2020/08/06

子供乗せ自転車からミニベロへの乗換

「今まで頑張ってくれて、ありがとう」と、前後にチャイルドシートを取り付けたシティサイクルの汚れを雑巾で拭き取り、この自転車と最後のサイクリングに出かける。


サイクリングといっても、浦安市の新町を軽くまわって自転車店に行くだけの道のり。

子供が増えて、保育園や習い事の送り迎えのために間に合わせで買ったアシスト無しの子供乗せ自転車だが、故障もせずに長い月日にわたって耐えてくれた。

乗り始めた当時は、下の子供がオムツをしていたくらいの時期で、我が子たちを前後のシートに乗せて公園に通ったな。

独身時代はダサいと感じていた子供乗せ自転車だが、いざ乗ってみると、自分が父親になったことを実感して誇らしく思った。

子供たちが幼かった頃の写真にも、この自転車が写っていることがよくある。

育児というステージは、ドラマやパンフレットに描かれている程に優しいものではなく、育児から子供たちの可愛さを引いて残るのは、疲労とストレスだった。

共働きの育児と長時間の電車通勤で追い詰まっていた時期は、子供を保育園に送っていった後、泣きそうになりながら、あるいはしかめっ面をしながら駅に向かってペダルを漕いだこともよくあった。

駐車場のない保育園に自転車で子供を送迎することの大変さは、片働きの世帯の父親には分からないことだろう。

子供の機嫌が良ければ何とかなるが、グズっている時は気が狂いそうになる時があった。

雨が降る日はさらに厳しくて、自分の髪の毛や服なんてずぶ濡れになったりもした。

保育園用の子供の荷物を担ぎ、駐輪場で子供を降ろし、今でも女性の世界だと言わざるをえない保育園で何度も挨拶しながら預け、そこからが職業人としてのスタートだ。

保育園児だった頃の子供たちは、この子供乗せ自転車をとても大切に思ってくれていて、平日も休日も一緒に乗って走った。

けれど、子供たちが成長してくると、チャイルドシートに乗ることを嫌がるようになった。

乗っている姿を同級生に見られると恥ずかしいそうだ。

それからしばらくして、自転車の荷重制限がオーバーするようになり、安全面からも子供を乗せなくなった。

子供たちが自分の自転車に乗るようになり、ママチャリのチャイルドシートは、ただの買い物用の荷物置き場になった。

それでも、子供たちとの思い出が残る自転車なので、五十路が見えてきても、さらに数年くらい乗り続けていた。

自転車は物でしかないが、私は物に思い入れが強く残るタイプだ。

人は記憶によって自己を認識する。

我思う故に何とかというが、それらの記憶は自らの脳だけに存在するわけではなくて、自己を知る人たち、長年使い続けた物、住んだ街、気に入った料理、それら全てが自己を自己たらしめる外部記憶となりうる。

