2020/10/19

細かな感動が散りばめられた小学校の運動会

休日出勤の深夜残業というモンスターエナジー2本コースが終わって、疲れて充血した目を擦りながら、大嫌いな電車通勤で浦安に帰る。ヘッドホンから流れるBGMは人間椅子というバンドのベストアルバムで、「現世は夢」というタイトル。


基本的に地獄を舞台にした内容の曲が並んでいて、かなりキているように思えるが、実際にキている。

人間椅子は、1970年代の海外のロックバンドから影響を受けているが、とりわけヘヴィメタルの先駆けのBLACK SABBATHの色合いが濃い。

腹の底まで伝わる野太い重低音から始まり、曲の中盤からリフチェンジやリズムチェンジに入るところはブラックサバスそっくりだな。

携帯音楽プレーヤーのプレイリストが進み、「死神の饗宴」という曲に差し掛かった。

とても不吉な雰囲気の曲だが、「死にゆくまで、生き抜くのだ」という理屈を超えた力強いフレーズがとても好きで励まされる。

私は子供の頃から感の強い子供だったからなのか、社会全体に漂う何かを自分で勝手に感じて想像する癖があったりする。

今、社会に何が漂っているように感じるのか。

正体不明の感染症に対して社会が耐えている真っ最中は、皆が気を張っていた。しかし、少しずつ社会がその脅威に対して慣れてきた。この気持ちの緩みと秋や冬の低気温がやってくるのはあまりよろしくない状況だな。

多くの人たちのメンタルが一気に沈んで倒れたり、自ら命を絶ってしまうような死神の気配が漂っている。

妻から話を聞いて驚いたのだが、外資系企業の社員たちは今でも在宅で仕事をしていることが多いそうだ。

なるほど、都内への通勤電車がかつての頃よりも混み合わないので私は助かっていたのだが、そのような背景があるのだろうか。

しかしながら、独身や子供がいない夫婦、あるいは子供が大きくなった家庭ならまだしも、小さな子供を育てながら在宅勤務を続けている夫婦にとっては厳しいはずだ。

子育てがないのなら在宅勤務もたまにはいいが、子育てを続けながら在宅勤務という形態は、通常の勤務よりも遥かに厳しい。

とりわけ、父親が在宅勤務で育児というスタイルになると、かつてのイクメンキャンペーンどころではない負荷がかかり、もはや趣味を楽しむ時間やモチベーションもなくなるかもしれない。

私の場合には、こんなに忙しいのに在宅で働けという指示が上から飛んできて、在宅でどうやって仕事するんだよと思いながら1ヵ月くらいを耐えたが、私の人生であれほど厳しい時期は少なかったな。

しかし、妻の話が本当ならば、外資系企業の社員たちは、夏が過ぎて冬が見えてきた今でも在宅勤務を続けている場合があるということなのか。

そういえば、人間の精神を崩壊させるための拷問の中に、狭い場所に閉じ込めた後、いつ終わるかも分からない繰り返し作業を続けさせるという方法があったな。

日本には日本のやり方があるのに、海外のやり方が日本で行われるのが外資系企業の恐いところだ。社会実験のようにならないことを願うばかりだが、この状況でメンタルを維持するのはさすがに厳しいことだろう。

さて、ここからブラックサバスや人間椅子のヘヴィメタルのように話のリフチェンジが始まる。

我が子たちが小学校に通っているわけだが、どう考えても人が密になる運動会というイベントは中止になると思っていた。実際には5月頃に開催される運動会が中止になったので、今年の運動会はないと信じ切っていた。

