インフルもらってねんね
子供ではなくて、私が。おそらくというか間違いなくインフルエンザだろう。ワクチンが十分に効いていない。
下の子供は、インフルエンザを発症した後に暇だ暇だとマスクを付けずに咳をしまくりながら自宅の中で暴れていた。
マスクはインフル予防に効果がないと学童の先生から下の子供が教わったそうだ。
その情報源は米国CDCに端を発したネットニュースだな。学童の先生に言うのは酷かもしれないが、米国と我が国は状況が違う。
ネットニュースを鵜呑みにせず、日本国内の専門機関からの情報発信についても調べて職務を行う必要がある。
もとい、下の子供は落ち着きがなくてこだわりが強く、思い立ったが吉日。一度言い出すと感情的になって怒鳴りながらでも主張を通そうとするので、父親としては半ばコントロールが不能になることが多い。
親が子供を厳しく叱れば怖がって言うことを聞くのかというとそうでもなくて、さらに烈火のように怒る。
この性質が子育てをより厳しくしていることは明らかで、それがどこからやってきたのかというと妻の両親、つまり義父母から妻を経由して我が子に遺伝したことが推察される。
下の子供と妻の怒鳴り方がそっくりだ。自分の意見が通るまで引かない。
妻の実家には私にとっての小姑が未婚のままで同居しているのだが、下の子供と性格がよく似ている。
また、義実家は話す時の声が大きい。どうしてそこまで声のボリュームを上げるのかというくらいに音に対して寛容で、これまた飼い主に似た犬が家の中で吠え続けている。
聴覚過敏がある私が義実家を訪れた時には、その喧しさを我慢して、鼓膜の痛みや頭痛に耐えている。
しかし、この一族の特長ではあるのだが、本音と建前の使い分けがとても上手い。外面が良いといえばそれまでだが、コミュニケーション能力の高さは重要だと思う。
事実、義父は一流の企業人ならば誰もが知る超有名な外資系企業の営業部門で活躍し、定年後も再就職して働いている。
妻が経済的な苦労を知らずに育ったのは義父の働きが大きく、父親像として敬服に値する。
我が子もこの力を使って世を渡っていくことだろう。非常に高い社交性を有していて、どこででも友達を作り始める。
国内旅行で地方に行った時、うちの子が現地の子供と一緒に遊んでいて、その子のお母さんが同じクラスだと勘違いしたくらいだ。
同じく妻もコミュニケーション能力がとても高いので、私から見て魑魅魍魎とは言えないまでもATフィールド全開で結界を張るレベルのPTAの集まりを難なくこなした。
出会ってから子供が産まれるまでの妻は小声で思慮深く、気遣いができて、こんなに素晴らしい聖人はいるのだろうかと感動した。
ここでめとらねば我が失策と、必死にプロポーズして結婚してもらい、義父母も礼儀正しくて優しいと当時は思った。
妻や義実家の本質を理解したのは子供たちが産まれた後だった。
まあ、そんなことを言っても仕方がない。
その家庭にはその家庭のスタイルがある。義実家の流儀や方針があってしかるべきで、否定しても始まらない。
男たるもの、褌を脱いだ以上は籍を入れる覚悟で女と接する必要がある。ただし求婚を断られた場合はこの限りではない。
カマキリのオスに比べれば、私たち人間のオスはずっと恵まれている。
しかしながら、この忙しい時期に床に臥せることだけは回避したかった。正月休みにずれ込んでくれれば良かったのに。
共働きに限らず子育て中の父親によくあるパターン。子供からの風邪は最悪のタイミングでやってくるが、それを防ぐことは難しい。
先週は下の子供がインフルになって看病のために仕事を休んだので、その週の日曜日に出勤したかった。しかしながら、子供が複数いるとワンオペはとても厳しいことも分かっていた。
ここでありがたいことに義実家登場というシチュエーションなのだが、我が家はそのサポートがない。まさに核家族だ。夫婦で何とかせよということか。
