2020/08/30

熱中症の寸前でライドから帰還

今年の夏は例年よりも暑く感じる。マスクの着用も暑苦しいが、気温と陽射しが厳しい。8月に入ってからあまりに暑いため、エアコンの効いた自室でスピンバイクに乗る休日が続いた。


しかし、青空の下でペダルを回し、肌の上で塩ができるくらいに汗をかきたい気持ちになった。

早朝にロードバイクのライドに出発して、午前中に帰ってくる予定だったのだが、晩酌で酔っていたため目覚ましのセッティングを間違った。

起きた時点で、すでに太陽は高く上がりかけている。

真っ青な空が、まだ少しだけ続く夏を感じさせてくれて、気持ちが楽になる。秋や冬の訪れは寂しいものだ。

この移り変わりが寂しく感じられるようになったのは、いつからだろう。

中高生の頃の夏は部活が楽しかった。秋には文化祭や体育祭。部活の冬トレや正月など、メリハリがあったな。

若かりし独身時代の夏は、心躍る恋愛と様々な季節のイベントがあった。

交際している女性と手をつなぎ、互いの手が汗ばんで苦笑いし、カフェで語り合い、花火を観たり、夜祭りに行ったり。

その後で肌を重ね合わせることへの興奮や期待もあったな。人は概ね男と女で1セットの生き物なんだと思った。

秋には様々な場所を訪れ、クリスマスや大晦日。涼しくなったり、寒くなっても楽しかった。

今はどうか。

すでに産卵期を終えて川を下っていくオスの鮭のようだ。

人を飛び越えて魚の比喩になってしまうくらいのギャップがある。

夏に燃え上がるような感情もなく、暑くて疲れながらのルーティンが回る。年末が近づくと仕事が忙しくなり、家庭も慌ただしくなる。

新年が始まると仕事の山が雪崩のように押し寄せて、気がつくとまた一年、歳を取る。

人は一人で生まれ、一人で死ぬ。どこまで生きても一人なんだ。

昨今ではコロナ不倫なんて言葉まで聞こえてくる。余裕がないけれど空虚な毎日に飽きてしまい、ときめいた気持ちを取り戻したいのだろうか。

その行いは、たとえ様々な都合があったとしても間違っている。

素になって考えてみると、人の一生にも春夏秋冬は確かにあって、若き日の思い出は夏に相当するのだろう。

そして、立派な中年になった私は、人生の秋に差し掛かり、いつかやってくる冬を感じているわけだな。

この秋が異様に長い。

記憶としては、少し前まで夏だったのに、育児のステージを過ぎたら一気に秋になった。

だからこそ、実際の夏の終わりを自らの生活に投影して、妙に寂しく感じるのだろうか。

誰だって生きていれば歳をとって老いるものだ。

子供たちが成長して自立するというステージが、私の人生における実りある晩秋になることを願う。

ライドに出かける前に、家族の洗濯物をマルチハンガーにひとつずつ取り付ける。

子供たちが育ってくるたびにハンガーの数が増え、ずっしりと重い洗濯物をベランダに干す。

以前、妻が首を寝違えて肩が挙がらなくなり、平日も休日も私が洗濯物を干すことになった。

これをやると妻がキレる頻度が5%有意で減るので、精神安定もかねて洗濯物干しを続けている。

本日のライドは、いつもの通りに浦安市から市川市や船橋市を抜けて千葉市に入り、そこから経路を変えて浦安市に戻ってくる市街地ルート。

暑いので往復60km程度に設定しよう。

この暑さで河川敷をソロライドで走っていて熱中症にかかっても、おそらくは誰も助けてくれないことだろう。

市街地ルートは、路面やビルからの照り返しがあるが、コンビニに避難することもできる。

サイクリングにおいては、毎回違ったルートを走らないと飽きてしまう人と、毎回同じルートを走り続ける人がいる。

私は後者のタイプだな。

生きることに疲れたら習慣を大切にして、生きることに飽きたら変化を大切にする。

五十路近くまで生きて、その程度のことしか悟れない自分を恥じつつも、これはこれで有用な知恵だったりもする。

私にとってのロードバイクのライドには、レースで競うとか、ポタリングで美味を探すといった目的はない。

速く走ることも、長く走ることも意味はない。