しかし、浦安市内の小学校は午前中のみ運動会を開催するらしい。教師たちが放つ凄まじい熱量を感じる。

休日出勤の残業から帰宅して布団に倒れ込んだら、頼みもしないのに日曜日の朝が来た。

妻が朝から頑張ったのだろう。パンケーキに生ハムやサラダというホテルのモーニングのような朝食が置かれていて、子供たちはすでに小学校に登校したようだ。

「マスクを付けるのだから目の部分だけでいいじゃないか」という私の意見を無視する形で妻は念入りにメイクを施し、私を置いて先に小学校に向かった。

このような時、普通は夫婦で仲良く歩きながら会場に到着するのが理想像なのだろうけれど、うちの夫婦はそこまで仲がよろしくない。

しかも、睡眠不足で迎えた日曜日の朝の空は晴れている。絶好のロードバイク日和だ。

自転車に乗って遠くに行きたい気持ちになるが、それはそれで家庭が荒れるだろうし、仕方がないな。

普通のお父さんブロガーであれば、「子供たちが頑張る姿に感動した!」という体で文章を書いたり、一眼レフカメラで必死に撮った写真をアップしたりと王道を進むわけだが、そのような話はこの録に全く登場しない。

例年はカメラを構えて我が子たちの写真を撮っていたのだが、今回の運動会は撮影しないことにした。無症候性に感染した人がどこにいるのか分からない。

そもそも、私は騒がしい人混みにいるだけで目が回り、呼吸が面倒になるので、運動会というイベントそのものが苦手だ。

小学生の頃の運動会は親がやってきて自分が出場するので仕方がなかったが、皆が同じ格好になり、身の自由を制約された集団の中にいると、自分の存在が消えてしまうような感覚があって苦手だった。

中学生の頃は性の芽生えがやってくるわけで、体育祭で憧れの同級生の女子と手を繋ぐことができる集団のダンスだけが楽しみだったな。

まあとにかく、子供の頃からサラリーマンが向いていなかったことだけは分かるし、ましてや小中学校の教師にならなくて本当に良かったと思う。

では、自分が子供ではなくて保護者として運動会に参加するとどうなるかというと、子供の頃よりもさらに退屈で、霧のように漂うストレスが身体に蓄積するような感覚がある。

我が子の写真を撮ろうとする保護者がグラウンドに群がり、その人波に悪酔いする。校門を入って会場に来た時点で、家に帰りたくなる。

トラックを囲む保護者の集団の中で妻の姿を探してみたのだが見つからない。

新婚旅行の時に外国の街で互いに迷子になったこともあるくらいだが、うちの夫婦は考え方が確実にずれていて、待ち合わせ場所を決めずに「たぶん、この辺りだな」という場所に行くと全く出会うことがない。

それでも、この小学校の学区は礼儀正しい保護者が多くてマウンティングが少ないことが特徴なので、運動会や保護者関係は楽な方だと思う。

湿度高めで民度控えめの人がいたりもするが、相手にせずに無視していれば実害はあまりない。その人たちに井戸端会議のネタを提供しないよう、プライベートなことは一切話さないことが得策だな。うちの妻はペラペラとよくしゃべるが。

新浦安に10年以上住んできたが、この街で心穏やかに生活する上で大切なことは「表面上の薄っぺらい人間関係を保つ」ということだと思う。

この小学校で父親同士の友達なんて一人もいない。挨拶する程度だ。

すでに深海魚が泳いでいるかのように私の気持ちが沈んだところで、子供たちの徒競走が始まった。我が子たちが一生懸命に走っている。

私が子供の頃は徒競走で真っ先にテープを切ってゴールしたものだが、運動能力が高くない妻の遺伝子と混ざった結果として我が子たちはあまり速くない形質になった。

速く走ることに何の意味もないことを私も知っているので、我が子たちの走りを私が残念がることもなく、頑張ったことを誉めたくなった。

今回の運動会は午前中のみの開催ということで種目が限られていたが、小学校の先生たちはとても工夫してスケジュールを立ててくださったようで、いつもの運動会に見劣りすることもなく、本当に素晴らしかった。

しかも、弁当を用意する必要もなく短時間で種目が終わるので、これからもこのスタイルを続けてほしいところだ。

翻って、小学校の先生たちは今回の運動会をどのような気持ちで開催したのだろうかと思った。

緊急事態宣言が発令され、全国の学校が休校となった。オンライン授業のシステムが整っていない状態で、学校の先生たちは子供たちの学習を考える必要があった。

当時、子供たちが通う小学校の場合には、校長先生が学校だよりの中で気の毒になるくらいに事態を悲しんでいて、メンタルは大丈夫なのかと不安になった。タフそうな見た目からは想像していなかったが、繊細で優しい先生なのだなと思った。

