の人たちの言動には個人の性格だけでなく、人工的でストレスフルな環境が影響していると思う。

新浦安を抜けて市川市に入ると、急に気分が楽になり元気が出てきた。住んでいるだけで元気が損なわれる街という事実は凄いな。自分でも驚く。

浦安を離れて手賀沼に向かって一般道を進む。

原木中山から中山競馬場の前の北方十字路で右折し、馬込十字路で左折した後は一本道で手賀沼に到着する。

このルートは片道一車線で、自動車で混み合う道路がずっと続く。全く快適ではないのだが、のんびりとペースを整えたい時に重宝する。

道端の店舗がたくさんあって暇にならないし、帰りに立ち寄りたくなるようなラーメン屋や蕎麦屋も並んでいる。

信号待ちが多くてストップアンドゴーばかりだが、渋滞によって自動車がノロノロと走るので危険も少ないと思う。

ハンドサインで自動車のドライバーに挨拶をすると、とても気を遣ってくださる。

自転車は車道を走っても構わないわけだが、ロードバイク乗りはそれを当然だと思わずに、走っているのではなくて走らせてもらっているという態度になると、自動車のドライバーから丁寧に扱ってもらえる。東京ベイシティバスはこの限りではないが。

渋滞の時のドライバーはストレスがかかるだろうから、見知らぬ自転車乗りとのちょっとしたコミュニケーションが暇つぶしにいいのかもしれない。

中山競馬場の前で勝負に出る人たちの全集中の目つきを見て、このような趣味もあるのだなと思った。酷くボロボロになったジャンバーを着た中年男性を見かけたが、競馬に金を使わずに服を買えばよいのにと思った。

鎌ケ谷市に入ったくらいで、緩やかな下り基調の道の信号が赤になった。

停止線で止まっていたら、歩道を通りがかったシニアの婦人から声をかけられた。

彼女は、「まあ、きちんと停まるのね!ここは停まらない自転車が多いのよー!」と、ロードバイク乗りが信号を守っている姿を感心してくださった。

千葉市だと別のルートから手賀沼にアクセスするだろうから、船橋市や市川市のローディが信号を守らないということだろうか。浦安市の人かもしれないが。

私が言うのもアレだが、ロードバイク乗りには我が強くて変わった人が多い。赤信号無視もよくある。

自転車の乗り方には、乗っている人の内面が映し出されるな。トレーニング目的であれば、ゼロ発進から加速した方が負荷がかかってよいはずだ。

しかし、浦安市の新町なんて、ロードバイク乗りだけでなく、シティサイクルに乗っている老若男女が赤信号を突っ切っていく。

声をかけてくださったシニアの婦人に「安全第一ですから」と答えて、再びペダルを回す。

小学校の先生に褒められた男の子の気分だな。ようやく気分が上向いてきた。

鎌ケ谷市内の両サイドが森のようになった車道を走り、何度かのアップダウンが続き、そこを抜けると手賀沼が見えてくる。

浦安市から片道30kmくらいだろうか。初めて手賀沼を訪れた時には感動したが、すでにランドマークのような存在になってしまっている。

空は広く、青い。

新浦安住まいのストレスも、ここまで来ると消えてなくなり、とても爽快な気分だ。

手賀沼にかかる橋の上で休憩し、これからのルートを思案する。

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復路は時間をかけて走りたい。

この橋を越えると我孫子市に入り、しばらく走り続けると取手市にたどり着く。自転車で茨城県まで行くことは難くないが、これくらいの距離が離れただけで方言が違うことに驚く。

ふと思い出したことがあって、今日はその走り方を試してみることにした。

普通のサイクリングの場合、どこかに目的地を設定して、ルートを決め、それに従って走るわけだ。

最近ではガーミンやスマホのナビゲーションが発達して、迷わずに走ることができたりもする。

しかし、その状況がサイクリングの面白さを削いでしまっているのではないかと感じていた。

ロードバイクの走り自体を楽しんだり、黙々とペダルを回しながら考えや気持ちを落ち着ける場合にはルーティンコースの方が適している。

しかし、趣向を変えて、ルートを設定せずに自由に走るというスタイルが楽しいという話を耳にした。

ポタリングの長距離モードというイメージだろうか。

グループライドの場合には途中で揉めるだろうから、ソロライドの良さだな。

また、ゴリゴリのフルカーボンのロードバイクでピチパンを履いたスタイルだと恥ずかしい走り方かもしれない。

クラシックなクロモリロードバイクにニッカーとリュックであれば、明らかに自転車で小旅行にやってきた人だと分かる。

サイクル用のナビは高性能だが、検索してヒットするルートが必ずしも走りやすいルートであるとは限らない。

脇道に面白い道があるのに素通りしてしまったり、ナビに管理されながら走ることに飽きてしまった人たちが、ある程度の目標だけを決めて方角だけを頼りに走ることがあるそうだ。

