ヴェンジが毎年買えるくらいの教育費
例えば、千葉県ならば渋幕中や千葉中、市川中辺りが偏差値ランキングで上位なのだろう。
都内にはもっと入試が難しい中学はたくさんある。
妻と上の子供は、実際に私立中学に足を運んで学校の様子を確認したりと、かなり念入りに志望校の選定に入っている。
ネームバリューや世間体なんて気にしなくてもいいし、本当に気に入った中学を見つけて、そこに合格することができれば幸せだと思う。
中学入試は親の入試だと揶揄されることもあるが、子供たちの背中を押してやれるステージはこれが最後なのだろう。
もちろん、高校、大学と進むステージでも親が子供を支えるわけだけれど、それらの段階に進んでくると、親のサポートは経済的なものになり、子供自身の目的意識や努力の比重が大きくなる。
しかし、父親的には、中学受験からすでに経済的なサポートが始まっているな。うちの世帯は共働きでそれなりの収入があるが、進学塾の授業料だけでもかなりの金が飛んでいく。
妻は塾の宿題のチェックや保護者対象の説明会など、とても大変だ。
確かに熱くなる気持ちも分かる。
私としては、偏差値に関係なく、我が子が生きる中でマイルストーンになってくれるような師や友に出会える中学であれば、どこだって構わないと思う。
自分の意志で自分の人生を決めることができるのだから、本人が認識するか否かは別として、我が子は恵まれていると思う。
私の実家は大きな借金を抱えていたので、塾に通う経済的な余裕がなかった。
ただし、将来、我が子が知的労働で生計を立てたいのであれば、大学進学の実績が豊富な中高一貫校を目指した方がいい。
鶏口牛後という言葉は有名で、社会人になってからの仕事については当てはまることがあるかもしれないが、学生時代は牛の後ろに付いて行った方が楽だったりもする。
数年に一回のペースで生徒が地方国立大に合格する高校と、毎年、数十人が東大や国立医学部に合格するような高校があったとする。
両者において教師の頭の良さはあまり変わらない気がするが、大学入試を前提とした教え方のスキルは差があるだろうし、生徒の雰囲気が違うことだろう。
私が通っていた地方の進学校の場合にも、クラスのほとんどが現役で国立大学に合格するような状態だったが、教師も生徒も勢いがあった。
ロードバイクのトレイン走行と同じで、周りに勢いがあると引っ張ってもらったり、たまに先頭に出て頑張ったりと、そうやってモチベーションや学力を高めることができたりもするからだ。
大学も同じ感じかもしれないな。
関東の国立大学について言えば、東大出身者の総合力は高いが、文系なら一橋大、理系なら東工大、医学系なら千葉大の出身者にとんでもなく優秀な人がいたりする。
人にもよるだろうけれど、個々の能力を引き出すような環境があって、各分野で活躍する先輩たちの存在も大きいことだろう。
さらに、大学院生においては指導教授や研究室の馬力が残酷なまでに反映される。
業績も研究費も人脈もないような教授は相手にしない方がいい。学位の取得や就職で苦労する。
なので、大学院入試の前に行われる研究室訪問では、有名な教授の研究室の前に行列ができたりもする。
将来、子供たちがどのような人生を送りたいのか、それはまだ子供だからよく分からないだろうし、妻が考える未来像もあるだろうし、私には確たるビジョンがなかったりもする。
なにせ、自分がどう生きるのかということさえ、あまり分からずに進んできたのだから。
結局のところ、自分の意思で決めたことの多くは上手くいかなくて、生きている中で「こっちだよ」と引っ張ってくれる人たちがいてくれて、今の場所にいる。
我が家においても、妻と子供たちが中学受験に取り組みたいというのであれば、後悔のないように取り組めばいいと思う。
私にできることは限られているが、進学において子供たちが経済的に困らないように、地道に働き、金を貯め、地味に生きよう。
ただ、私立中学というのは、ここまで金がかかるのかと驚いた。
子供たちの教育における経済的格差は以前からあったが、さらに差が開いている気がする。
もちろん、小学校から高校まで公立に通い、その後に国立大学に進むという(親から見て)コスパ最高な子供だっているだろうけれど、余程の力がないと難しい気がするな。
ドラえもんに登場する出木杉くんのように勉強もスポーツも得意で、しかも品行方正ならば可能だろうか。
しかし、私なりに気なる点としては、のび太が勉強で困っていても、同級生から虐められていても、出木杉くんがのび太を助けるという描写を見たことがない。
出木杉くんのようなタイプは東京大学にたくさんいたな。一見、優秀で爽やかだけれど、自分に関係ないと思えば切り捨てるような。今頃は、霞ヶ関に進んで、たった一つの椅子を目指して保身に走っていることだろう。
そういえば、浦安の新町にもそういった父親はたくさんいる。この町で生活していて感じるドライといえばドライな、薄情といえば薄情な街の雰囲気は、そういった性質も関係しているのかなと思う。
さて、これは浦安市のタブーなのかどうか分からないが、この街に引っ越してくる前の私は、子供を市立小学校に通わせて、その後も市立中学校、そして県立の浦安高校あるいは浦安南高校、そこから千葉大学という進学設計を考えていた。
私の頭の中には、田舎の県立高校であっても、数年に一回くらいは旧帝国大学に合格する生徒がいて、毎年、地方国立大学に数名が合格し、有名私立大学への指定校推薦があるというイメージがあった。
浦安は千葉県ではあるが隣が東京都。地方から見れば都会なわけだ。
浦安市内に県立高校があるのだから、それなりの学力レベルだろうし、千葉大学に合格すれば大満足だと思っていたからだ。