校長は、その学校の全ての子供たちと教職員を守る役目がある。平時でさえ責任が重い上に得体の知れない感染症が広がり、大変な重圧を感じていたことだろう。

校舎の前に設置されたテントの付近に、校長や教頭、一般の教員の先生たちの姿が見える。皆、とても晴れやかな表情だ。

休校が続いてオンライン授業が進まず、結局は先生たちがプリントの束を用意して下駄箱の前で保護者に配ってくださった。

あの時の彼ら彼女らの寂しそうな顔を忘れることができない。

子供たちを教え育てることが好きで教師になったはずなのに、その良さが失われた状態だ。「早く子供たちに会いたいです」と涙ぐんでいた女性の先生もおられた。

「お父さんも頑張ってくださいね!」と先生から励まされ、その日、職場での全滅による機能停止を避けるために在宅勤務せよという指示が降ってきて自宅待機していた私は、何とも言えない気持ちになった。

今回の感染症の場合には一斉に休校させる必要があったのかと批判があったりもするが、何が起こるか分からない状況で子供たちを家の中で守るという戦略は間違っていなかったと思う。

子供たちが感染しても、基礎疾患がなければ重篤化することがほとんどないことが分かってきたのは、その後の段階だ。未来のことが分かれば苦労しない。

もしも子供たちにダメージが生じるタイプのウイルスだったら大変なことになっていた。そのような感染症もたくさんある。

日本のことが嫌いな人たちは、とかく文句ばかりを言うが、じゃあどうするんだという問いには答えられない。

戦後の教育の結果だな。今の先生たちには、思想が偏らない教育を子どもたちに授けることを望む。

さて、私から見ると苦手なイベントでしかない運動会だが、小学校の先生たちからすれば職業人としてのモチベーションを維持する上での大切な存在なのだろう。

毎日の授業では少しずつ感じる子供たちの成長を運動会で一気に実感するという話を耳にするし、苦難が続いた一年だからこそ、せめて半日であっても運動会を開催したかったのかなと思う。

子どもたちにとっても、「社会がなんとかなってきたぞ」と感じて安心することだろう。

今回の運動会は、小学校の先生や子供たちの気持ちが詰まっていて、それぞれの学年の種目が本当に楽しかった。

しかも、先生たちが細かく仕掛けを用意してくれていて、その細かさが面白かった。

3年生の「大玉転がし」の競技がスタートした時、BGMとしてスピーカーから大音量のユーロビートが流れた。

なんだろうかと先生たちの意図を察した瞬間、「しまった!」と私は思ったが、すでに脳内再生が始まって止まらない。

「DON'T STOP THE MUSIC」とか「NIGHT OF FIRE」とか「GET ME POWER」のようなユーロビートと紹介するだけで、走り屋だったお父さんたちはすぐに気づくかもしれない。

大きな物体が一対一の真剣勝負でコーナーを駆け抜けていくシーンにユーロビートが流れていたら、想像する作品はアレしかない。

「頭文字D」だな。

あのストーリーの舞台となった群馬県内の小学校ならばともかく、まさか浦安の小学校で頭文字D風の大玉転がしが始まるとは。

子供たちが横滑りしながら懸命に大玉を回してコーナーを立ち上がったり、テールトゥーノーズで競いながらギリギリの隙間で追い抜く姿は、確かに頭文字Dのバトルに雰囲気が似ている。

この学年の教師の中に間違いなく走り屋がいる。細かく仕込んできたな。今度、授業参観の時に教職員の自動車をチェックしようと思う。

レーシングタイヤを履いて、サスペンションをいじってロールバーを取り付けたスポーツカーが停まっているいるはずだな。

いや、担任ではなくて管理職かもしれない。教務主任の先生は大人しい顔をしているが、頭文字Dが流行った頃の現役世代だ。

もしかすると若い頃に群馬や箱根の峠をワンハンドのドリフトで攻めまくっていたかもしれないぞ。

競っているのはスポーツカーではなくて大玉なのだが、シンプルな競技であっても真面目に勝負するからこその興奮がある。陸上の短距離なんて走るだけで、サッカーなんて球を足で蹴るだけだが、真面目にやっているから面白い。