加えて、仕事が厳しいことは妻に伝えていたはずなのだが「パパは平日は夜が遅いから」と妻が日曜日に早めのクリスマスパーティーを実行した。おそらく感染したのはこの日だ。うちの夫婦に以心伝心は通じない。
相変わらずのことだが妻は夫に相談する前に家庭のことを決める。すでに22日の段階でクリスマスケーキが冷蔵庫の中に入っていた。
この至近距離でインフルの子供が咳をしまくったら、飛沫による感染は免れない。
私もインフルワクチンを接種してはいるが、このワクチンは発症を完全には防御しえない。
私は仕事でとても厳しい状況にあって、休日や睡眠さえ削って働いていることを妻が気遣っていないようだ。
結果、この有様。
年末の過密な仕事のスケジュールなのに、私は高熱と喉の痛みで寝込んでいる。
咳をすれば激痛とともに大量の真っ黄色な痰が口に出てきて、膿の臭いが鼻腔に広がる。
我が家では、夫であり父である私が寝込んだ時は、気遣いもなくサポートもなくセルフサービス。
私が体調を崩したら原則として別室で隔離して近付くなと、私から家族に伝えているので、妻もそれを守っているようだ。
おかゆやうどんどころか、スポーツドリンクの類さえ用意されない。野生動物のように伏して回復を待つ。
それでも私なりには部屋のドアの前に食事や飲料が置かれていれば助かると思うのだが、故障中の家電の前を通り過ぎるかのようだ。
妻としては、共働きで忙しいのに家事も子育てもせずに寝込んでいる私は役立たずな夫だと不満を溜めていることだろう。
私がこのまま布団の上で死んでいたとしても、一日くらいは余裕で放置される。様子を見に来ることさえない。
私が常々「父親が倒れたら家計が傾く」と言っているのだが、実際に倒れた場合を想定しているようには感じられない。寝込んでいる時は風邪であってもそう思う。
夫が一時的に寝込んで家事や子育てが大変になったと苛つくのは分かるが、本当に身体を壊して働けなくなったら、私立中学どころか大学進学も大変な状況になる。
そもそも妻は本当に私に対して愛情があって結婚したのだろうか。愛情があって結婚したのなら気遣うはずなのだが。
恋愛とは男女の精神的な基盤の上に成り立つもので、結婚とは婚姻という制度の上に成り立つものだ。そこに愛情がなくても婚姻関係にあれば夫婦という理解になる。
それはおかしなことではなくて、婚活の時に女性が相手の男性の何を確認するかという話、あるいは熟年夫婦の付かず離れずの何とやらにも通ずる気がする。
妻曰く、私と結婚していなければずっと独身だったそうだ。私が唯一無二という話ではなくて、そもそも結婚する気がなかったという意味だろう。
確かに私から頑張って結婚してもらったという形なので、今さら私が文句を言っても始まらない。
当時の妻の優しさや穏やかさは本当に有り難く、今でもその面影をわずかに感じることができる。離婚してしまう男女に比べたら、夫婦仲は良いと言える。
それにしても発熱と息が苦しいほどの喉の痛み。本日にやっておかねばならないはずの仕事を気にする余裕もなく。
あらかじめAmazonで買っておいたクリスマスプレゼントを箱から出しておかねばと、夜にフラフラと起き出した。
その前にトイレに行って用を足すと、尿が薄いワインレッドのような色になっていた。あまりに多忙で疲れていたところに追い打ちがかかったようだ。とりあえず水道水で水分を補給する。
なんて惨めなんだ。
すると、妻と上の子供がクリスマスプレゼント用の箱を勝手に開けて中身を吟味していた。
私の顔を見ても「ありがとう!」という感謝の言葉も、「大丈夫?」といった気遣いの声も聞こえない。
私は、この家族の姿をとても浅ましく思ったが、気持ちを声に出さなければ感づかれないし、そもそも今の私は喉が腫れて声が出ない。
丸二日、布団の中で意識朦朧のまま絶食状態で過ごしている時、子供の頃に聴いた曲が頭の中で流れた。
