2020/08/14

8年間使い続けたスマホの引退

最近、録を記すことが面倒になってきた理由があって、それは携帯端末として使っているスマホがあまりに古いこと。


すでに8年くらい使い続けていて、OSはAndroidの4.0という状態。

アンドロイドのスマホは、購入からしばらくするとOSの更新が止まるので、使えないアプリばかりになった。

データの通信が遅く、インターフェイスも使いづらい状況で、いつもの長文の録を打ち続けることが厳しくなってきた。

通話無制限のガラケーが別にあるので、このスマホはMVNOのSIMを入れて、ブログを書いたり読んだりする程度。

大手キャリアに多額の通信費を支払ってまでスマホを使いたくない気持ちが強い。

日本ではMVNOが「格安スマホ」と呼ばれるが、海外ではこのレベルが一般的なスマホの料金だ。

日本の大手キャリアの料金設定は国際的に見て異様に高い。

何とか割とか、何とかキャンペーンといった値引きは、実際には企業に損が生じないように仕組まれている。

企業側の思惑が透けて見える状態で、その思惑に乗ってやる筋合いはない。

そのサービスがインフラの一部になっているにも関わらず、必要な存在の価格を吊り上げるというやり方は、我が国ではよくあることだ。

そのやり方がまかり通るのは、疑問を感じても我慢するという国民性が関係しているのだろうか。

そういえば、今度はガラケーのサービスを終了させるという話だな。

いわゆるガラホが後継になるようだが、同じ機能と用途なのに料金が跳ね上がっている。

大手キャリアがそのような商いを続けていたら、いつか人々の怒りがハレーションを起こす気がしてならない。

とはいえ、企業から多くの広告費を受け取ることで成り立つマスコミとしては、顧客の損失に繋がる情報発信を避けたいことだろう。

ここでの顧客とは、一般の人々ではなくて通信企業のことだ。

ならば、どうしてMVNOというサービスがここまで普及してきたのかというと、そこには法律と大手キャリアの都合があるわけだが、それらを知る人は少ない。

スマホに限らず、マスコミの意図や都合が関わるマターはとても多い。

そのようなメディアの状況も、デジタルネイティブが中年になった頃には通用しない時が来るのかもしれないし、メディアからの情報は話半分くらいで受け取ることにしている。

併せて、多くの人たちが知らされていないことはたくさんあって、それらを知らないままの世の中を現実と認識し、生き、老い、そして去る。

知らない方が幸せなことはたくさんあるし、知ったところでどうなんだという話もある。

私が生活する浦安という小さな街においても、ほとんどの市民が知らないことが以下略。

さて、それは4年くらい前のことだったろうか。

深夜残業が続いて疲れている上に、朝の通勤ラッシュでさらに疲れていた私は、降車時に突撃してきたオッサンにぶつけられて、スマホが手から落ちてしまった。

私もオッサンだから言うが、①電車に駆け込むオッサン、②足を広げたり組んで座るオッサン、③自分の縄張りを主張するオッサン、④在来線なのに発泡酒や缶チューハイを飲んでいるオッサン、⑤酔っ払って騒ぐオッサンたちの醜態は見苦しい。

脂ぎった髪と額。太って前部に張り出した腹。上品とは言えない目つき。

これまでの彼らの生き様がよく分かる。

運悪く、スマホは電車とホームの隙間に落ち込んでしまい、電車が去った後もレールの付近に見当たらない。

電車に引きずられたか、粉々になったのだろうと、私は駅員に状況を伝えてそのまま出勤した。

すると、しばらくしてスマホが見つかったという連絡がガラケーに届いた。

駅のホームの裏側、つまり利用客が立って並ぶ部分の下の空間にスマホが転がって難を逃れていたそうだ。

落下時の傷はあったが、これこそまさに不幸中の幸いだと、私にとってこのスマホは御守り代わりの存在になった。

それにしても、OSの更新が止まっただけで、日本製の端末自体は8年経っても使える。

まだ使えるものを捨てて新規に買うという考えは、いかにも米国風の発想だな。

それでも古い製品を使い続けるユーザーに対して、あの手この手でプレッシャーをかけてくる。

スマホに限った話ではなくて、ロードバイクのディスクブレーキ化も同じ感じだな。

リムブレーキのフレームを使い続けるユーザーに買い替えを促すため、最初からリムブレーキ対応のフレームを販売しないなんて、日本のメーカーでは考えられないことだな。

また、そのような流れに日本のメディアやユーザーがなびいてしまうことも否めない。

「うん、まあ仕方ないよね」と受け止めて前に進むアバウトな潔さが、この国の面白さかもしれないな。

注文してすぐに届いた新しいスマホは、旧式と比べてとても使いやすい。

ガラケーでネットを使っていた頃が一番楽しかった気がするが、それはネット黎明期へのノスタルジーであって、もはや戻ることもできないわけだ。

技術の進歩によって、人の生き方は豊かで幸せになったのだろうか。

それにしても、食洗機や子供の学習机、タブレット端末、シティサイクル、今回のスマホ。

子供が大きくなって新規購入が必要になる物と、老朽化して買い替える物のタイミングが一気にやってきたな。

今度は冷蔵庫か電子レンジの故障と買い替えがやってくる気がする。

厳しい暑さがやって、さすがにロードバイクの実走は危険だな。

しばらくは、スピンバイクの室内トレーニングに切り替えよう。

古いスマホは、タバタ式トレーニングのタイマー兼目覚まし時計として、これからも使い続けることにした。