2020/07/14

ワンダフルフィッシュを探す日々

相変わらず仕事が忙しい上に、ディズニー客が京葉線に押し寄せ始め、ストレス源となっていた上の階の家族が急に引っ越したので、私は調子を掴めずにいる。こんな時はロードバイクのライドで心身を整えよう。


天気予報では午後から雨が降るそうだが、今年の梅雨は予報が当たらない日が多い。それほどまでに天候が不安定なのだろうか。

前回、気象協会の予報を信じた結果として雨の中で走ることになった。

それ以来、スーパーコンピューターで天気や風向きをシミュレートしているSCWのサイトで天気を調べることにした。

朝の天候は曇り。どうやら午後から雨が降るらしい。

昨夜も妻が切れていたが、どうやら持ち直したようだ。子供たちも育ってきて、私を構ってくれなくなった。

タイヤの空気圧を確かめた後、クロモリロードバイクに乗って走り出す。

午後から雨が降るとなると、さすがに好きな内房までは無理だな。江戸川の右岸と左岸を回ってくるルートにしよう。

心身の健康維持を目的としたサイクリングの場合には、距離や時間が限られていても、習慣的に乗り続けることが大切だと思う。

めまいについては感じるか感じないかというレベルに落ち着き、これ以上の改善は望めないことだろう。

生活上のストレスが原因となった不調の場合、それらを解除することが難しい。

眠りが浅くなることも、急に人生を終えたいと感じることもないので、精神がレッドゾーンに入っているわけでもなさそうだ。

だが、生きることが虚しく感じる。そこには大きな無情感があって、本日のライドにおける思考のテーマになることだろう。

357号線沿いの不衛生な歩道を走らず、旧江戸川沿いから市川市に向かう。

旧江戸川沿いの車道は、幅が狭い割に自動車がスピードを上げて走ることがある。

しかも、路面には近隣の住宅等のために小さなマンホールのような蓋が設置されている。

この鉄製の蓋は各戸に用意されているようで、雨天時や雨上がりにロードバイクで乗り越える時には滑るので注意が必要になる。

どうして多数の蓋を道路に作ることになったのか、とても不思議で興味深い。

江戸川河川敷の右岸の遊歩道に入ると、グラウンドだけでなく路上にまで野球少年や付き添いの保護者たちが溢れている。

これでは快適なロードバイクのライドは期待できないが、コロナ禍の前とあまり変わらない状況だ。

まだ安心するのが難しい世界だが、少しでも平凡な日常が戻ってきたことを嬉しく思う。

野球少年たちや保護者たちが我が物顔で河川敷を使って道路をふさぐ状況に苛ついたロードバイク乗りたちが、減速せずに突っ込んでいく。どっちもどっちだ。

江戸サイはこんなものだと最初から諦めている私は、スピードを落としてのんびりと走り続ける。

アップライトのポジションを保つために換装したゼロ角度のステムは、すこぶる調子がいい。

江戸川の右岸は寅さん記念館の辺りまでこの調子。禅どころの話ではない。

寅さん記念館を抜けると、河川敷の遊歩道は人がまばらになり、ようやくサイクリングを楽しむことができる。

梅雨時期の湿気や気圧の低さからなのか、あるいは生きること自体に疲れているのか、なかなか気分は上がってこない。おそらくその両方だろう。

後者について言えば、子供たちが小学生になって子育てのステージが進み、夫婦関係も円熟期に入り、父親あるいは夫としての私個人の愁いというか。

それを言葉で表現することが難しいのだが、人生においての虚無感というか無情感というか、要は中年親父なら感じることなのだろう。

妻は経済的に苦しんでいない家庭で育ち、今も苦しんでいない。子供たちもこれが普通だと思っている。

私の場合には、大きな借金をかかえた自営業の実家で育ったので、父親という存在はまさに生活や人生の柱だった。

父親が倒れたら、飯を食べることも学校に通うこともできない。

不条理なこともたくさんあったし、塾に通う金もなかったが、それなりに父親を尊敬していたし、感謝もしていた。

では、我が家の現状はどうなのか。私が通勤地獄で疲れて帰ってきても労いの声はない。

「いってらっしゃい」「おかえり」「おつかれさま」「いつもありがとう」といったごく普通のフレーズが聞こえてこない時がある。

安定した収入を得て家庭に入れ、浦安の新町に住み、食洗機や洗濯乾燥機などの家電、ドライヤーに至るまでフラッグシップモデルだ。

子供が塾に行きたいと言えば通わせ、妻が海外旅行に行きたいと言えば出かけ、不自由なく生きているはずだ。

自分自身が経済的に苦しんだので、家族にその辛さを経験させたくないと思い、ここまで努めてきたつもり。