ところが、私が立てた子供の進学設計を妻や義父母に話したところ、急に伏し目がちになり、言葉を選んで話し始めた。
どうやら、浦安ファンの義実家的には触れてはいけないことだったらしい。
浦安市の行政は教育に力を入れてはいるが、勉強以外の教育に力を入れる傾向があって、スポーツだとか道徳だとか、そういったことに頑張ってしまったりする。
浦安市は、「学力向上について」の事業の避け方があまりに分かりやすい。市議会もおかしなくらいにこのテーマについての議論を避けている。
浦安高校や浦安南高校は千葉県の管轄だとはいえ、浦安新町の保護者の多くは見向きもしていない気がする。入試の偏差値も40を切っているくらいだろうか。
入試の偏差値なんて、人の優劣にも人生の価値にも関係がない。これらの高校を卒業して立派に生きている人たちはたくさんいる。
ただし、大学進学を考えた場合、進学実績を見るだけで多くを察することができる。
これらの高校から千葉大学に合格するというのは、本当に夢物語なのだろうか。御三家から東大に入るよりも難しいのだろうか。
あれだけの数の生徒たちが通っているのだから、小学校や中学校で勉強が嫌いになっただけで、実はもの凄い可能性をもった子供がいる気がするんだ。
生まれつき高い知能を持っているけれど、少し変わっていて社会で苦労する「ギフテッド」と呼ばれる人たちがいるのだが...と他人事のように私は記すのだが...ガイドラインが整備されていない日本の教育現場においては、ギフテッドの能力を発揮できないまま生きてしまう人がいることだろう。
欧米では「アンダーアチーバー」と表現されることがあるらしい。
ギフテッドは小学校の1つのクラスに数人いる計算になり、家系も関係したりもするが、何の脈絡もなくギフテッドが生まれたりもするそうだ。
ギフテッドに該当しそうな大人は新浦安にたくさんいる。同じギフテッドであれば、学校という枠にはめられてしまって、潜在的な力を発揮できていない生徒を見つけることは難しくないと思う。
私は「二月の勝者」よりも「ドラゴン桜」の方が好きだ。教師が進学について研究し、生徒の学力を引っ張り上げることは不可能ではない。最初から諦めてしまって、やらないだけだ。
誰かが可能性を示せば、他の生徒の目標や自信に繋がる。そこから新しい伝統が始まると思う。
ここだけの話だけれど、千葉大学の入試には独特の癖がある。特に、地道にコツコツと勉強するタイプが有利だ。
入試問題だけでなく、教員の専門分野を解析すればいい。
それらの癖をピンポイントで攻略すれば...という心意気を持った教師がいるかどうかだな。
千葉大卒の教師を連れてきて、他の国公立大は無視し、目標は千葉大学一本。ドラゴン桜みたいだ。
とはいえ、我が子たちは個性が豊かなので、公立だと退屈になったり、辛くなったり、いじめに遭ったりもするかなと思ったりもして、やはり私立の中高一貫なのかなと。
新浦安には学習塾が異様に多い。サピや日能研、四谷、早稲アカなど、こんなに恵まれた環境は珍しい。
裏を返すと、保護者の多くは浦安市内の公教育が視野に入っていないということなのだろうか。
だが、ここまで学習塾や私立の中高一貫校への進学において金がかかるとは。
ロードバイク乗りならば、スペシャライズドのヴェンジの完成車が140万円近くすると聞いて高いと思うかもしれないが、私立の中高一貫校に子供を通わせると、一年でこれくらいの学費がかかる。
たった一年でヴェンジが買えてしまうなんて、信じられるか?
子供が6年間、私立に通えば、当然だがその6倍で、子供が2人いればその2倍。つまり、1700万円近い金が必要になる。ポルシェのカイエンを新車で買うか、ベンツとボルボのまとめ買いができてしまう金額だな。
以前、シングルインカムで二人のお子さんを私立に通わせている大手企業の社員のロードバイク乗りに出会ったことがあるが、穴の開いたチューブでさえ再利用していた。
当時はセコいなと思ったけれど、その考えは間違いだった。
妻が専業主婦で、夫の稼ぎだけで浦安新町の住居費と複数の子供たちの私立学校の教育費を用意しようと思ったら、夫の年収が1千万円では足りないか、かなりカツカツの生活になるはずだ。
まあ、世の中には色々な家族の形があって、親から資産を分けてもらったり、経済的に支援を受けている人たちもいたりする。
そういった夫婦は、とても幸運だなと思う。私の実家の両親は、自分たちが生活を続けるだけでやっとの状態だ。経済的な支援どころか、借金がこっちに回ってこなかっただけでも幸運だと思えるくらい。
他方、妻の実家から私の家庭に何らかの経済的支援があるのかというと、ほとんど何もない。
義父母が子育てを助けてくれるわけでもなく、たまにアポなしで自宅に突撃訪問してくるくらいだ。私にとってメリットらしいメリットを感じない。
義父母としては、自宅近くに娘や孫が住んでいて嬉しいはずだが、それに見合った支援というものがない。余計な口を出すことはあって、そのたびに私は不機嫌になる。
「それならば、私の家庭のことについて、一切、口を出すな」と妻に伝え、妻が義父母に伝えたのかどうかは分からない。
一時期は義実家との間で本気になってバトルを展開しようかと思った時もあったが、相手にせずにいなくなるまで待った方が楽だと思って、今、その時を待っている。
期待するから失望が生まれるわけで、私の両親だって他者のことを言える状況ではないのだから。
ここまで頑張って子供を育てたところで、自分が年老いた時に面倒を見てくれるかどうかも分からない。
人はなぜ子供を産み育てるのか。コスパなんて考えていたら、子育てなんてやってられないが、それは生命の本質でもあるわけだし、孫の顔を見たら何かを悟るのだろうか。