サイクリングで立ち止まった大きな橋の上で
とはいえ、妻や子供たちとしても余裕があるわけではない。
子供たちは学習塾の定期テストがあるそうだし、夫婦共働きの子育てにおいては、とにかく週末に用事が詰まってくる。
夫にあまり関心がない妻から見ても、「ライドに行って来たら?」と声をかけるくらいだから、家族から見ても私はかなり疲れて切っている状態なのだろう。
とてもありがたい心遣いだなと思い、愛車とウェアの準備に取りかかる。
土曜の朝と言っても、時刻は10時近く。
前日の金曜日は遅くまで深夜残業を続けていたので、帰宅したのは土曜日の午前1時だった。
コロナ関連で本業の仕事は大きく遅れている。無理をしても始まらないが、結果的に無理がかかる。
それにしても...日本全国の知人たちからは、「仕事、大変だろ? 大丈夫か?」という気遣いのメールが届いたり、実家の両親を含めた親戚たちは私がいない場所で私の噂話をしていたりと、何だか不思議な半年だったな。
最もガッカリしたのは、浦安で出会ったロードバイク乗りたちだった。あれだけ一緒にグループライドに出かけたのに、最も厳しい時期に何のメールや電話もなかった。
ロードバイクという趣味における人間関係なんて、所詮はその程度のものなのか。
それまでのコミュニケーションが全くの無意味だったとは思いたくないが、人生の仲間を見つけようとした過去の取り組みは徒労に終わり、これからは一人で走ることにした。
さて、この数週間、私は特発的なめまいに悩んでいるわけだが、奇妙なことに都内で働いている時にはめまいが認められない。
朝、自宅から出て浦安市内を通行している時、あるいは夜、帰宅時に新浦安駅で降りた時に強いめまいがやってくる。
これが器質的な要因であれば深刻なのだが、おそらく精神的な疲れによるものだと思う。
顔をそのままにした状態で眼球を右に動かし、急に左に動かすと、視界が歪んで頭が振れる感じがする。
まずいな...これはかなり脳に負荷がかかっている。
仕事が大変だったことに加えて、プライベートでの疲れだな。コロナ禍の外出自粛、特に3ヶ月もの小学校の休校は厳しかった。
そこからの平常モードへの変化に付いていくことができずにいるのか。
うつ病なり、適応障害なり、メンタルの淵に落ちる人たちというのは、それまで真面目に生きてきただけだと思う。
環境要因によって強いストレスがかかった場合が多いと思うが、その人たちが弱かったわけではないはすだ。
むしろ、死ぬまで心を疲れさせずに生き抜いた人がいたとすれば、その人は尋常ではなく図太い、裏を返せば周りに気を遣わずに我田引水でストレスを溜めなかったということではないか。
もちろんだが、あまりに素晴らしい環境に恵まれて、何も苦しまずに幸せに送る人だっているかもしれないが。
今、通勤中の京葉線の電車で録を記しているが、隣の中年男性がイビキをかきながら気持ちよさそうに眠っている。たぶん彼はストレスが少ない生活なのだろう。
五十路近くまで生きて感じるのだが、人の精神的負荷の許容量というものは、ある程度の限界があって、それを溢れさせるか否かで疲れが違ってくるのではないかと思う。
他者に気を遣わず、自らの我と欲を前面に出す人たちは精神的負荷が軽いわけで、真正面からストレスを受けずに周りに転嫁したりもする。
よくある話だが、うつになりにくい人の中には、我が強くて怒りやすいタイプ、あるいは適当で空気が読めないタイプが多い。
本人のストレスゲージが上がってくる前に、他者に対して怒りや面倒事を投げ込むわけだから、本人は疲れず、周りが疲れる。
どこかのリーダーを見ているとよく分かる。
そのようなスタイルを批判しても、本人は絶対に曲げないわけで、結果として鋼のメンタルのように見える。
他方、本当の意味において、どんな状況でも心を乱さない人も希にいて、悟りを開いた聖人のように見える。
おそらく、アンガーマネージメントに長けている人か、実際にメンタルの地獄から這い上がることで達観した人なのだろう。
何事も経験だな。数年前にバーンアウトを経験して、自らの精神的負荷の許容量がどの程度なのかを知ったことは、その後の人生を送る上でとても重要な指標になった。