しかし、その結果として私が手に入れたのは、「歩くATM」のような父親としての人生だったようだ。

仕事と通勤で家庭にいる時間が短いわけだから、子供たちが父親をリスペクトするように成長するかどうかは妻からの躾にも大きく影響を受ける。

古い昭和の考え方だと言われようとも、母親が父親を尊敬していたら、子供たちは自然と父親を尊敬するようになると思う。

だが、妻から見ると、私は理想の夫ではないと判断しているだろうし、それは事実だな。

このステージに入った夫婦がどのような関係なのか、それは世帯によっても違うだろうけれど。

夜の営みが年に数回、あるいは何もないどころか、感情さえ冷め切った夫婦だって珍しくないことだろう。

婚姻という男女の生活は、生き方というよりも制度だと私は考えていて、制度なのだから深く考えることはやめようという思考に至る。

仕事の方は、現時点から退職までのイメージがつくようになってきた。

どれだけ頑張ってもこの辺だろうという目安が見えてくると、人はやる気を失うか、別の場所を探す。

一方で、子供たちが小学生になると、学区から引っ越すことさえ難しい。

長時間の電車通勤の最中には、自分自身が出荷を待つ工業製品や農作物になったような気になることがある。

電車という鉄の箱に乗せられてレールの上を運ばれ、乗り換えのために駅構内で人混みに巻き込まれ、それぞれの人たちが流れに乗ってわずかな余裕さえもなく急いで進む。

たまに、スマホゾンビと揶揄される人たちがその流れを遮る姿も、大量のビール瓶やみかんが機械で選別されていく最中に引っかかる光景に似ている。

だが、そのラインを流れているのは、工業製品でも農作物でもなく、人間なんだ。

いくら効率的だとはいえ、おかしいだろ、このシステムは。

そのシステムを避け続けて、それなりに人生を進んだのに、家族の都合でこの有様。

疲労困憊で職場に到着し、なかなか調子が戻らない状態で業務をこなし、再びレールの上で運ばれる。

いつも思うのだが、人が多すぎるんだ。浦安という街は。

不動産屋は、こんなに人を集めてどうするんだ。街は商品か?

心身を磨り減らし、老いた後にはこのラインから外され、やり残したことがあっても、後悔があっても、後戻りはできない。

それがその人の生き方だったと数少ない人たちに記憶を残し、命が尽きて出荷される。

このロジックだと、人が生きて残すのは我が子や知人への情報という結論に至る。遺伝情報もまたしかり。

真面目に考えると怖いな。

結婚し子育てに入った10年間で、私の職業人としてのキャリアは夢や希望から大きくかけ離れた状態になった。

それは家族が悪いわけではなくて、ライフスタイルの選択を私が誤ったからだと思う。

私が浦安に住み続けているのは家族のためだ。私自身のためではない。

しかし、その取り組みの結果として歩くATMになってしまったように感じる。

しかも、そのATMの機器のメンテナンスは自己管理だ。金を出して当たり前、壊れたら自分で修理するという。

体調が悪くなっても自分で何とかしろ、自分は仕事と家庭で忙しいと妻から言われた時には、さすがに心に刺さった。そのままバーンアウトに進んだので、本気でそう思っていたらしい。

優先順位が逆なんだ。父親が倒れたら、子供たちの中学受験や中高一貫なんて不可能になる。

私が家を出て別居し、一人で生活しようと思ったことさえあった。

うちの家族は、実際に経済的に苦しまないと、父親の大切さが分からないと思う。

しかし、実際に苦しむのが私の家族だと思うと、その状況を作るわけにもいかない。

なぜに家族のために自らを犠牲にし続けなければならないのか。それは自分が父親になったからだな。

未婚男性が増えたり、離婚する夫婦が増える理由は分かる。これは大変だ。

レース志向のロードバイク乗りならばパワーメーターの表示を見ながら、今日は「かかる」とか「かからない」といったことを考えているライドの時間、私は黙々と中年親父の虚無感について考えた。

何だろうな、この虚しさは。

ライドの前日、斉藤和義さんの曲を聴きながら眠った。若き日の私が上京して初めて購入したのは彼のアルバムだった。

当時の斎藤さんはデビューしてから時間が経っていなくて、まだ20代だったと思う。現在では50代なのだから、時間の流れは速いものだ。

今の心境は「tokyo blues」の状態で、求めているのは「おつかれさまの国」の状態で、不満を爆発させると「ベリー ベリー ストロング ~アイネクライネ~」の状態になってしまう。

