江戸サイと荒サイを1日で廻るサイクリング
休みの早朝、かなり強い焦燥感と絶望感を覚えながら目を覚ました。
自律神経はその名の通り自分で動いてくれるので助かるが、私の自律神経は独立心が旺盛過ぎて困る。
それにしても、こんなに人口密度が高くて鬱陶しい街に住み、無駄で苦痛な長時間の電車通勤に耐え、50代が見えてきた。
それから10年で60代、長ければ、その次のターンとなる70代で世を去るのか。60代で死ぬかもしれないし、残りは短い。
生きることに執着はないが、街や通勤でストレスを抱えながら、ただ時間が過ぎて寿命を使っている気がする。
朝が来て、気がつくと夜が来て、その繰り返し。
こんな老い方は嫌だ、浦安に住むんじゃなかったと、夢の中で動揺していたようだ。
しかし、自転車に乗って浦安市の外に出たら心拍数は落ち着くはずなので気にしない。
額の脂汗を拭いて自室を出た後、家族に挨拶して、いつもの「父親という役」を演じることにする。
この父親の役作りを続けていたら、どちらが本音なのか建前なのかが分からなくなってきて、演じているはずの姿がデフォルトになってきた。
これは私の素ではないのだが、明らかに妻がキレる頻度が減り、子供たちが父親の言うことを聞くようになった。
父親の役を演じながら生きることと、父親としての心構えや気遣いを持ちながら生きることの境界は曖昧だな。
自分の頭の中の解釈が違うだけで、表層化するアウトプットについては同じ姿になる。
自分が口に出さなければ妻や子供たちには分からないし、真実なのか虚構なのかよく分からないラインで我々は生きているようだ。
さて、休日といっても、夫婦共働きの子育て世帯は家事が山積みだ。本当の意味での休日には当たらない。
平日分を含めた大量の洗濯物を干し、子供たちの上履きを洗い、市役所での事務手続き、電球の取り替え、風呂やトイレの掃除、通販で届いた不良品の返送...あと、何があっただろう。
真面目に家事をこなすと1日が終わるので適当に力を抜いているのだが、それでも正午を過ぎている。
ロードバイクのライドで暗くなった時のために、キャットアイのライトの予備バッテリーをバックパックに入れて、手首や足首に巻く反射板をチェックする。
タイヤの空気圧を確かめた後で、シンボルロードに向かってロードバイクを走らせる。
午前中に出発して、できれば昼過ぎに帰ってきたかったのだが、夫婦共働きの子育てライダーの休日なんてこの調子だ。さらに子供たちの中学入試もあるのでコンボ状態。
人生を登山に例えると、気が付けばリーダーになっていた妻が設定したのは、離婚という遭難が多発している険しいルートを通って山頂にアタックするという体だな。
なるほど、あの夫婦はあの地点で足を踏みはずし、その夫婦はその地点で雪崩れに遭ったのだなというポイントがよく見える。
最初はザイルパートナーだったはずだが、すでにシェルパになってしまった感がある私の役目としては、定年退職まで病に倒れることなく職場に通い、妻がキレないように気を遣い、子供たちを養うことだ。
おそらく、人生を振り返った時には大して記憶も残らず、そこにいるのは老いた自分の姿だ。今度、100円均一ショップで大きな木箱を買って、「玉手箱」と書いておこう。
しかし、30代から始めたロードバイクという趣味があって本当に助かった。趣味という存在が、生き方に幅を持たせる上でここまで重要だったとは。
新浦安を南北に貫くシンボルロードは、相変わらず人と自転車と自動車が忙しく行き交う。こんなに狭い街に建物と人と自動車を詰め込んで、まるで箱庭やシムシティのようだ。
車道は片道3車線もあるのに、ひっきりなしに自動車が走る。都心の幹線道路を除けば、23区内よりも忙しい道路だな。
シンボルロードの車道をロードバイクで走るのは危険で面倒だ。大型トラックが列をなして路肩に停車している時は特に厳しい。
スタートが遅れて時間がないので、本日のルートでは、①市川市から江戸川の河川敷、いわゆる江戸サイに入って北上し、②途中で市街地を西進して葛飾区を経由して荒川の河川敷に入り、③江戸川区の葛西方面を廻って浦安に帰ってくる。
寅さん記念館の前を走り、こち亀で名の知れた亀有公園の近くを走り、東京スカイツリーを眺め、葛西臨海公園を通り、ディズニーの前を走るという、何とも観光とポタリングの香りが漂う走路だな。
本格的に各所に立ち寄るのであれば、ビンディングペダルのロードバイクではなくて、フラットペダルの折り畳みミニベロの方が楽しいことだろう。