ここで大切なことは、自らが疲れていると察した時には、可能な限り早くストレスの原因を突き止めて、それを緩和することだな。
だが、容易にストレスを除去することは難しい。
よく、メンタルの淵に引っ張り込まれたとか、朝起きたら身体が動かなくなったといった表現があるが、その前兆は分かりやすい形で所々に転がっている。
眠りが浅くなったり、思考が止まるようになったり、動悸がしたり。
映画のマトリックスで例えると、電話のベルが鳴る感じだろうか。
しかし、「まだ、大丈夫だ」と引き延ばしているうちに、今まで経験したことがないようなパラレルワールドがせり上がってきて、自らが巻き込まれたように感じるのかもしれないな。
そして、その世界に巻き込まれた人たちは、往々にしてクリニック通いになり、薬漬けになったりもする。
私の場合には、ただでさえ感覚が過敏で脳が疲れるので、その世界に巻き込まれそうになったら、ロードバイクに乗って走って逃げることにしている。
なんて原始的な対処だ。科学的でも何でもない。
よくある話かもしれないが、父親が体調を崩しかけた時、家族が支えるか否かは世帯による。
往々にして父親だけが苦しみを抱え込んで崩れ、支えなかった家族もろとも家庭が傾いたりする。
その時に妻が慌てても後悔しても遅い。
さあ、いつもの人生ひとり旅だ。自分のことは自分でという言葉は残酷だな。
最初から家族に期待せずに、今までに効果があった方法、つまりロードバイク上の禅で何とかしてストレスを減らすしかないな。
これで効かなかったら諦めるのみ。
本当に博士号を持っているのか疑われそうな支離滅裂な手段ではあるし、感覚過敏によって脳自体がストレスを受けやすい体質を理解してもらうことも難しいことだろう。
「なんだそれは?」と、訝し気に思っている人たちだって、長い人生の中で経験していないだけの話で、その時がやってくる。
さて、この時期はドリンクボトルを1本にするか、2本にするかと悩みながら、1本にして自宅を出発する。
目的地は、とりあえず内房方面。
河川敷ではなく一般道を走る。
それにしても、夏場はサーモスの魔法瓶一択だな。冷たい飲料はサイクリングの楽しみのひとつだ。
ライドの最中に一般的なマスクを付けるのは無理だと思っていたので、様々なフェイスカバーを試していたのだが、「スポーツキッド」という通販ショップが販売しているフェイスカバーが最も使いやすい。
1個で3千円を超える値段だが、呼吸も楽だし、飛沫を防ぐこともできそうだ。
周りに誰もいない場所で走っている時にはフェイスカバーを外してネックゲイターのように首に巻いておく。
コンビニに入る時や人とすれ違う時にはフェイスカバーを上げるだけ。
浦安市を抜け、357号線沿いに市川市の方面に向かってロードバイクを走らせる。
357号線沿いの歩道は、お世辞にも綺麗とは言えず、むしろ人間の醜悪さを実感するに足りる劣悪な衛生状態が広がっている。
嘘だと思ったら、浦安から船橋まで357号線沿いを自転車で走ってみればいい。茶褐色の液体が入ったペットボトル、腐った内容物が残ったままのコンビニの弁当の容器、煙草の吸殻。
おそらく、この道路を走るドライバーたちが窓から投げ捨てたゴミだろう。彼らの道徳は昭和の半ばから変わっていない。
357号線の道路の両サイドに高い壁を作って、ゴミを投げたら道路に戻って来るようにすればいいんだ。
それでも浦安市内はまだマシだ。行政としても何とかせねばと清掃してくれたり、市民活動の皆さんが助けてくださったりもする。
市川市や船橋市の辺りは、これできちんと行政が仕事をやっていますと言えるのかというレベルだと思う。
市の面積が広すぎて、357号線沿いを清掃している余裕がないということか。
あまりの汚さに愕然として地獄を感じる風景をロードバイクに乗って走り抜ける。ああ、不快だ。次回から迂回ルートを考えよう。
ここまで汚い道路を走っていると、もはやロードバイク禅だなんだと言っている場合ではない。
私は無信仰ではあるが、般若心経を唱えながら苦痛を耐えることにしている。