その昔「ひらけ! ポンキッキ」という子供向けのテレビ番組があって、私もよく観ていた。
私のような団塊ジュニア世代ならば記憶が残っていることだろう。
その中で、「かぜひいてねんね」という歌のコーナーがあった。この歌自体は穏やかなのだが、テレビに映ったアニメーションがあまりに怖かった。
人の顔面だけがベッドに乗せられて、奇妙なキャラクターがそのベッドを押していたり。全体的に空虚な舞台に遠近感のないキャラクターが蠢いていたり。
おそらくサルバドール・ダリのようなシュルレアリスムの技法を取り入れたのかもしれないが、あまりにシュール過ぎた。
この曲がリフレインする頭の中で、今年の大反省会を開くことにした。
今年を漢字一文字で顕すと「耐」だと思う。妻からのハードヒットや長時間の通勤、義実家との関係に苦しんだ。
妻も義実家も私が精神的に追い詰まって働けなくなった場合を想定していない。考え方が近視眼的で我が強いように感じる。
義父が死にかけた時に私が助けたことがあったが、助かった後は妻も含めて恩を忘れている。
このままではストレスで私が倒れてしまうと思ったので、単身者用の物件を探して都内に一人で別居する計画を立てた。
そもそも私は別居時の婚姻費用よりもずっと大きな額を家庭に入れている。別居して真面目に婚姻費用を清算して送金していたら、妻子の生活のレベルは下がる。
とはいえ別居する側としてもそれなりの金がかかる。
妻子が義実家に居候する形で引っ越して何とかしようとしても、私立中学校の費用までは工面できないことだろう。
義父母はすでに定年の歳なのでいつまで働くことができるのかも分からない。経済的なサポートは難しいことだろう。
現在の家族一緒の生活は、妻にも思うところがあるだろうけれど、私が多分に我慢を重ねているからこそ成り立っている。しかしこのままでは潰れてしまう。
それを理解しないのなら私は都内に単身で別居する覚悟だった。
夫婦喧嘩の売り言葉ではなくて、もはや迷いがない状態になってから気持ちが落ち着いた。
数少ない友人に悩みを打ち明けたら、「その状況なら十分に父親としてやってるよ」という励ましと哀れみの言葉を頂いた。
趣味のロードバイクを通じて出会った人たちは、ロードバイクに乗ることが目的だからなのか人生相談に乗ってくれることがほとんどなかった。
人間関係が面倒な上に、私の生き方においても必要ないと思ったので、世話人を務めるサークルそのものを消した。
最も激しい夫婦喧嘩の最中、私は「お互いに理解し合うことは不可能だ。子供たちが独立するまで夫婦として連れ添う。その後、私の方が先に死ぬだろうから金は受け取ってくれ」と妻に伝えた。
結局は離婚もせずにずっと夫婦として連れ添うわけだが、意見の対立を生じている源は互いに理解し合えない部分にあり、それらについて喧々諤々の議論を交わすのは止めようという意味。
夫としての私に妻が感謝したりリスペクトする必要はなくて、生活や子育てのために「利用する対象」として私を見ればいいと。
夫婦愛が熱烈な男女ならあり得ない話かもしれないが、付かず離れずの熟年夫婦とはこの関係ではないのかと思う。
そこから夫婦喧嘩が減り、別居することもなく生活が続いている。
それ以上の攻撃があれば本当に別居する気持ちでいた。
私が倒れたら世帯の収入が大きく減る。妻の収入だけでは生活レベルを維持できない。
仮面夫婦という言葉があるが、私は仮面を被っているつもりはなくて、結婚自体は制度でしかない。その契機もしくは関係を裏打ちする存在が男女の愛情だと私は考えていて、愛情がなくなっても制度なのだから婚姻関係は続く。
夫としての役割を務めること、父親としての役割を務めること、そういったことは可能な限り努力するが、妻が理想とする夫像や父親像は偶像であって、それらを実現することは難しい。