だが、大玉転がしにユーロビートのBGMの組み合わせは秀逸だな。寿司にわさびとか、ラーメンにチャーシューといった感じでよく合う。

この小学校では全ての種目で赤組と白組に分かれて競うのだが、白チームの大玉が豆腐屋のハチロクにしか見えない。しかも、子供たちのフィジカルを上手く調整したようで、赤チームと白チームが何度も追い抜きを繰り返していて、まさにバトルだ。

隣で腕を組んで競技を観戦している短髪で渋いお父さんが藤原文太に見える。赤チームと競う白チームの息子に「1万1千回転まで、きっちり回せ」とアドバイスしたはずだ。

大玉を回す子供が交代する場所で、素早くメンバーチェンジした赤チームが追い抜きをかけて白チームをかわしたシーンでは、「ここは追い抜きとかそういうのは、なしなんだよ!」という秋山渉の叫びが聞こえる感じがした。

白チームが減速せずにコーナーに突っ込んでコースアウトかなと思っていたら、途中で一人の子供が外側にまわって大玉を支え、鋭い角度で切り返してコーナーを曲がっていった時には、「なっ、何、慣性ドリフト!?」と、私自身が高橋啓介の気持ちになっていた。

途中からいかにもな運動会ソングになってしまったことが残念だな。最初から最後までユーロビートにしてほしかったな。言ってくれれば頭文字Dのサントラが我が家にあったのだが。

浦安市の新町なので走り屋が少ないだろうけれど、市川市や船橋市だったならお父さんたちがすぐに意図に気付いて、「m.o.v.e」のDOGFIGHTを流せとクレームが入ることだろう。

次に驚愕したのは、6年生の親子競技だった。感染対策で小道具が使えない状況での開催だったが、子供と親御さんの大切な思い出になったことだろう。

しかし、親子競技よりも目立っていたのは、開始に先立って始まった男性の先生のマイクパフォーマンスだった。

6年生たちにとっては、今回が小学校で最後の運動会になる。先生としても気持ちが高まってしまったのだろう。

彼は、うちの小学校のダブルエースのひとりで、とても真面目で明るい先生だ。

大企業で働くお父さんたちが多い保護者を意識したのだろうか、ドラマの「半沢直樹」を取り入れたMCが繰り広げられた。

あまりの衝撃に私の記憶が飛んでしまったのだが、「12年間分、まとめて恩返しだ!」という感じの気合いの入った声が響き、明らかに半沢直樹になってしまっていた。

さらに、「今回で運動会は、もう、おしまいです。お、し、ま、い」というセリフが飛び出した。大和田取締役のオマージュだな。今年で最後の運動会となる6年生へのペップトークも兼ねているのだろう。

その先生は半沢シリーズのモノマネがとても上手かったので、きっと忙しい毎日の中、自宅で何度も何度も練習したことだろう。

しかし、比較的ノリの良い父親が多い元町の小学校であればともかく、私を除いて紳士が多い小学校の学区では滑るリスクがある。

先生が面白いマイクパフォーマンスを行って、保護者がドカーンと笑い拍手で盛り上げるというゴールイメージなのだろうけれど、うちの小学校の学区で通用するのかと心配になった。

そして、案の定、パフォーマンスが滑った。やばい、保護者が反応していない。

何もなかったかのような反応を感じて先生が焦ったのか、「恩返しだ!」と連呼しているのだが、ほとんどの保護者がピクリとも笑わない。そもそも、この学区の保護者はあまりテレビを見ないと思う。

「あの先生、大丈夫かしら?」という感じのお母さんたちの視線が飛び交う、かなり危険な滑り方をしていた気がする。

近くでは、競技を見つめていたお父さんたちの会話が聞こえてきた。

「半沢ですね」「大和田の真似が上手いですね」と、注意しないと聞き取れないくらいの声だった。これが察しと思いやりだな。本当に紳士だ。

リアクションはなくてもお父さんたちにはパフォーマンスが届いていたので、先生も気を落とさずに頑張ってほしいと思った。

それにしても、どうして学校の先生がここまで半沢直樹の真似が上手いのだろう。元々モノマネの才能があることは間違いないが、小学校の職員室でも様々な人間模様が繰り広げられていて、半沢直樹の世界観に共鳴するものがあったのか。