浦安市は荒川と江戸川に挟まれているので、両方の河川敷を1日で走ることができる。
なるほど、沿岸の漁場にアプローチする上で、旧漁師町の浦安の立地は理に適っている。いや、逆に立地が良かったから人が住み着いたわけだな。
二つの河川からプランクトンの栄養が海に流れ込んでいるのだから、海産物も育ちやすいことだろう。
河口側から荒サイに入ると彩湖まで、江戸サイに入ると関宿城まで、ずっと同じ河川敷を走り続けるロードバイク乗りが多いと思う。
最初の頃は、いわゆる河川敷のサイクリングロードが楽しかったが、10年以上もロードバイクに乗っている私としては、そのような走り方に飽きた。
サークルを立ち上げて仲間と一緒に走った時はサイクリングロードが楽しかったが、人間関係に疲れたり、ネット経由で妙な人たちがたくさん寄って来たので、サークルを閉じた。
昨年、他のサイクリストが浦安を中心とした社会人ロードバイクサークルが立ち上げたようだが、サイトを閉じて募集を停止している。おそらく妙な人たちが寄ってきたのだろう。あの人たちはシーバスのようにネット上を徘徊して獲物を探している。
まあとにかく、これからはソロライドが続くことだろう。
浦安市から旧江戸川沿いを走って市川市に入ると、動悸はすぐに消え去った。どれだけ浦安という街が嫌いなのだと、自分でも苦笑してしまう。
江戸川の河口近くから右岸を北上する。10年前の江戸サイは、細くて荒れた遊歩道が続き、とても走りにくかった。荒サイの方が道幅が広く、江戸サイは第二選択肢というパターンが多かったと思う。
しかし、近年の拡張工事によって道路が複線化あるいは広幅化し、驚くほどに走りやすくなった。
その一方で、遊歩道に散歩やジョギングに出てくる人や、河川敷のグラウンドで野球等を楽しむ少年や保護者が増えた。
グラウンドの近くの駐車場には、オラついたミニバンが入り込んでくる。
ロードバイクを停めないとミニバンが突っ込んでくるが、「ならばやってみろ」と私は引かない。
野球中年の同世代の父親たちは、どうしてあのような風貌や言動なのだろう。
遊歩道でタバコを吸ったり、子供たちに大声で怒鳴ったり、短髪茶髪でアゴヒゲの人が多い。
公立中学の野球部の連中はあのような感じだったな。
他方、野球少年の母親たちはママチャリで道路を塞ぎ、後ろどころか前も見ずに走っていたりする。
父親たちと同様に母親たちも茶髪率が高いが、美人が多いのはなぜだろう。
だが、多くのロードバイク乗りだって、モッコリパンツで興奮しながら高速で遊歩道を疾走し、危険行為を繰り返している。
ロードバイク乗りにとっては色々と都合と理由があるのだが、関係のない人たちから見れば昔の暴走族とあまり変わらない認識になるだろうし、その世代のオッサンが実際にロードバイクに乗って疾走していたりもする。
私自身が気をつけていたところで、野球ファンの人たちから見れば同類なのだろう。
結局のところ、河川敷というルールの少ない空間において、人は我と欲を全面に出して自分が楽しもうとする。マナーやモラルも人それぞれだ。
江戸サイの人の多さと渦巻くフラストレーションにうんざりした私は、予定通りに鬱陶しい道路を離れることにした。
寅さん記念館から帝釈天に行くと、近くに寅さんの実家がある。昔は喜々として訪れたが、最近はご無沙汰だな。もう飽きた。
寅さん記念館を過ぎてからしばらく走っていると、新葛飾橋が見えてくる。ここが荒サイに向かう目印。さらば江戸サイよと後方を振り返る。
江戸サイを北上した後で荒サイに移動するルートは複数あるが、新葛飾橋から水戸街道に入る経路が現実的だ。
江戸サイの右岸から水戸街道に出るには、新葛飾橋の根元の鉄柵を根性で乗り越えるか、手前の階段を歩いて降りるかという選択肢がある。
前者を選択した勇者を見かけたことがない。左側の階段を降りて新葛飾橋の下道に入り、浅草橋方面に向けて走る。
水戸街道は恐ろしく混んでいて、路面の舗装が荒いので、ガチローディでさえ歩道に回避してゆっくりと走っている。
しばらく進んでいると、「中川」という河川が見えてくる。
そのまま中川大橋を越えて直進していると「青砥陸橋」が見えてくるので、この陸橋の下の交差点を左折する。
ちなみに、青砥陸橋を2段階で右折して進むと亀有公園の近くに辿り着く。
「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の舞台ということで、亀有駅周辺はキャラクターの像がたくさん置かれている。
