子供がインフルで看病
先週は休日にも働いていたのでさすがに休みたいが、働く場所があるだけラッキーだろう。
この調子なら今度こそ休日に休むことができるはず。まあ共働きで子育てを続けている夫婦にとって、本当に休むことができる休日はないかもしれない。
通勤電車は師走の雰囲気を漂わせながら走る。
新年を迎えたからといって自分自身の何かが変わるはずはなくて、社会の波の勢いが押したり引いたりするだけのこと。さすがに五十路が見えてきたのでこの波には随分と飽きてきた。
通勤の途中で電車を乗り換える。改札を通った時、交通系ICカードの残高が52円という寂しい数字が表示された。
さすがに情けないので駅でカードにチャージしようとする。しかし、この機械が紙幣を認識してくれない。
なんだこれは偽札なのかと確認していた時、ポケットに入れてある携帯電話に着信のコールがあった。
携帯電話には、あまり見慣れない数字が並んでいる。
嫌な予感がする。
これは子供たちが通っている小学校の電話番号だ。
紙幣を適当にポケットに突っ込んで携帯電話を耳に当てると、下の子供の担任の先生からの声が聞こえた。
授業中に38.5℃を超える発熱があって、保健室で休んでいるから子供を迎えに来てくださいという内容だった。
担任の先生の声のトーンから、「インフル! たぶんインフル!」という気持ちが伝わってくる。
なんてことだ...2回もワクチンを接種したのにこれか...
インフルエンザと油断するのは良くない。希ではあるが急性の脳症で亡くなる人もいる。気をつけねば。
学校で発熱して親を待つ我が子はとても辛いことだろう。
年末の忙しい時期に仕事を休まねばならない私も辛い。
担任の先生から私に電話があったということは、先に妻に連絡したが電話に出なかったということだろう。
妻がフルタイムの共働きではよくあることだ。
この状況の場合、同じ浦安市に住んでいる妻の両親、つまり私の義父母に電話をかけて一時的に預かってもらうという選択肢があるのだが、残念ながら義父母は孫育てについてはあまり積極的ではない。
以前は義実家との関係についてとても悩んだけれど、それならば義父母の介護や葬儀をサポートしないと私は決めて、核家族状態で共働きの子育てを続けている。
すでに職場の近くまでやってきた段階でのUターンは、まさに賽の河原で石が吹っ飛ぶ感じではあるけれど、子供が熱を出して苦しんでいるのに文句を言っている場合ではない。
担任の先生には子供を迎えに行くと伝えて、電車に乗って浦安にとんぼ返り。
症状と学校での流行の状態を考えると、下の子供はインフルエンザウイルスに感染して発症したと思われる。この急な発熱を考えると可能性は高いことだろう。
核家族状態で夫婦共働きを続けている世帯にとって、子供のインフルエンザは病気以外にも深刻なことがある。
発症してから5日が経過して、かつ解熱してから2日が経過するまで出席停止になる。
夫もしくは妻が連続して5日間も仕事を休むことは難しいので、夫と妻で交代しながら有給休暇を取得して対応することになる。
夫も妻も休むことが難しい場合には、浦安市内の病児病後児保育が空いていればお願いするというスキームだ。
それでも子供たちは小学生なので随分と風邪を引かなくなって親としては助かっている。保育園児の頃は本当に大変だった。
以前、どこかの人が「子供が病気の時くらい親が寄り添うべきだ」と言って炎上したことがある。
確かに正論かもしれないが、往々にして社会がそれを許さないくらいに余裕がないからこそ親が困っている。
仕事という活動は本人の生き甲斐であったり、生きる意味になったりもするが、多くは生計を立てるための手段という位置づけになることだろう。
苦しんでいる我が子を誰かに預けて仕事に行かねばならない社会というは、よくよく考えると社会が子育てをサポートしているとはいえない。