教師の場合には、ビジネスマンのように上司に倍返しすることは難しいだろうし、大変な仕事だなと思った。

その他の種目も、短い時間の中でとてもよく練られていて、本当に素晴らしかった。

2年生では、子供たちがダンスを踊りながら、途中で合図とともに玉入れをするという種目があった。

子供たちがダンスを踊っている時に流れた曲を聞いて、とても感慨深いものがこみあげてきた。その曲名は...

「ダンシング・ヒーロー」

なんということだ。

いかにもな運動会ソングではなくて、荻野目洋子さんの曲が登場した。

なぜだ、なぜなんだ。

このような考えごとが私の趣味のひとつだったりもする。

そういえば、この学年の担任の先生たちは若い女性だったな。おそらく20代だろう。

なるほど、かなり細かく仕掛けを組んできたようだ。

少し前、大阪府立登美丘高校ダンス部の女子学生たちが、この曲を流しながら「バブリーダンス」という演技を披露して大きな話題になった。

最近では、結婚式の余興で新婦と友人たちがバブリーダンスを踊ることもあるらしい。

前髪をスプレーで固めて上げたロングヘア、ミニスカートにジャケット、ハイヒール、そして扇子を持ってハイテンションで踊るバブリーダンスのスタイルは、確かにバブリーだな。

これは演出というよりも、過去に実際に存在した女性たちの姿だったりもする。

日本では1986年から1991年頃にバブル景気という一過的な好景気があり、それはそれは大変に盛り上がった。その後にバブルが崩壊し、現在まで不景気が続いている。

バブル景気で湧く日本の首都圏等では、タクシーがつかまらないくらいに企業人たちが金を使い、就職の内定を取るために大学生を海外旅行に連れて行ったりもした。

ボーナスを現金で引き出すと封筒が立ったそうだから、それはそれはバブリーだったようだ。

その泡のような好景気で夜の街に繰り出して、ワンレンボディコンで扇子を持って踊る女性たちがいたわけで、今から考えると奇妙な社会現象だったと理解している。

しかし、2年生の担任の先生たちにとってバブル景気は歴史上の出来事だな。

登美丘高校ダンス部、あるいは彼女たちの演技に影響を受けた現在の若者たちの空気を読み取って、「ダンシング・ヒーロー」を採用したというわけか。

上の子供たちが低学年のお母さんたちも、「ダンシング・ヒーロー」といえば登美丘高校ダンス部なのだろうな。

教師は一般社会から遠い存在だと言われたりもするが、きちんと一般社会のトレンドに乗っかっている。

しかし、ここで忘れてはいけないことがある。

現在の小学校の保護者の中には、バブル景気およびその崩壊を実際に経験した世代が残っていたりもする。

歳の離れた末っ子が高学年の親だと、上の子が低学年の親と干支がひと回りするくらい歳が違う。

つまり、この群衆の中には、夜の街に繰り出してケツカッチンで合コンをハシゴしたことがあるお父さんがいたり、実際に扇子を持ってお立ち台で踊ったことがあるお母さんが含まれている可能性があるわけだ。

バブリーダンスって何それ美味しいのという感じだろう。

よくよく周りを観察すると、懐かしい目をして遠くを見ているお父さんとか、マスクの上から当時のようなメイクが見えるお母さんがいた。後者はダブル浅野のような眉毛とアイラインと表現すると分かりやすい。

そのようなお父さんお母さんにとっての「ダンシング・ヒーロー」は、まさに青春の1ページなのかもしれないな。私を含めて、誰だって昔は若かった。子供たちの成長と自らの老いを感じる。

なるほど、2年生の担任の先生たちは、ダブルミーニングを仕込んできたということか。これは細かい。細かすぎて面白い。

今年は完全に中止かと思っていた運動会だが、多くの子供たちが楽しんでいたし、保護者だけでなく先生たちまで喜んでいた。

とても大切なイベントなんだなと、途中で離脱して自宅に帰っている時に思った。