1本以上の年収があって、銀杏の紋章があって、長時間の通勤も苦にせず、過干渉な妻の実家とも笑顔で接し、家事も子育ても率先して取り組むなんて、私がそんな超人のはずがない。
現実を見ろ、夫はただでさえ生き辛そうで死にかけているのに、さらに追い込んでどうするんだと。
あと20年あるかないかの夫婦生活で、理解し合えない壁があるのに喧嘩したりイライラしながら生活するよりも、理解し合えないと諦めて生活した方が心穏やかではないかと私は諭した。
妻が子供たちの教育において「こうしたい」と言えば総論賛成。各論で修正をお願いすることはあるが、妻に任せている。その分の金を用意することが夫の役目だと。
妻が食べたいという料理があれば素直に従い、特に反対もしていない。妻が嫌いな料理は食卓に上がらないし、私個人が食べたい食材があれば自分で買ってきて一人で食べる。
浦安に住みたくないという私の希望も妻はようやく分かってくれて、子供たちが市外の私立中学校に入学した時期に浦安から引っ越すことにした。
浦安という私にとって気に入らない街は引っ越せば関係がなくなる。再び液状化がやってきた時には「あの時は大変だった...猫砂に大便を垂れたよ」と思い返すだけのこと。
関係に苦しんでいる市内の義実家についても、私たちの世帯が浦安から外に引っ越せば意識から遠くなる。
そして、我慢していれば時が経っていなくなる。
それにしても、子供の頃に「かぜひいてねんね」のシュールな映像を見て恐怖したが、生きるということはシュルレアリスムの芸術以上にシュールだなと思う。
10年以上前、新郎として神前に立った私は、こんなにシュールな状況で生きるなんて想像することさえできなかった。
結婚して子育てに入り、妻の故郷で生活。字面を眺めれば幸せな生活なのだが。
また、そういった生活を耐えている間に、私の中で夫としての自分、あるいは父親としての自分という役割だけが大きくなって、自分自身が消えていく感じがした。
「消えていく」というフレーズは中年男性のブログを眺めているとたまに見かける表現。
もう少し丁寧に表現すると、生活の中で夫としての役割であったり父親としての役割が大きくなりすぎてルーティン化し、自分自身がどうやって生きていくのかという本質が見えなくなったり、生きることの実感がない状況ではないかと私は考えている。
「歩くATM」という表現はまさにそれで、家庭のために仕事に出て給料をもらって帰り、家族から感謝されることもなく、「夫」とか「父親」という役をこなしているだけになる。
「この役目は私ではなくても構わないのではないか?」と思ったりすると深刻だな。
五十路くらいになっていきなり地方に移住するとか、妻よりも不倫相手に没頭してしまうとか、そういった突発的な中年男性の衝動の背景には少しずつ消えていく自分への恐怖や不満があるのではないかと思うことがある。
そう考えると、中年男性の趣味というのはとても平和的だ。そこにはもちろんだが夫や父親といった役ではなくて、自分自身がいる。
しかしながら、私が以前から大切にしてきたロードバイクという趣味の位置付けというか、そのスタイルは今年を最後に大きく変わることになりそうだ。
高熱でフラフラしているので今回のログにロジックが足りないが、今のところそんな感じ。
風邪をひいて寝込んでも独身時代と変わらない。むしろ家族のために生活を維持することの重みがやってくる。
第3病日の夜中に起き出してキッチンに行くと、妻が卵がゆを作ってくれていた。さすがにヤバいと思ったのだろうか。
妻が作ってくれたおかゆを食べるのは、何年ぶりだろう。とてもありがたい気持ちになった。
この調子では、病明けの年末は大晦日まで、新年は元旦から仕事になりそうだ。デッドラインはすでに決まっているのでそれに合わせて働かざるをえない。
少し早めの正月休みだと思って寝るしかない。