2020/10/10

自己愛が強い人たちとの関係 (後編)

前回の録の続き。自己愛が非常に強い人に出くわした場合、どのように対応すればいいのかを、自分自身の経験に基づいて書き留める。


以下は私の備忘録であって、あくまで個人の考えによるものだ。人によって考え方は異なることだろう。

最も重要なことは、その人の自己愛が強いかどうかを見極めること。

自己愛が強いからといって社会に順応することが難しいかというとそうでもなくて、内面をコントロールしながら生活し、たまに牙が出る時がある。

初対面からすでに違った感じがする人は分かりやすいが、初対面では礼儀正しかったり、楽しい人がいたりもする。

そして、関係が深くなってくるにつれて、自分大好きな性格が露出してきて気疲れしたり、面倒事に巻き込まれることがある。

その人の自己愛や承認欲求を知る上で最も分かりやすい存在がSNSのアカウント。

現実の社会では人当たりがマイルドに見えて、ツイッターやフェイスブックではアピール全開のような人がたくさんいる。

自分が思慮深く知性があるように飾ったり、辛辣なコメントを投げ続けたり、自分のプライベートなことや弱みに全く触れなかったり、修正や加工を加えすぎて現実からかけ離れた自分の顔写真を貼り付けたり。

それらは人の自由であって多様性でもあるのだが、つぶさに観察することで見えてくるものがある。

また、ビジネスシーンでは名刺やプロフィールに性格が出る時がある。

SNSアカウントのプロフィール欄と同様に、名前の周囲に様々な肩書や資格を並べている人は自己顕示が凄かったりもする。

かつ、そのような人たちは全てにおいて過剰なプライドを持っている場合と、限られた部分について高い自己愛を持っていることがあったりする。この辺の識別が難しい。

加えて、自分自身への肯定の度合いは客観的な物差しが通用しない。

腹が出て元のルックスが良くない中年男性であっても、自分は格好良いと思い込んでいる時があったり、特に際立った学歴があるわけではないのに、自分が知性ある人だと尊大になったりする。

自分に自信を持つことは大切なのだが、会話しなければ良かったと悔やむこともある。

また、自己愛が非常に強い人に対して真っ向から意見を投げても曲がって伝わることが多い。

自分を凌駕する存在に嫉妬して攻撃したり、その一方で自分のプライドに傷がつくことを過度に恐れたりもする。

しかも、他者から否定されても屈しないようなメンタルタフネスを有していることが多くて、批判されても心の底では折れない。

そのような人を相手にすると自分のHPが削れていくので、可能な限り距離をとって近付かないことが基本的な対応だと思う。

SNSは極力見ないようにして、自己アピールが強い人たちのことを意識の中から外しても、私の生活は何も変わらない。ブラウザの追加機能を使ってブロックしておけばいい。

だが、ネットではなくて現実の世界ではそうもいかない。

自己愛が非常に強い人たちへの対応を分類すると以下のようになる。

【1】現実の姿とかけ離れたアバターに乗り移ってしまっているタイプ

このカテゴリーには、病的に自己陶酔しているようなナルシシストが含まれており、ネット上で注意深く観察すれば無数にヒットする。

現実の世界でも自己愛性パーソナリティ障害と診断されるくらいの人がいれば、ネット上においてのみ抑えきれない自己愛を噴出させる人もいる。

実際の世界ではとりわけ優れているわけでもないのに、自分が特別な存在だと信じ込み、頭の中で理想像としてのアバターを作り上げてしまう。

このタイプの自己愛は、アピールしても現実の姿をチェックされることが少ないネットの世界と相性が良い。

かつて私に絡んできたロードバイク乗りもこのタイプだと思う。

そして、彼のように絡んでくる人たちを特定して、自己愛を剥ぎ取ったリアルな姿を調べることが、私の隠れた趣味だったりもする。

現実とネット上のアバターとのギャップがかけ離れる程に面白いが、この人たちは現実とアバターを直結されることを恐れる。

だが、ネット上ではなくて、親戚や学校の同級生、職場の同僚にこのような人がいると疲れる。

繰り返しになるが、そのような人たちについては相手にせずに距離をとり、意識の中から外すことにしている。

【2】アピールとマウンティングを繰り返してお山の頂上を目指すタイプ

謙虚にしていれば認められるはずなのに、自分から積極的に自己愛を発露し、他者からの称賛や承認を得ようとする人たちだな。

アッパーミドル層が多い新浦安によくいるタイプ。

バーンアウトを起こす前の私自身がこのタイプだったと思う。

仕事においては、他者とのマウンティングによって競争心を燃やす方がモチベーションが高まるはずだが、敵も増える。

私は以前、浦安の元町在住で自己愛が非常に強い父親に出会ったことがある。

学歴や職歴はそこそこだが、とにかく自分と他者を比べて優位に立っていると感じれば悦に浸り、劣っていると感じれば嫉妬して悔しがる。

そのどちらにおいても、含み笑いともへつら笑いとも分かりかねる奇妙な表情を見せるので、私はとても苦手だった。

このタイプの対応としては、やはり距離をとって近付かないことだな。

自己愛が強すぎる人は自身のプライドに傷がつくような事態を忌避する性質があるので、わざと嫌われるように振る舞うことも手段のひとつだ。

しかし、逆にターゲットにされてしまうと陰口連発なので、取り扱いが難しい。

自分は敵ではないということを理解してもらい、かつコミュニケーションを極端に減らすことで、その人の自己愛を映す鏡にはなりえないと感じさせることが重要かもしれない。

だが、しゃくに触る前にその人の自己愛の強さを早めに察知して、最初から近付かないことが一番だな。

【3】実力が伴っている上に自分が大好きな黄金聖闘士のようなタイプ

このカテゴリーの人たちの扱いが最も難しい。

北斗の拳でケンシロウを追い詰める強敵(ともと読む)、あるいは聖闘士星矢で絶望的な強さで敵を蹴散らすゴールドセイントのように、他者を圧倒するくらいに優秀なのだが、自己アピールも甚だしく、巻き込まれると毒にもなり薬にもなる。