市川市内の強烈な鳥の糞臭を漂わせる池の前を通り過ぎ、全く落ち着きを感じない雑然とした船橋市を通り過ぎ、ららぽーとTOKYO-BAYの人混みや自動車の列を通り過ぎて、ようやくリラックスすることができる走路がやってくる。
それまでの区間は何とかならないものかといつも思う。市川市や船橋市の恥だと言わざるをえない。
しかし、船橋市から習志野市に入らずに、千葉市の幕張に向けてロードバイクを走らせていると、それまでのストレスが風とともに頭から抜けて行く感じがする。
そこからがロードバイク禅の始まりだな。呼吸とペダリングに集中し、自然と浮かび上がってくる感情を受け流す。
最近のめまいが何によるものか。
普段の浦安での生活では苦痛がループするだけで正体を掴むことができなかったりもするが、今なら分かるはずだ。
千葉市の美浜地区の車道沿いには、たくさんのヤマモモの木が植えられていて、路面に果実が落ちている。
田舎の場合には、これらのヤマモモを拾って洗い、砂糖とアルコールに浸けて半年くらい熟成させると、極上のリキュールが出来上がる。
何だかもったいないなと思いながら、かといって樹木からヤマモモを採るわけにも行かず、そのまま走り去る。
浦安市内で感じる強いめまいは、おそらく心因性のストレスによるものだろう。ペダルを回しながら、その正体を探っていく。
真っ先に頭の中に浮かんできたのは、半年以上前から続いているマンションの上の階の家族からの迷惑行為。
その世帯の3歳くらいの未就学児が、ずっと部屋の中で走り回っていて、我が家に伝わってくる騒音や振動が凄まじい。
妻と話し合ってみても、明らかに尋常ではないテンションで子供が走り回っている。
実際に何度もその世帯に静かにしてくれとお願いしても、その夫婦は、どうやって子供が出す音や振動を遮るかという議論に持って行こうとする。
どうして子供が走り回ることを前提に議論しようとするのか。
朝7時とか、夜10時とか、そのような時間帯においてまで子供が走り回っていることは違うのではないかと、私は言っているわけだ。
なぜに放置しているのか。親としてはもはや止められないのであれば、素直に言えばいいではないか。
これが普通なのだから、あなたたちは我慢して耐えなさいという議論は絶対に認めない。
それならば、その世帯が戸建て、あるいは下に住民が住んでいない物件に住めばいい。
すると、うちの子供に文句があるのかと、その世帯の母親が不遜な態度を取るので、さらにトラブルが深みに入る。
結局、警察に介入をお願いするくらいの酷い騒音と振動で、外出自粛期間はさらにストレスが溜まった。
子育て経験がある人なら察すると思うが、何時間も家の中を走り回る子供というのは、相応の療育が必要だと思う。
外出自粛で自宅に閉じこめておいたら大変なことになるし、実際にそうなった。
親が子供の性質を見過ごしてしまうと、その後の人生が大変になるわけだが、親としては認めたくないのだろうか。
小さな頃は家の中で育てることもできるだろうが、幼稚園、小学校、中学校と集団生活が進むにつれて苦労すると思う。早い段階での対応が必要になる。
次に頭の中に浮かんできたストレスは、やはり苦手な電車通勤。
何度も録に記しているので説明するまでもないが、こんな生活を望んだわけではない。
私にとっては、貴重な人生の一部を無駄な移動に費やし、金属の箱の中で多様性のある人たちの素の姿を眺めて苦痛を感じるだけの行動に過ぎない。
その次にやってきたのは、コロナ禍を通じて実感することになった人と社会の本性。とりわけ、団塊ジュニア世代から団塊世代にわたる男性たちの言動。
戦後教育とは何だったのか、男とは本来どうあるべきか。それらを感じる余裕すらなく、昭和の男たちの悪いところが噴出したようなコロナ禍だなと私は感じた。
子供だった頃に眺めた明治や大正の空気が漂った日本のオッサンたちは、頑固だけれど凛として格好が良かった。
私もオッサンなので堂々と言うが、最近のオッサンたちは、自分の我と欲を前面に出して、若者たちから溜息が出るような状態の人が多い。
それでも、今の団塊世代が若かった頃は、もっと度肝が座っていて格好が良かった気がするのだが。