ドラえもんにしても、ゲゲゲの鬼太郎にしても、シティプロモーションの一貫として街にオブジェが設置されることが多い。
浦安には、液状化で飛び出たマンホールのオブジェが新町エリアにあるが、アニメとは関係がない。
このマンホールモニュメントが計画された時には、街の景観が損なわれて地価が下がると、地域住民からの激しい反対活動が展開された。
浦安市内に浦安鉄筋家族のオブジェは見当たらないが、もしも新町エリアに設置しようとすれば、街の景観が損なわれて地価が下がると、地域住民からの激しい反対活動が展開されることだろう。
浦安市内でも北部の元町エリアには鉄筋家族をシティプロモーションとして推す人たちが珍しくない。
SF系やサイバーパンク系の作品を好む私としては、彼らの熱量の意味が分からないが、元町に鉄筋家族のモニュメントを設置することは問題ないと思う。
陸橋の向こうで何があろうと、無駄な税金を使わない限り、私には関心がない。
そういえば、北九州市に出張に行った時、JR小倉駅の北口を出ると、松本零士氏の「銀河鉄道999」のメーテルと鉄郎の像が置かれていて感極まったことがある。
私は電車通勤が嫌いだが、銀河鉄道は大好きだったりする。
999号が宇宙に向かって旅立つ大型ターミナル駅は、小倉駅がモチーフになっているそうだ。
少し歩くと、キャプテンハーロックのオブジェもあって、涙腺が崩壊しかけた。素晴らしい。
もとい、青砥陸橋の下の交差点を左折し、真っ直ぐ進み続けると、ロータリーのような行き止まりに着く。
その向こう側に中川が見える。
この場所からロードバイクを背負って柵を乗り越えるか、碁盤の目状の付近の小道を通って中川の右岸に入る。
中川は途中から荒川と合流するので、この川沿いを走り続けることで荒サイに辿り着くわけだ。
中川の右岸には、遊歩道の外側に車道がある。自動車はほとんど走らず、通行人も少ないので走りやすい。
しかし、この道は見通しが悪い箇所が多いので、速度を上げないように注意したい。
中川はクネクネと蛇行しているので、サーキットを走っている感じで楽しい。走っていると、前方に東京スカイツリーが見えてくる。
近くの広場の前にベンチが置かれていたので、ロードバイクを停めて座る。
起床時の動悸は全く感じられない。川を眺めながら色々と考えた。
仕事や家庭で「役」を演じ、しかも落ち着かず、先行きも暗い社会情勢だ。
私なりの認識としては、新型コロナはただの風邪ではないが、ただのコロナだと思う。
多くの人たちがマスコミによる過剰な演出によって軽いマインドコントロールのような状態になってしまった。
さらには感染症が専門ではない学者がマスコミ等に出てきて、間違った指摘を飛ばしている。
コロナに限らず、感染症によって多くの人たちが亡くなっている。しかし、医療関係者を除いて、その現実を理解している人は少ない。
今回はマスコミが懸命に煽ったことで、多くの人たちが感染症の脅威を認識したはずだ。コロナに限らず感染症とはそのような存在なのだが、コロナばかりに前のめりになってしまって経済が傾くほどにダメージを受けている。
いや、ダメージ自体を社会全体で生み出して、それを自分たちで受けて苦しんでいる。
新型コロナがただのコロナだったとすれば、それほど恐れる必要はなく、完全な封じ込めも不可能だと思う。
重篤化するリスクがある人たちを守ることは、コロナだけでなく感染症対策の基本だ。
その基本を必ずしも理解しているとは思えないマスコミや行政は、ここで落ち着いて仕切り直す必要がある。
世界全体がダメージを受け、特に欧米が停滞している現在において、ダメージが軽かった日本が早いステージで経済を回せば、国家レベルで考えれば優位に立つことができる。
すでにその意味を理解して動き出している国々があるわけだが、日本が速やかな経済回復のアクションを始めると都合が悪い人たちがいるらしい。
「現在の感染者数は!」と世論を誘導している人たちだな。
それらの情報発信には明らかな思惑を感じたりもするわけだが、団塊世代を中心として真に受けてしまう人たちがいることも現実で、私が悩んだところで何も変わらないし、戦後の教育が残した遺物なのだろう。
彼らに足りないのは、正しい意味での愛国心だと思うし、それを削り取る教育を小さな子供たちに施すと、老いても同じ考えが続くという典型だな。