自分こそ正義という感じで、背中に唯我独尊と書かれているのではないかと想像するくらいに自己愛が強い。

その一方で、目上の人に対しては極端なくらいにガードを下げて謙譲し、同時に自己アピールは忘れない。出世欲が強いわけだな。

より高みを目指し、自らの評価を高めるために「使える」人に近づき、あるいは自らの管理下にある人の力を掠めとっていく。

しかも、【1】や【2】のタイプのように距離をとって近付かないという対処が通用しない場合もある。

このタイプの人は計算高かったりもするので、気がつくと人間関係に巻き込まれている場合もある。

そのようなタイプに出会した場合の対応としては...

最初に、①相手の意見を否定しないことだな。修正点を指摘しただけで敵認定されて強烈な一撃を受けることがある。

次に、②相手を真摯に褒めて、自己愛を尊重することも敵認定されないために大切だな。

また、③相手が自分の何を「使える」と判断したのかを見極めることも大切だ。

このタイプの人は、使えないと判断すれば躊躇せずに人間関係を断ち切る性質がある。そのような人が上司だと大変だ。

相手が見限ろうというタイミングをコントロールすることができるとダメージが少ない。

最後に、④相手に利用されることついて、フラストレーションを溜めないことも重要だったりする。

このようなタイプは鋼のようなメンタルタフネスを持っていて、戦っても消耗するだけだ。

このカテゴリーに限らず、自己愛が強い人たちのメンタルの強さの理由は分かりやすい。

メンタルが削れる場合には、脳の疲労に加えて「自分は無力だ」とか「自分は無様だ」といった自己否定の思考が関与することだろう。

自己愛が強い人の思考は自己肯定で裏打ちされていて、自己否定の思考回路そのものがないはずだ。

物事が上手く進まなくても、指摘の矛先は自分ではなくて他者に向かう。

メンタルが削れないように耐えるというよりも、そもそもメンタルが削れる仕組みが備わっていないので削れない。

相手を打ち負かそうとしてもダメージが届かず、その分が攻性防壁のように跳ね返ってくるわけだな。

だが、優秀過ぎる自己愛の場合には、余計な対抗心を燃やさずにわざと利用されれば、それなりの見返りが来ることもある。

きちんと調整して周りに配慮ができるという評価を気にしているのかもしれない。

一方、ギブアンドテイクではなくてテイクアンドテイクで相手だけが得をして、利用された側の見返りが全くない場合もある。外国人にもよくいるタイプだ。

まあ普通に考えて、そのような相手には二度と手を貸したくはないが、立場的に仕方がない場合もあるし、貸しを作っておくことで敵認定されるリスクが減る。

このようなタイプの人たちを相手にする際に心掛けるのは、どうして相手の能力が高いのかという理由を学ぶこと。

高い能力を持つ人には、独特のスキルやノウハウがあったりもするし、最短距離で目標に到達するための考え方があったりする。

話を聞いていると鼻につくことがあるが、様々な極意や自らの成長のためのヒントを学ぶ機会でもある。

また、取り繕って相手をおだてるのではなく真正面から認めて褒めることで、とても大切な考え方やスキルを手に入れることができたりもする。

自分が認められて嬉しくなると、普通だったら他者に教えないようなノウハウをあっさりと紹介してしまうのが自己愛が強い人の傾向でもあるので、そこを狙う。

相手は饒舌で雄弁に、自分は謙虚で寡黙に。この状況に持ち込む。

バーンアウトする前の私は積極的に相手と戦っていたので、学ぶ機会を逸することが多かったはずだ。

もったいないことを続けていたのだなと反省していたりもする。

それと【1】のタイプからは得ることはほとんどないが、【2】のタイプでも勉強になることはある。何事も勉強だな。

...と、まあこのように自己愛が大変に強い人の取扱説明書を自分なりに用意してみたわけだが、このような複雑性も人間の特徴なのだろう。

集団の中で生きる上で、自分は優れていると信じることがどうして必要なのか。

私の中でその理由はまだ結論には至っていないが、高次脳機能というよりも原始的な部位に残った感情ではないかと思う。

その自己愛の強弱が、必ずしも知性とパラレルな関係になっていないことも興味深い。

ここからは空想の世界だが、地球外に人類よりも遥かに高等な生命体がいて、太陽系の外から私たちの生活を観察していたとする。

彼らが集団の中で自らを過度に主張しマウンティングに励む人間の個体を見かけたら、おそらく他の動物でも認められる現象だと理解することだろう。

自己愛の面倒なところは、他者という鏡を通して自らを認識するところだな。

周りから評価されないと評価されるまで頑張ったり、他者を攻撃したりもする。

つまり、その人の満足のために他者を巻き込んでしまう。

他者を巻き込まない正しい意味での自信や自尊心、職業人や父親としての矜持を大切にしたい。