面白そうじゃないか。やってみよう。

時間としては、あと50kmくらい走ることができそうだ。最終的には浦安に戻らざるをえないわけだが、その他は気が赴くままに走る。

手前の交差点を左折し、手賀沼の南側に回り込んだ後、南西の方角を目指して走ればよいわけだな。

おお、これは楽しい。こんなところに大きな公園があったなんて知らなかった。

歩いても登れそうにない激坂が目の前に立ちはだかり、驚いて脇道に迂回する。どうやら城跡のようだ。

このアドベンチャー的な要素が面白い。

今走っている柏市に限らず、千葉県北西部は人が多い市域と人が少ない市域の対比が分かりやすい。

しかし、道路自体は人が多い場所だけでなく、森や丘にも幅広く敷設されている感がある。

住宅地から他の市、あるいはショッピングエリアに繋がる道路は自動車が混んでいたり、渋滞を起こしているが、人が少ないエリアは自動車がほとんど通らず歩行者も少ないので、信じられないくらいに走りやすい。

今までナビが描くルートばかり走ってきたので、そのようなことに気付かずにいた。

千葉県北西部の衛星画像を眺めた時、想像以上に緑が多いという印象があった。このような場所をロードバイクで走るとどのような感じなのだろうかと思った。

そして、今、実際に走っている。最高だな。この適度なアップダウンも変化があっていい。

ポタリングとは言えないくらいの強度があって、この絶妙な心拍数の高さが心地良い。

一眼レフカメラなどの撮影を趣味とするサイクリストにとっては、ネットで映える光景がたくさんある。私は写真に興味がないので走り続ける。

しかも、高速道路のサービスエリアのように点在するコンビニが広くて入りやすい。

柏市内には住宅や店舗もあるが、緑も多い。というか、普通の千葉県の地方の自治体という感じだが、その割に子供たちの多さに驚く。

中学校や高校では、たくさんの若者たちが部活動で汗を流している。柏市は少し前に若い子育て世代が流入することで人口爆発とも表現される状況になった。移り住んできた人たちの子供が、今、育ち盛りになって学校に通っているというわけか。

報道だけでは分からなかったが、この街にどうして多くの子育て世代が移り住むようになったのか、自転車で街の中を走っているとよく理解することができる。本当に素晴らしい街だな。

住宅街を抜けて適当に走っていたら、森と農地が広がる場所にやってきた。

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刈り取られた稲の跡を眺めて、すでに近づいている年の瀬を感じた。

色々と大変な一年だったけれど、間違いなく時間は流れていて、こうやって稲を植えて米を収穫した農家の皆さんもおられたわけだ。

スマホで写真を撮っていたら、農道を抜け道として通行しているであろう一台のミニバンが走ってきた。若い夫婦と子供が乗っている。

軽く手を挙げて挨拶しながら道の端にロードバイクを寄せると、私を追い越した後のミニバンの助手席の窓から手が伸びた。

その手はピースサインになっていた。

私の格好は、どう見ても他の街からロードバイクに乗ってやってきた旅人風だったので、街の人が挨拶を返してくださったのだろう。とても気持ちが温かくなった。

そして、再び稲田から広がる光景を眺める。

私は地方の田舎の出身なので、子供の頃から稲田を眺めながら育った。幼い頃や成長期に脳に入力された情報は、五十路が近くなってもどこかに記憶されていて、ふとした懐かしさや安心感を覚えるのだろう。