食事や入浴、労働、散髪といった日常の習慣としてロードバイクのライドがある。

本日のライドでは、イーストン社製のゼロ角度のステムを100mmの長さに変更したので、ハンドル角度の微調整を行うことを目標の一つにした。

コロナのライド自粛で筋力が落ちたようで、前傾姿勢をとることが難しくなった。

そこで、ゼロ角度の80mmのステムから体を慣れさせて、90mm、100mmまでステムを長くした。

ここまで早く体が慣れるのであれば「ゼロ角度のステム、いらなかったんじゃねぇか?」という疑念が生じたりもするわけだが、すでに買ってしまったので振り返らずに生きることにした。

それにしても、今日の暑さは尋常ではない。

妙典橋を越えたくらいで、太陽光と気温のヤバさを実感し、引き返そうかと少しだけ思った。

船橋市内の市街地では道行く人たちが顔をしかめていたりもする。

千葉市内の海沿いでは、ロードバイク乗りの姿が見当たらない。というか、ジョガーも家族連れの姿も見当たらない。

道路のずっと先には陽炎が生じている。

念のため氷を詰めたサーモスの魔法瓶をツインボトルで持ってきていたが、体の中からの冷却が間に合わない。

ということで、日陰に入って涼み、広い歩道の木々の下をのんびりと走っていく。

photo2.jpg

新しく買ったスマホのカメラは、以前のものよりも綺麗に撮影することができる。

しかし、撮影技術が進歩した現在では、ネット上に綺麗な写真があふれていて、何だか味気ない。

...と思っていたら、様々なモードで写真を編集する機能が用意されていた。

一瞬で写真が自動修正されて絵画のようになってしまったが、これはこれで面白い。

もとい、これは厳しいぞと感じながら黒砂陸橋で折り返し、習志野市に入る。

なぜか分からないが、習志野市内は体感温度が数℃くらい下がった気がした。とても走りやすい。

公園の近くの自販機で、本日4本目のスポーツ飲料を補充している時のことだった。

公園の林の中で遊んでいた小学生たちが、「スポンジ・ボブ!スポンジ・ボブ!ズボンは四角!」という不思議なフレーズを連呼しながら走り去って行った。

どうやら、習志野市では今でもスポンジ・ボブが放送されているようだ。

ここまでは何とか走っていたのだが、市川市内に入ってから、心拍数が140から下がらなくなってきた。

ライド中の熱中症は心拍数によってある程度は把握することができる。

かといって、コンビニに入って冷えた2リットルの水を買い、頭からかぶる程でもない。

というか、思考が鈍くなって、コンビニに入るという発想が浮かんでこない。

グループライドであれば、仲間が異変に気づいたり助けてくれるが、ソロライドは全て自分で対応せねばならない。

若い頃は、この程度の暑さなら気にせず走ったものだが、歳は取りたくないものだ。

すっかり速度が落ちて、腹が出たニワカなロードバイク乗りに追い抜かれ、サンダル履きのクロスバイク乗りに追い抜かれる。

しかし、心拍数が下がらないので、これ以上の無理は危険だな。

このような時、踏めばオートパイロットモードのように進んでくれるクロモリロードバイクは有り難い。

輪行袋をロードバイクに取り付けているのに、駅でパッキングする気力もない。

浦安市内に入り、あと少しで自宅がある日の出地区なのだが、今日のシンボルロードはやけに長く感じる。

途中のコンビニで冷やしうどんを買い、帰宅した後で真っ先に冷水シャワーを浴びる。

冷却したのに思うように身体が動かなくて焦ったが、うどんを食べてしばらくしたら回復した。

どうやら、熱中症だけではなくて、ハンガーノックも起こしかけていたらしい。

暑すぎて何かを食べる気力がなかった。

自室でクーラーをかけて、小一時間の昼寝の後で起きる。

手足が真っ赤に日焼けしていて、これはこれで粋だな。夏を全身で受け止めた感がある。

だが、無理をすると命を失いかねないし、ライド中に入院すると愛車が心配だ。

夏場はこまめにコンビニで休憩し、歳相応に走ろうと思った。