ドラッグストアの行列に並んだり、外出自粛で辛そうにしている子供たちに悪態をついたり、ツイッターで罵詈雑言を吐いている団塊世代を見かけて時の流れを感じたりもしたし、何だか寂しい気持ちにもなった。
この人たちは、昔から自分のことばかり考えて生きてきたんだなと。
そして、妻や義実家との人間関係。
細かく記す必要はない。
なるほど、たくさんのストレスが蓄積した結果として、脳の情報処理が閾値に達し、めまいが生じたのだろう。
だが、五十路が近くなったオッサンが、あれが辛い、これが辛いと嘆いているのは恰好が悪い。生きていれば辛いことなんてたくさんある。
呼吸とペダリングのペースを整えて、それらの感情や思考を受け流し、頭の中で消していく。
とても不思議なことだが、浦安からサイクリングで遠ざかれば遠ざかるほど、めまいが軽くなる。
千葉市内にある「美浜大橋」にたどり着いた頃には、めまいが全くなくなってしまった。実に快適だ。
どれだけ浦安市での生活を嫌っているのかと苦笑いがやってくる。
そういえば、数年前のバーンアウトで苦しんだ時、ロードバイク通勤中に荒川にかかる葛西橋を自転車で走っていたら、欄干の上に立って、川に飛び込む自分自身のイメージが何度も脳裏に浮かんだ。
それがなぜなのかは分からないが、この苦しみから早く逃げたいと感じていたことは確かで、おそらく電車に飛び込んでしまう人たちの気持ちもこれによく似たものではないかと思った。
もう少し時間が経って、大きくなった子供たちがHYPSENTの録を読んだら、父親がそこまで追い詰まっていたのかと、ゾッとすることだろう。
バーンアウトとうつ病は状態が違うが、生きる事へのモチベーションの枯渇という点では同じなのだろうか。
自転車を停めて美浜大橋の欄干に手をかけると、男女のカップルがたくさんの落書きを残していた。「〇〇〇、大好き」とか、「□□□、ずっと一緒にいよう」とか。
公共の施設に対して趣のない汚い落書きを残すカップルに幸せが訪れるのかどうかは分からないし、ゴールインしたとしても大抵の想像は付くわけだが、まあそれも若さなのだろう。
この辺りが千葉市のアレなところだな。いや、この橋は千葉県の管理下なのか。
欄干のふもとに網状のフェンスがある。どこでもよくあるが、このような場所に南京錠をかけると、二人が結ばれるという感じのプロモーションをやればいいのに。
千葉市がやらないのなら浦安市が日の出橋でやればいい。とはいえ、行政としてはやりづらいのだろうか。
少しめまいを感じながら、美浜大橋から上流を眺めた。飛び込んで命を絶つイメージは湧いてこない。
橋の上からは風を受けて波立った川面が見えて、視線の先には、夏の訪れを告げる大きな雲が見えるだけだ。
朝飯を食べずに出発した私は、バックパックからカロリーメイトを取り出して、まるでげっ歯類のようにモグモグと食べ、保冷ボトルから冷たいスポーツドリンクを胃に流し込んだ。
意図しないめまいという兆候は、他者にとってはまさに他人事なので大したことがないが、本人にとってはかなりショックなことだ。脳に何らかの異常が生じているのではないかと不安になるし、バーンアウトの経験があればなおさらだ。
ただ、重いものを持ち上げ続けていれば腰が痛くなり、キーボードを打ち続ければ手首が痛くなる。ストレスを受け続ければ脳が疲れる。ただそれだけのことなんだな。
妙な安堵感を覚えながら、再び重いクロモリロードバイクに乗って、内房を目指す。
気が付くと7月が見えてきて、おびただしい汗が肩から腕に向かって流れる。日焼け止めもアームカバーも付けていない両手は、陽の光を浴びてジリジリと焦げているような感じがある。
しかし、コロナ関連でロードバイクに乗る機会が少なかったからだろうか。もしくは、今まで平凡だと思っていた生活が、実際にはとても幸福なことだったと知ったからだろうか。
両腕の熱さすら、何だか心地よく感じる。
土曜日の千葉県内の道路は乗用車だけではなくてトラックやトレーラーの往来が激しくて、あまりリラックスして走ることが難しかった。
しかし、気がつくと、浦安市内で感じていためまいが緩和されて、とても楽に過ごすことができた。
さすがにこの暑さでは姉ケ崎までのライドは無理だな。身体が暑さに慣れていない。市原市に入ったところで、来た道を引き返す。