妻は子供の頃から人生の多くを浦安で過ごしてきたわけで、私にはスペースコロニーのように感じる人工的な街こそが身近な環境だった。

もちろん千葉県内のそれぞれの自治体と比べて、浦安市ほど利便性の高い街はないと思う。生活において必要なことは金さえあれば面倒なく手に入る。

けれど、その高い利便性とは背離した形で、何かを失ってきたのかもしれないな。この状態が普通だと感じている人たちには見えないことだ。

たまに停車してスマホのGPSで現在地を確認しながら、柏市から浦安市に向かって走り続けた。

マップ機能が付いたガーミンを買おうと思ったこともあるのだが、走りながら画面を見つめると危険だ。

というか、スマホの方位コンパスはGPS機能によって測定しているからだろうか、方角が狂って表示されることがある。何度か方向を間違えて面倒になり、途中から太陽の方向を参考にしながら走ることにした。

東から西に向かって太陽が沈むのだから、西の方角は分かる。帰宅したら、クラシックなコンパスをAmazonで注文しようと思った。

農道を抜けた後は、緑が豊かなアップダウンのある道を走り続けることになった。方向がずれたとしても、自分が走りたい道を走る。

森の中なのに道路があるという光景は不思議だな。

ところどころに墓地があり、人の気配を全く感じない場所を走っていく。たまに自動車に追い越されると逆に安心するくらいだ。

ポタリングのペースというよりも、ツーリングのペースなのでそれなりの強度もあり、実に楽しい。

世の中には、サイクリングと人生とを重ね合わせることが好きな人と嫌いな人がいて、私は前者だな。アインシュタイン博士でさえ前者だったのだから、多くの人たちがそうなのだろう。

あらかじめ決められたルートに従って走ることは効率的だ。しかし、その道が必ずしも自分にとって快適で望ましいルートであるとは限らない。

また、そのルートを通ること、あるいは目的地に到着することに固執しすぎて、走り続けることがただの手段となり、他の道の存在に気付かないこともある。

それらを私の人生に重ね合わせると、若い頃に設定した目的地やルートとは違った生き方になっていることは明らかだ。私はその乖離を不満に感じたり、抗うことで感情を波立たせてきた。

さらにストレスが増えて感情を失うことまであった。

しかし、落ち着いて考えてみると、目的地やルートにこだわり続けて、生きること自体を楽しむという気持ちが足りなかった。

明確なビジョンに基づくライフプランは、とりわけ若い頃はとても大切だと思う。

しかし、人生も折り返しを迎え、そろそろ生き方を見渡して、考え方を変える時期に差し掛かったのだろう。

方角だけは間違えないように、しかしあまり目的地やルートにこだわり過ぎないこと。それが大切だな。

どんな生き方でも喜びや悲しみはあるはずで、妻も子供たちもあまり不自由なく生活している。それだって素晴らしいことなんだな。

ルートを決めずに走っていたら、ありのみコースの前にやってきた。ここは確か市川市だったな。サイクル仲間に連れられて何度も通ったことがある。

市川市に入るとさすがにある程度の道が分かるので、アドベンチャーは終了だ。

いつものコースで新浦安に戻ると、シンボルロードの車道は相変わらず高級車と業務用の大型車が疾走し、歩道では自転車が赤信号を無視して暴走している。

自動車や自転車の運転は、人の内面を綺麗に映し出す。本当に分かりやすい。

千葉県北西部の他の街をサイクリングで走った後で新浦安に帰ってくると、明らかに異質なくらいに人工的でピーキーな街だということを再認識する。この状況で私がストレスを感じないはずがない。

周辺の自治体にも千葉都民がたくさん住んでいるわけだが、長時間の通勤が辛くても街に帰ればリラックスすることができる。それがベッドタウンの良さだ。

ところが、浦安市にはそれが感じられない。人口密度が高くて騒がしく、街が狭い上に神経質で短気な住民が多い。

疲れて帰って来た街が安らぎの場にならないと、疲れがさらに増悪する。凄いと思うよ、この街を気に入って住んでいる人たちは。

かといって、今さらどう感じようと街は変わらない。適度にストレスを取り除きながらHPを回復させ、引っ越しまでの期間を耐え抜くのみだな。

近くに素晴らしい街がたくさんあって助かった。

自宅に戻ると、手頃な方位磁石をネットで探して、いくつか注文した。ひとつ1000円もしないくらいのアナログコンパスだ。

これをクロモリロードバイクに取り付けて、方向だけを頼りに適当に走ろうと思う。