斉藤さんの豊かな感受性と表現力は、生きて行く中で受け取る様々なエピソードや感情を歌に乗せて広げることを可能にしているのだろう。

そういえば、小説家の伊坂幸太郎さんは、会社員を続けながら小説を書いていたが、斉藤さんの「幸福な朝食 退屈な夕食」という曲を聴いて専業作家になる決心をしたそうだ。

「ベリー ベリー ストロング ~アイネクライネ~」の歌詞を提供したのは伊坂さんで、同じテーマの小説が発表されているのでパラレルで楽しむことができる。

言葉で表現するのは難しいけれど、誰もが感じることはたくさんある。その言葉に出会えた時、人は心を大きく動かされ、時に励まされ、時に方向を見定めることができる。

ペダルを漕いでいると、斉藤さんの「WONDERFUL FISH」という曲が私の頭の中で流れていた。アルバムのタイトルにもなった曲だ。

確かにそうだな。今の私はその魚を探しているが、どこにも見当たらない。

ワンダフルフィッシュが何かといえば、それは人それぞれの受け取り方があって、実際に曲を聞いて判断するしかない。

中年のオッサンの淡い思い出なんて誰が聞いても楽しくないわけだが、田舎から都会にやってきた当時、セールで買った最低限の家電と家具しかない一人暮らしの部屋で、いつもこの曲を聴いていた。

金がなく物もない生活だったが、夢と自由はたくさんあった。

当時の私は、高校時代から交際していた女性と遠距離恋愛なる関係を続けていた。とても優しい人だった。

とはいえ将来的に結ばれる可能性があるのかどうかも分からず、ただ将来への夢や希望というものはたくさんあった。

結局、その女性との仲は続かずに、別の人生を歩むことになった。

住む場所が離れすぎていたことや、先が見えないことを不安に感じたのだろう。二人とも。

しかしながら、彼女は田舎から首都圏に引っ越してきて、家庭を持って母親として生活しているらしい。

特に未練があるわけでもないが、私の選択によっては、その家庭で私が父親として生活している可能性だってあったわけだな。

若さとは素晴らしいもので、無数の選択肢が目の前に広がっている。

自分が努力してつかみ取ることができたことも、途中で諦めて挫折したこともある。それらを含めた楽しさがあった。

つい最近まで、斎藤さんが「ワンダフルフィッシュ」と表現した存在のイメージは、恋い焦がれる人との生活だと思っていた。

しかし、それは恋愛に限ったことではなくて、生き方全体においても大切な存在なのだなと思う。

この曲が収録されたアルバム全体のコンセプトも矛盾がない。

ワンダフルフィッシュを私なりに具体的に定義すれば、生きることのモチベーションになるような「夢」だとか「希望」だとか「目標」といったものだな。

つまり、生きている中で心をときめかせような何か。

サイクリストであれば、「よし、次のボーナスで新しいカーボンホイールを買うぞ!」とか「今度のレースで頑張るぞ!」とか。

ビジネスシーンでは、「昇格して可能性を広げるぞ!」とか「プロジェクトを成功させるぞ!」とか。

子育てにおいては人それぞれだろうけれど、進学について言えば「我が子を難関中学に合格させるぞ!」とか「将来は東大か国立医学部だ!」とか。

しかし、湿気を帯びた風にまとわりつかれながらペダルを漕いでいる私は気づいた。

現在の私には、ワンダフルフィッシュに該当する存在が見つからない。

ロードバイクに熱中していた頃は、通販でサイクル用品をポチることがそれだったのだと思う。

ところが、一通りのことを経験した後、気がつくとロードバイクが健康器具になってしまった。もはや機材で所有欲や自己顕示欲を求める時期は過ぎてしまったのだろう。

このステージであれば、子供たちの将来においての期待などが父親のワンダフルフィッシュになるはずだが、私にはそれがない。

幸せな生き方というのは、ある程度は親が導いたり、経済的あるいは人的なサポートをすることができるかもしれないが、結局は本人が探すしかない。

妻が中学受験に懸命になるのはありがたいことだが、前のめりになって私の意見を聞かない姿に引いてしまっている。

夫婦の時間さえ削り取り、全力疾走した先にあるのは何だろう。

父親によっては、円熟期を迎えて夜の営みがなくなった夫婦関係に不満をもって、リスキーな状況で新たな恋愛に励む人も少なくない。

これだけ調査会社が多いのだから、需要があるということなのだろう。

だが、私にはそこまでのモチベーションがない。

このまま、職業人という役を演じながら生き、父親という役を演じながら生きる。

しかし、本当の自分はどこにいるのだろう。

これから先のことを達観しかけて、生きることの儚さを感じている状態なのか。

ロールプレイングゲームのように社会で与えられた役を演じているうちに、自分の寿命と共にエンディングに近づいていることへの焦りもあるのだろうか。

現実的な話としては、長時間の通勤の苦しみがなくなって仕事に打ち込める環境になり、義実家のストレスがなくなり、家族がもっと気遣ってくれることを願う。

世間一般に考えれば大した希望ではない。こんな大したことがないことで悩んでいるし、解決できずにいる。

ロードバイクで徐行しながら走っていたら、前方にシニアの男性と小学校高学年くらいの少年が二人で歩いていた。おそらくお爺さんとお孫さんが河川敷の散歩と会話を楽しんでいるのだろう。