しかし、ふとしたタイミングで、この子供乗せ自転車から降りることになった。

最近、コロナ関連の外出自粛が始まり、休校中の運動と日光浴をかねて、子供たちと一緒にサイクリングに出かける機会が増えた。

自分の自転車で私を追いかけてくる子供たちを見つめながら、すっかり大きくなったなと嬉しく思った。

一方で、意識しなくても視界に入る子供乗せ自転車のチャイルドシートが、ボロボロに朽ちていることを実感した。

潮風が吹く浦安の新町は、戸外に置く自転車の劣化が早い。各種のボルトやホイールのスポークも錆び付いている。駆動部のベアリングも限界だな。

チャイルドシートを取り去ってカスタムすることも難しい。ハンドル周りまでチャイルドシートを想定して設計されているので不格好になる。

子供たちが日々育っていくことを、フロントシートのハンドルの重さや、リアシートの揺れで感じたものだが、もはや子供たちがこの自転車に乗ることもない。

少しおセンチな表現だが、子供乗せ自転車と、育児を過ぎた父親の姿が重なって見えた。

私自身も五十路が見えてきて、随分と老いた。

育児中は趣味のロードバイクに乗る時間がなくて、レースに出ている余裕もなかった。

ところが、子供たちが育ってくると、今度は私が年老いてロードバイクに乗る気力や体力が減ってきた。

それでも、趣味よりも育児を優先したことを悔やんではいないし、すぐに大きくなってしまう子供たちとの時間を過ごすことができたことを嬉しく思う。

育児を続けていると、「この大変さは、いつまで続くんだ!」と感じたものだ。

子育てはこれからも続くが、未就学児の夫婦共働きの子育ては厳しい。

育児という行為の苦労だけでなく、夫婦の意味や役割について、時に対立し、時に諦めながら前に進む苦労がある。

また、このステージにおいて、決して珍しくはない頻度で夫婦が離婚し、離婚を十分に想定しているとは言い難い社会の中で、決して少なくない数の子供たちが涙を流し、貧困に耐えている。

結婚することも、子供を生み育てることも国民の義務でもない。

それでも人は家庭を築き、子を産み育てる。

その行為は生命として脳にプログラムされた本能であって、理由なんて必要ないのかもしれないな。

だが、高度化した社会では、種を残すという生命の本質の他に様々な要素が多すぎて、本能を損得で考えることさえまかり通るようになったのか。

その流れがいつ始まったのかというと、私が小学3年生くらいだったと思う。

担任の教師が授業中に「最近では、結婚しない人や、子供を生み育てない人が増えてきた」と、嘆いているわけでもなく、賞賛しているわけでもない不思議な表情で子供たちに語っていた。

当時は不思議な生き方もあるのだなと子供ながらに思っていたが、その気持ちも分かるようになった。

自分が生きるだけでも大変な世の中で、家庭を持ち子供を育てることがいかに厳しいことか。

我が国の少子高齢化は、私たちのような団塊ジュニア世代が子供だった頃から、すでにレールの上に乗っていたのかもしれないな。

それでも、色々と厳しかった育児という山を四苦八苦しながら登り、子育ての次のステージが見えてきた。

今から思えば、共働きの育児は充実して楽しかったなんて、気楽に言えるはずがない。

よくよく考えてみると、「男は仕事、女は家庭」という考えが一般的な社会で大きくなったオッサンたちが社会の舵を取っていた、あるいは今も舵を取っているから、共働きの子育てがこんなに厳しいのかもしれないな。

