中学受験で保護者にやってくるクライシス
休日は子供たちが受験塾に通っているので、送り迎えがある。夜の迎えは行っておこうかなと塾まで出向くと、父親の趣味だなんだと言っていられないくらいの重々しい雰囲気を感じる。
一斉休校や外出自粛があった今年は、中学受験においても非常事態を招いているそうだ。
子供たちの学習の進捗だけでなく、受験モードへの気持ちの切り替えが遅れているらしい。
中学受験は子供だけの個人戦ではなくて、ヨーロッパのサイクルレースのようなチーム戦だな。
受験塾の講師たちがトレインの先頭でポジションを確保したり、エースである子供を守りながら引っ張っていく。
私たちのような保護者は予備のホイールやバイク、ドリンク等をたくさん積んだサポートカーに乗り、コンディションやチームの情報を分析しながら併走している感じ。
講師たちはゴール手前のスプリント勝負になるまでエースである子供を引っ張り続け、ギリギリのタイミングでエースを射出する。
混戦を抜けて両手を天に挙げながらゴールするエースがいれば、かわされたり落車するエースもいる。
加えて、保護者の中にはサポートカーでは足らないと、自らバイクに乗り、ルーラーのようにエースを引っ張ったり、スプリント勝負でアシストがエースよりも先にゴールしてしまう勢いの人が珍しくない。
我が家の場合、私は志望校の選定どころか塾の選定さえ子供と妻に任せている。
長時間の労働と通勤で、平日の私は父親として家庭のことに参加できずにいる。
休日だけ中途半端に中学受験に関わるよりも、主人公である子供と、命懸けで子供を産んでくれた妻がルートを決めてくれればと思っている。
とはいえ、平日の塾の迎えや学習のペースのチェックなどを妻に丸投げしているわけで、単に頼りない父親だな。
中学受験に失敗しても先はあるが、私が仕事に失敗したり心身を壊して倒れたら先がなくなる。
これだけ余裕のない状態で中学受験のことまで私が受け持つと、間違いなく負荷の限度を超えて倒れる。
地道に働いて家庭に金を入れ、子供が進学する際の経済的な土台を用意することが父親として最大限の努力だと思う。
妻の理想は高く、しかも男女同権主義だ。子育てにおいては夫婦で同じ負荷が必要だと思っているだろうけれど、何とか堪えてくれているようだ。
さて、「中学受験においては、子供だけでなく親の精神にもクライシスがやってくる」と二月の勝者に書かれていて、私は背筋が凍る気持ちになった。
これは漫画の話だけではなくて、一般的な事象として知られているらしい。
私は受験で不合格になったことがないので細かなことは知らないが、大学受験の場合には落ちても浪人してから受け直すというルートがある。
私の実家は大きな借金を抱えていたので、滑り止めの大学を受験することも浪人することも許されなかった。
私の両親は入試の競争率なんて気にせずに進むような専門学校や高校を卒業して働きに出たので、大学受験の経験がない。
経済的に苦しかったので、私が塾に通いたいと希望しても「そんな余裕がどこにある!?」と母がキレるような状態だった。
当然のごとく進路の選定における両親の意見は酷いもので、見識の狭さには辟易した。
私が大学を卒業してから郷里に戻り、親の面倒を見ろという主張は明確だったが、職業の選択を含めたビジョンなんてあるはずもない。
志望校の選定についても両親がゴチャゴチャと口を出し、私に自由はなかった。
その上、親が子供の大学受験のセーフティを用意せずに、「落ちたら働け」と言い放つのだから始末に負えない。
大学を出てから郷里に戻る気なんて全くない状態で家を出た。
進路についてゴチャゴチャと言ったり、様々な職業についてのビジョンがなかったり、経済的に苦しくて子供を塾に通わせられなかったり、セーフティを用意せずに受験させるような父親にはなりたくないと思った。
受けたい大学を受けて、不合格になっても浪人することができた人たちを羨ましく感じるな。
その一年が人生で大きなロスであるはずもなく、落ち着いて進路を考える上で大切な時期なのかもしれない。私もそのような時間が欲しかった。
まあ、私の実家のような経済状況ではないだけでも、うちの子供たちは恵まれている。
もとい、中学受験の場合には、学力やモチベーションが波打つ子供が試験に挑むわけで、浪人するというルートは一般的ではないが、首都圏であれば受験のチャンスが多い。
だが、限られた期間で複数の中学の出題傾向を把握し、必要な武器となる学力を取り揃えるのは大変だ。
相当な分析能力とネットワークを有する受験塾が必要になる。
しかも、子供の学習のペースを調整したり、モチベーションを上げるのは親の役目になる。
大学受験の場合には、将来の職業へのビジョンが近いところにあるし、高校生あるいは浪人生であれば個人の考えがある程度は固まる。
中学受験の場合には、子供たちのビジョン自体がフワフワと漂う感じになっていて、目的意識をどうやって引き出すかが課題になる。
それにしても...中学受験でよくある保護者のクライシスとはなんだろうか。
まあ予想することはできるが気が重い。子供ではなく、保護者の方が中学受験のプレッシャーに耐えられなくなるということだろう。
成績の伸び悩みとか、迫ってくる決戦前の空気に飲み込まれるとか。
妻は大雑把な性格だが、一部にこだわりが強く、メンタルとして線が細い部分もある。
何事も自分で抱え込もうとして、キャパシティを超えてプツンと切れて激昂するというパターンだ。
市内に住む義実家も、中学受験について色々と口を出していることだろう。口を出す前に塾の送迎を手伝ってほしいものだ。
手も金も出さずに口を出すことの方が楽だろうけれど、ずっと黙ってくれていた方が私は気分が楽だ。待っていればその時期が来るだろうけれど。
中学受験のクライシスがやってくれば、せっかく落ち着いてきている妻が再びキレて暴れるようになるのだろうか。
しかも、上の子供を競輪選手に例えると、先頭のポジションでペースを巧みに維持しながらゴールする「逃げ屋」ではない。
むしろ、後半のギリギリのタイミングでアクセルがかかり、猛烈な勢いでゴールに飛び込む「捲り屋」だな。
九州のハヤブサと呼ばれた中野浩一氏のように最終コーナーを過ぎてから豪快なスプリントで捲っていくことだろう。
塾の担任からの「未知数」という評価も肯ける。
たまに、このような子供が最難関に合格することがあって、「ジャイアント・キリング」と呼ばれるそうだ。巨人の首を取ってくるという意味だろう。
だが、子供に連れ添う母親としては、捲り屋よりも逃げ屋の方が精神的に楽だ。
捲りが不発に終わったら、妻にクライシスがやってくる気がする。その時、私は耐えることができるだろうか。
クライシスをあらかじめ軽減するべく妻から要望を聞くと、受験当日の子供の付添いを私が担当してほしいとのこと。
確かに受験当日はプレッシャーがかかって妻が疲れそうだな。しかも妻は寒さが苦手なので辛いことだろう。
なるほどそうかと思い、私は快諾した。
それにしても、バーンアウトのクライシスがあって、夫婦関係のクライシスがあって、今度は中学受験のクライシスか。
クライシスだらけだな。