収入面を含めて、社会から子育て世代への理解や支援が十分ではなく、人々が次世代を育てる気力をなくした時、社会は衰える。
その影響は子育てをしている当事者だけではなくて社会全体に及ぶ。
今の日本の姿を象徴しているかのようだ。
しかしながら、冷静になって考えてみると、私はあまり休みを取らずに働いていたので疲れているし、子供と一緒に過ごす時間も少ない。
仕事を休んで看病をすることも父親のあるべき姿だろう。
さっそく駅から職場に携帯電話をかける。うちの職場は忙しいが幸いなことに子育てには理解があるのでとても助かる。
だからといって仕事が楽になるわけでもないが、私は子供が病気の時には堂々と休むことにしている。
職場によっては子供の看病のために父親が休むとは何たることだという風潮が未だに残っていたりもする。
それぞれの職業人にはそれぞれの都合がある。
男は仕事で女は家庭という都市部のライフスタイルがあまりに長く続いたからなのか、人々の生活の変化に社会が追い付いていない。
電車の中で小児科クリニックの開業時間をチェックし、駅に着いた時点で念のため電話をかけて診察が可能かどうかを確認。
途中のコンビニでスポーツドリンクとおかゆのパックを購入する。
一度、自宅に立ち寄って仕事用品を降ろし、小児用のマスク、子供の保険証、医療費助成受給券、クリニックの診察券をバッグに入れて小学校へ。
念のため吐瀉物や鼻をかんだ後のティッシュを入れるためのビニール袋、それと何かと便利なウェットティッシュも携行する。
妻が専業主婦の世帯ならば父親が慌ててしまうかもしれないが、共働きの世帯なら特に考えることもなく行うルーティンだ。
小学校の事務室に一言伝えてから保健室へ。
黒のレザーのミニスカートと網タイツに白衣をまとって、縁のとがった眼鏡を付けて、カールした栗色の髪をなびかせる保健室の先生が迎えてくれ...
...るような期待があるかもしれないが、それは中年親父の妄想でしかない。
保健室では私服姿の看護師のような雰囲気の真面目そうな先生が迎えてくださった。
というか、本当に看護師なのかもしれない。かなりの練度だった。インフェクションコントロールとしてはパーフェクトに近い。
我が子には感染防止のためのマスクを付けてくださり、高熱での脱水症状を考えて補水を行ってくれていた。
私が到着するまで我慢した我が子は本当に辛かったと思う。私の顔を見て「ヤッター!」と喜んでいた。本当に申し訳ない。
それにしても爺婆は孫が可愛くないのかと憤りが高まってくる。
しかし、我が子を観察すると、あまりインフルとは思えないような感じだった。発熱こそあるが、本当にインフルなのだろうか。
この時期にインフルで出席停止は、親としても出勤できなくなるので厳しい。師走のこの時期に。
頼む、インフル以外の風邪であってくれと願う。
子供のランドセルを手に持って、そこから小児科クリニックに直行。午前の診察には間に合いそうだ。
日の出地区には、「かんだこどもクリニック」という名前の小児科クリニックがある。このクリニックは駅から遠くて、あまり混み合っていないのでとても助かっている。
かんだこどもクリニックの院長先生はフランクな話し方が特徴で、しかしかなりの名医だと私は敬服している。
彼はクリニックを開業する前、大きな病院で勤務されていて、風邪を引いたとか熱を出したとか、そんなレベルではない重篤な症例を数多く経験してこられた。
彼には修羅場のような状況を耐え抜いた人だからこそ有する余裕が感じられる。
しかも、ワクチンについて怖ろしく詳しい。同じ種類のワクチンであっても、メーカーごとの力価の違いにさえ言及されることがある。
小児科の開業医の中でここまでワクチンに詳しいドクターは国内で珍しいかもしれない。