どうしてこのような状況になったのかというと、イデオロギーに関わってくるので詳しくは述べないが、第二次世界大戦後において以下略。
さて、仕事は通常のシフトに移行し、けれど相変わらず忙しい毎日だ。
長時間の電車通勤や共働きの子育ては、首都圏に住む父親としては普通のことだ。
それなのに、どうして私は重荷を背負って生きるかのように消耗しているのだろう。
感覚過敏がある人が毎日3時間以上もかけて電車で通勤するなんて、精神的な拷問だな。
最近では妻が激昂したり暴れなくなってきた。子供たちも自制が利くようになってきた。
しかし、通勤や浦安という街で住むことの苦痛は相変わらずだ。人々の我や欲があふれ、一人になることさえ許されない。
この状況で以前のように家庭が荒れると、再びバーンアウトがやってくるかもしれない。
そのリスクを抱えながら生き、そして老いていく。
豊かな生き方とは、なんだろうか。
ネットや書籍では「自分と向き合え」とか「現実を受け入れろ」といったフレーズを見かけるが、それらは容易なことではない。
多くの人たちがそれらを気に留めること自体を避けていると思う。
世の中には、本人の忍耐や努力では解決しえないことの方が多く、考え込まないことも大切だな。
だが、今の苦しみのほとんどは、私が家庭を持ったことに起因している。その家庭を維持しようと耐えている。
もしも家庭を持たずに、子供たちを育てていなかったら、ずっと楽な生き方だったことだろう。
しかしながら、同時に、自分が何のために生きているのかを探し求めているかもしれない。
独身であれば趣味や旅行にかける時間も金も多いはずだが、私は自らの家庭を持つことができて良かったと思う。
五十路が近付いてくると、子供たちがいてくれることのありがたさを感じることが多くなった。
夫婦仲においては男女の愛情が減り、付かず離れずの距離感が分かってくる。
生殖というステージを境に夫婦関係は大きく変わり、人生の道連れになるのだろう。おそらく、ここからが本当の夫婦の姿なのではないかと思う。
さて、再びロードバイクに乗って中川の右岸を走る。
中川は蛇行しているので、途中から方向が分からなくなる感覚が面白い。
中川の右岸を行き止まりまで走ると、一般道とのT字路に差し掛かる。
目の前に荒川が見えるのだが、大きな塀があって右岸に入ることができない。
まずは右折して、北上しながら一般道を走り、木根川橋の東詰交差点を左折して橋を渡る。
すると、荒川の右岸に辿り着く。スカイツリーが頂上を雲の中に突き刺しているかのようだ。
荒川右岸にも野球少年と母親たち、あるいは野球中年たちがいるが、江戸川ほどではない。
荒サイといっても、このルートから入る場合にはかなり下流だ。途中から野球のグラウンドがなくなり、ほとんど歩行者がいなくなる。
スピードを上げることはできるが、ソロライドの場合には暇だな。同じ光景が続いて変化に乏しい。
しかし、江戸サイを走っていたのに、気がつくと荒サイにいたというセルフボケツッコミな感覚が楽しい。
葛西橋でスロープを上がって左折し、ラーメン屋を通り過ぎたところで右折して葛西臨海公園へ。この場所にも人が戻ってきたようだ。
舞浜大橋の右側を走ってディズニーの前を通り、浦安の新町に帰る。
富岡地区辺りで「こちらは防災浦安です」というアナウンスが聞こえた。
浦安市内には各所にスピーカーが設置されていて、一斉に音声を流すことができる。今回は、担当職員ではなくて市長が自分で市民に呼びかけている。
コロナ警報が解除されて、注意報に移行したらしい。
平凡だと思っていた日常が新型感染症と社会の混乱によって破壊され、大変に辛い毎日が続いた。
そして、少しずつ平凡な日常に戻ろうとしている。それはとても大切でありがたいことだ。
出発した時にはフラストレーションの塊になっていたが、周辺の街をサイクリングで廻って随分と楽になった。
そして、日の出地区に帰ってくると、確かにこの町は治安が良くて、清潔で、子育てに適していることを実感する。
自分が辛くても、妻の職場や実家が近くて便利で、かつ子供たちがより良い環境で育つことができればいい。
我が子たちに出会えてパパブースターが起動していた頃の私は、そう思って浦安に引っ越してきたはずだ。
現在ではその推進力も燃料が切れて、疲弊しながらの毎日だ。
けれど、こうやって疲れることも父親として普通の姿なのかもしれないな。
あまり遠くない将来に引っ越すことを考えながら生きるしかあるまい。
よし、充電完了。