すると、そのタイミングで私たちの対面からジョギング中の若い女性が走ってきた。河川敷ではよくある光景...だと思ったら、水着のようなウェアで、全身汗だくで走ってくる。

しかも、グラビアアイドルやレースクイーンのような体型だ。

子育てに入って長らく続く男子中高生のように抑圧された日々の中で、すでに枯れていたと思っていたのだが、現実社会で凄い人を見かけると、さすがに様々なことが頭に浮かぶ。

男として正常な本能が残っていたことに安堵した。

ふと、そのお爺さんを見たところ、彼の目が艶めかしいお姉さんに釘付けになっていた。

そうなんだ。男の欲求というものは歳を重ねても残っていて、妻が関心を失うと夫婦関係は苦しみに変わる。新幹線の車内販売の女性をガン見する老人がどれだけ多いことか。

すると、隣を歩いていた小学校高学年くらいの男の子も同じ方向を見ていた。

その後でお爺さんとお孫さんとの間で微妙な空気が流れるのかと思いきや、二人が互いに顔を見合わせて、「スゲーな!」「うん、バッツン、バッツンだったね!」と笑っていた。

この数日の私は、心の底から笑ったことがなくて、職場や家庭で愛想笑いを何回か見せただけだった。

コミカルな漫画に出てくるような二人の姿を見て思わず吹き出しそうになり、彼らを追い抜いた後で笑いながらペダルを回した。

高齢男性が持つペイズリー柄の欲求を爽やかに表現し、しかも小学生のお孫さんと笑い合えるなんて、素敵な老後だなと思った。

それにしても、小学生が「バッツン、バッツン」なんて言葉をどこで学んだのだろう。私はこの擬態語を聞いたことがない。

これらの言動はジョギング中の女性にとって失礼なことではあるのだが。

少し気が楽になって、江戸川に架かる橋を越えて左岸に渡ろうとした。

橋の上から河川を眺めても、飛び込みたくなるような感覚はない。大丈夫だ。

長い橋をしばらく通行すると、その上からゴルフコースが見えた。HYPSENTの写真はデザインに合わせて白黒なのだが、本当に綺麗な緑だった。

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右岸に溢れていた野球少年や保護者たちの姿がなくなり、そろそろ落ち着いて禅に取り組むことができそうだと思ったが、とりわけ頭に浮かぶようなこともなく、ただひたすらペダルを回しているだけだった。

非常に珍しい状況だ。

このまま感情やモチベーションが枯渇してバーンアウトに向かうことを心配していたのだが、あの当時の思考とは異なっている。

頭の中は動き、身体も動く。当面の目標というか心の拠り所が見つからない状態ということか。

生きることに飽きたと言えばそれまでだが、生きることに絶望しているわけでもない。

梅雨時期の曇り空に切れ間が見え、そこから夏の強い日差しが降り注いできた。

汗が流れる両腕は、日光を浴びて赤みを帯びてきた。

少し休憩してロードバイクを草むらに倒し、座り込んだ場所から上を眺めると、そこには広い空が広がっていた。

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職場で職業人の役を演じ、家庭で父親の役を演じる毎日で、素の自分はどこにいるのだろうと思っていたが、ここにいた。

自分の目から世界を眺めるから、考えが狭まってループに落ち込む。

上空から自分を眺めたイメージを持てばよかったんだ。サイクリングを始めた頃に気づいたのに、ずっと忘れていた。

空から見れば、私の存在なんて砂粒のようなものだな。

その砂粒があれこれ考えて悩んでみたところで、大した結論に至るはずもない。

心の拠り所が見つからなければ、見つかるまで地道に生きるだけだ。

翌日、職場に出勤すると、同僚から「焼けたね~、サイクリング?」と苦笑を浴びた。

続いて、「いいね~、人生を楽しんでるね。何かに熱中することができるって、素晴らしいよ」と誉められた。

「私にとってのロードバイクは健康器具です」とか「生きることの虚無感を考えながら走っています」とも言えず...

「ありがとうございます!機会があればご一緒にいかがですか?楽しいですよ!」と、社交辞令として話を合わせた。

明らかに職業人としての役を演じている自分が嫌になるのだが、他者からはそのように見えるのかと勉強になった。

しばらくの間は、休日にロードバイクに乗ってライドに出かけて、自分自身を確認する瞬間をワンダフルフィッシュだと感じながら生きよう。

育児を続けていた頃はロードバイクに乗ることさえ難しかった。それが可能になった。

この虚無感が乾いて焦げるまでライドに出かければ、何かが変わるはず。

歩くATMではなく、走るATMになることにした。