いつも蝶ネクタイを付けてウィットとユーモアに富んだ物言いをされるので、会話がとても楽しい。
彼は東京工業大学を卒業し大手企業で勤務した後、長崎大学の医学部に入学して医師になったということで、院内には「ドロップアウトの先駆け」とご紹介くださっている。
私もドロップアウト組なのでとても共感が持てる。
子供が保育園児だった頃、今回のように保育園で高熱を出して、私が迎えに行ったことがあった。その時は、子供が副園長先生に抱っこされて待っていてくれた。
診察室の前の長椅子で我が子と並んで、当時のことを尋ねてみる。子供はその時に迎えに行った私のことをきちんと覚えてくれていた。
子育ては長いようで短いようで、同じような毎日を繰り返しているうちに子供が少しずつ大きくなっていく。
その過程で、子供が熱を出して親が迎えに行ったり看病するという事象は度々あるのだが、子供は親の姿をきちんと見てくれていたりもする。
その苦労だって親子の思い出なのだろうなと思う。
診察室で先生が我が子を診てくださった時、「うーん、インフルなのかな...」という感じで腑に落ちない感じだった。インフルにしては元気だし、体温を測っても極度の発熱とは言い難い。
ワクチンを2回も接種していたからだろうか。やはりインフルエンザとしては非典型的だな。
検査をしてみようという話で、簡易検査キットからスワブを取り出し、我が子の鼻に入れる。
父親としては「これはね、注射よりも痛くないから、大丈夫だからね」と我が子を安心させる。
間髪入れずに、「いや、これは痛いって! 大人でも痛いって!」と力説する神田先生。
凍る我が子。確かに痛いけれど、この正直さが先生の魅力でもある。
このキットはデンカ生研のFlu2だな。金コロイドや酵素ではなくて、ラテックス粒子で抗インフルエンザウイルス抗体を標識してイムノクロマトの反応を高めたタイプ。
スワブの洗浄液を検査キットに滴下した後、抗体とウイルス抗原が反応した後のラインが出てこない。「あれー、インフルじゃないの!?」と悩む先生。
まだ滴下してから数分しか経っていないが、強陽性の場合には確かにこれくらいでもラインが出てきたりする。
我が子は鼻にスワブを突っ込まれた後で「痛いじゃないか! 痛いじゃないか!」と怒り続けている。
しばらく経つと、インフルAのラインに赤いラインが少しだけ浮き上がってきた。
「ああ、インフルですね」という神田先生のお言葉を聞く前に、すでに私は仏頂面になっていた。
年末がさらに厳しくなった。
タミフルが入ったビニール袋とランドセルをぶら下げて自宅に帰る。
我が子の前でホーキーポーキーのアイスクリームを盛り付け、タミフルをかけて食べさせる。
アイスにタミフルをかけると苦くなるので良くないそうだが、お薬のめたねというゼリーが手元にない。ホーキーポーキーのキャラメル味がタミフルに勝ったようだ。
さすがに高熱で疲れているのだろう。我が子は布団の上でぐったりしている。
すぐ近くで「お父さん、ここにいるから、何かあった呼ぶんだぞ」と子供に伝えて私も寝る。
数時間くらいウトウトしていたら、「お腹空いた!」という子供の声で目が覚めた。
おかゆを食べさせようと思ったら、本人はグラタンが食べたいとのこと。グラタン? 冷凍庫のストックを探したらグラタンが出てきた。妻よ、ありがとう。
電子レンジで加熱したグラタンをテーブルに置いただけの父から子への昼食。それと薄めたスポーツドリンク。これでも私は精一杯なんだ。
熱いグラタンにかぶりついて「アチッ!」と叫ぶ我が子。そこまで元気なら大丈夫だろう。
「たまにはお父さんも頼りになるだろ?」と子供に尋ねると、「まあ、そうだね」という上からな返事がやってきた。
翌日から下の子供は元気過ぎて出席停止が退屈で仕方がないという事態になった。
元気になったから良しとしよう。