私たちのようなオッサンの考えが変わらないと社会は変わらない。

この調子で若い父親たちが積極的に共働きの子育てを続けて、次々にオッサンになっていけば、この社会は共働きにフィットした姿に変わるはずだ。

まあとにかく、私には父親としての次のステージがやってきたわけだな。

全国一斉休校や外出自粛期間のサイクリングで、この自転車も子供たちとの十分な時間を過ごした。

もちろん完全な私の主観だが、子供たちを運び続け、子供たちが大きくなった姿を見届けて、この自転車としても本望だろう。

市内の移動手段として、私の街乗り自転車を新調することにした。

同じメーカーが販売している小径車、いわゆるミニベロを取り寄せて、ようやく納車の日がやってきた。

子供乗せ自転車は同じタイミングで廃車の手続きを取ることにした。

小さな頃に何度も乗った子供乗せ自転車なのに、小学生になった今では子供たちが何の関心も示さない。

廃車の日に、妻や子供たちと記念撮影でも考えていたが、あまりの無関心さに気が削がれて、無言で自転車店に向かった。

このような自転車の扱いも、育児を経験した父親の境遇と重なることがあるな。

どれだけボロボロになって頑張って耐えたとしても、妻や子供たちから見れば普通のことなのだろう。

まあいいや、父親の役を演じているだけなのだから。

そして、育児のステージが過ぎ、子育ての次のステージを迎えた私にとっての目標とは何か。

それは、「生きることに飽きないこと」だな。

五十路がやってきて、仕事の方はリタイアまでの道程を見渡せるようになってきた。

もはやどれだけ頑張っても、出世や成果は程度が知れている。

家庭の方も、夫婦の繋がりが深まったという実感はなく、これからも私は制度的、もしくは社会的に夫の役を演じながら生きるのだろう。

子供たちにおいては、天才的、あるいは秀才的な素質が認められるわけでもなく、努力次第だな。

たとえ銀杏の紋章を手に入れても、高いステータスに就いたとしても、そこに人生の本当の豊かさはない。

何が幸せで、何が幸せでないのかは、子供たち自らが考えることだ。

一方で、老いと共に私の気力と体力は間違いなく衰えていて、最後が見渡せる下りの一本道であっても、踏み外すと家庭が傾く。

このような日々の中では、もう十分に生きた感じがあり、人生というロールプレイングゲームが虚しくも思える。

さらに生きることで何か胸躍ることがあるのかと期待するまでもなく、今の私は生きることに飽きてしまっている。

しかし、私はまだ夫や父親という役を演じきれていないし、まだまだ役目がある。

生きることに飽きたら変化を求めよう。

いきなりの転職等で職場や家庭に迷惑をかけることもなく、ギャンブルのように金もかからず、不倫や風俗のように不貞を犯すこともない何かを探そうと思い、単純に思い浮かんだこと。

それが、以前から欲しかったミニベロだった。

ジムに通ってムキムキのマッチョになるという選択肢もあったのだが、使いもしない筋肉を増やすことに意味を見いだせなかった。

今までもダホンやターンのスポーツタイプのミニベロを買って乗ったことがあるが、ハンドリングや挙動が不安定ですぐに手放した。

だが、ミニベロに特徴的なフォルムはロードバイクのそれよりも好きだったりする。

しかし、我が家には自転車の室内保管において、妻が決めた2台ルールというものがある。

スピンバイクとクロモリロードバイクがあるので、室内保管するミニベロを買うことは難しい。

となると、戸外で放置しても耐えるくらいの頑丈なミニベロが必要だ。

結果として、太いタイヤを履かせた重量級の鉄製のミニベロを手に入れることにした。

私の自転車観では、常にタフネスというベクトルに向かって進む。自転車だけでなく妻も以下略。

そして、実際に乗ってみると、このミニベロはとても心地良くて楽しい。

ミニベロはホイールが小さいので地面からの衝撃をモロに受けたりもするが、太めのタイヤと大きめのサドルが、ポンッ、ポンッといなしてくれる。

短めの自転車の全長は、浦安のように混み合った街で駐輪する際にも取り回しが楽だ。

スポーツタイプのミニベロと比較すると加速も巡航も上がらなくて、小走り程度の速さが最も心地良い。

座骨の角度はほぼ垂直なので、視界は歩いている時と変わらない。夏の空がよく見える。

軽いミニベロはふらつきが怖かったが、この重量級の車体は安心だな。

ただし、段差で気を抜くと転ぶので注意せねば。

私は浦安市での生活自体が苦痛で、朝起きると、駅までの距離が億劫に感じて辛かった。

今はミニベロに乗れるからと頑張って駅まで通っている。

駅からの帰宅時に大回りして夜の潮風を感じてリラックスしたり、休日に近所をポタリングしながら買い物に行ったり。

遠出をする時にはロードバイクだが、近場を走る時には迷うことなくミニベロだな。

のんびりとペダルを漕ぐ用途としては、やはり太めのタイヤと小径ホイールがいい。

ハンドルの端をカットして、腕の位置を狭めたいなとか、リアの変速を取り去ってシングルギアにしたいなとか、サドルをBrooksにしたいなとか、この自転車はカスタムの素材としても面白い。

気に入った。

生きることに飽きないという目標に沿った愛車として、六十路になるまで大切に乗り続けよう。