途中のコンビニでドリンクボトルを補充し、ガリガリ君を食べながら周りを見渡すと、私と同じようにほっとした表情のロードバイク乗りたちの姿。
やっと、日常に近づいてきたのだな。
帰りの美浜大橋には、かなり強烈な風が吹いていて、海上ではウィンドサーフィンを楽しむ人たちがたくさんいた。逆方向を眺めると、海面が陽の光を浴びてキラキラと光っていた。
しかし、面白いことに、ビバホームを越えて船橋市に入ると、再び心拍数が上がり始め、決して綺麗とは言えない357号線沿いの道路を走っているうちに気分が落ち込み、浦安市内に入ると再びめまいがやってきた。
自宅のマンションの前にたどり着くと、見覚えのある自動車が停車している。エンジンはかけたままで、運転席に見覚えのある人が座っている。
挨拶もせずに、ロードバイクを担いで自宅の玄関を開けると、家族ではない人のサンダルが置いてある。
私が外出している間に、義父母がアポなし訪問にやってきたらしい。義父が車を横付けして、義母が私の自宅の中まで上がり込んでいた。
どうして、このタイミングでストレスをかけてくるんだろうな。外出自粛の時は助けてくれなかったのに。
下の子供が「おかえり!」と私に声をかけてくれたが、私は仏頂面のまま義母に挨拶し、自室にロードバイクを転がして入り、そのまま冷たい茶を飲んで時が過ぎるのを待つ。
妻の手前、自分の感情を抑えて黙るしかない。
妻としては、私が浦安生活でめまいがするくらいに疲れていることは察してくれているようだが、義母は直情的で自分が思ったら行動に移すタイプ。
私が仕事で疲れて休日に昼寝をしていても、構わずに家に上がり込んで、いつもの甲高い大声を張り上げる。
私たちの新婚時代には、毎晩、夜9時に義母から電話がかかってきた。
私には新婚夫婦の甘い夜がなくて、義母の顔がフラッシュバックする不愉快な夜が続いた。
正直なところ、義母が何を考えているのか理解できないし、5分以上まともに話が続いたこともない。
会話の途中で私の頭の中に「?」が増えて会話が難しくなる。キャッチボールをせずに話すタイプなんだな。
過去には義母の言動をめぐって、私との間でかなり盛大なバトルを演じたのだが、全く懲りずに私の家庭に入り込んでくる。
義父が病気で死にかけた時には、何とかして助けてくれと弱々しかったが、いざ命を伸ばしてやったらこの状態だ。
自己陶酔しているわけではなくて、とても繊細な私の性格を考えてくれれば、もう少し時間帯を調整するとか、そういった配慮があってもいいのだが。
浦安から都内に引っ越したら、再び夜9時に義母から毎晩の電話が妻にかかってくることだろう。考えただけでもうんざりする。
翌朝。
「っざけんじゃねぇ!っざっけんな!」と夢の中で荒い言葉を吐きながら寝ぼけて目を覚ました。かなりキている。
しかし、前日まで苦しんでいためまいがなくなっていた。
マンションの上の階では、相変わらずリミットが切れたかのように子供が走り回っている。これも子育ての現実だ。
あまりに人口密度が高い浦安市内を通行しているとげんなりするが、とりあえず何とかなったらしい。
京葉線で千葉県民と一緒に都内に運ばれながら、何だか腸が下に向かって引っ張られるようなストレスを感じたりもしたが、両足と体幹に残った心地良い筋肉痛を感じていたら楽になった。
何だか惨めで無様に感じはするが、まあこれが生きるということなのだろう。
そういえば、しばらくロードバイクに乗っていなかったからだろうか、ハンドルが遠くに感じた。
いや、違うな。
スピンバイクのトレーニングの際に、骨盤を立ててペダルを回す癖がついてしまったらしい。
今さら治すのも面倒なので、ロードバイクのポジションを変えることにした。
手元のスマホを操作しながら、台湾の通販で短めのステムを注文。
何かと悩みながら生き続けて、すでに五十路が見えてきた。この先もずっとこの調子なのだろう。
仕事と家庭が生きることの柱ではあるけれど、もしかして最後に残る太い柱は趣味なのではないかと思ったりもする。
現にこうやって自分が趣味によって助かっている。たかだか趣味だと軽く感じることができない。