2020/06/16

心の中のガラスのリンゴが見つからない

中年親父とは思えない詩的な録のタイトルだな。「聖子ちゃんか!?」という突っ込みに応えるだけの余力もなく、今の私は大変に落ち込んでいて、澱んだ川の底で眠りたい気分だ。


仕事から帰宅した日の深夜に、心拍数が120。運動をしたわけでもなく、座っているだけでこの状態。

理由は家庭のストレス。

これでは眠ることが難しいので、ハイボールを引っかけながら落ち着くまで録でも書こう。

今朝、先日の江戸川沿いのロードバイクで日焼けした両腕を眺めながら、私は通勤のためにJR京葉線に乗って東京に向かっていた。

浦安市内の小学校は3ヵ月もの休校を経て、通常授業に戻ってきた。

パンデミックで散々な目に遭ったが、子供たちも眠い目を擦りながら登校していて、それまでは意識していなかった「平凡な」朝がやってきた。

妻は会社の福利厚生で1週間のリフレッシュ休暇を取得したらしい。夫婦共働きの子育ての朝は、いつも慌ただしいが、今朝はとても穏やかだ。

もしも妻が専業主婦だったら、このような朝が続いたのだろうか。

週間天気予報をチェックしたら、今週末の天気は悪くないらしい。この前の日曜日は雨が降ったので、2週間ぶりのロードバイクのライドになる。

久しぶりに私が好きな千葉県の内房まで走ってみようか。

通勤中に立ち寄ったコンビニでは、とても懐かしい曲が流れていた。私が青春時代を過ごした頃に聞いた日本のポップミュージックだ。

これは帰宅してからの妻との会話のネタになるな。記憶の中にとっておこう。

緊急事態宣言下で仕事が滞っている。大きな砂の山だって地道に削れば平地になるはずで、それを信じてコツコツとこなす。

その日の仕事は一段落して、いつもより早く帰宅することができそうだ。

しかしながら、帰りの電車通勤が待っていると思うと、なかなか気持ちが上向かない。

2015年頃から2019年の初めまで苦しんだバーンアウトは、共働きの子育てと長時間の電車通勤が原因だったと思う。

すでに適応障害を起こしたような状態で無理をし続けて、感情が枯渇してしまったのだろう。

私にとっての共働きの子育てのダメージは、子供を育てること自体の苦労よりも、子育てに入ってから急に性格が荒くなった妻との人間関係が大きい。

一般論としては、妻が出産して子供を育てるようになると、夫の面倒まで見ている余裕がないことだろう。夫としてもそれを承知した上で家庭を守る立場になる。

私は、妻となる女性に対して、美貌も知性も資産も求めていなくて、ただ優しい性格だけで十分だと思っていたし、今でもそう思っている。

どこかで書いたかもしれないが、私は物心ついた頃には祖父母の家で育てられていた。

よくある「家庭の都合」という大人の事情によるものだ。なので、幼い頃に母親に育てられたことがないし、頭を撫でてもらったことも、抱きしめてもらったこともない。

しかし、祖父母は優しくて、穏やかな日々が続いた。

その後、小学校に入学するタイミングで実家に戻された私は、父から殴打を含めた暴力を受け、母から辛辣な言葉による暴力を受けて育った。

アダルトチルドレンのような私の不安定さは自身が認めることで、本気でクリニックに行けば診断書が手に入るレベルだ。

とりわけ、母からの言葉による暴力は長時間どころか数日に及んだ。

甲高い怒鳴り声と、いつまでもループする詰問。子供の精神を追い込むどころか、自身のストレスを投げつけているだけのような醜悪さを感じた。

地獄のような日々だった。

今でも数年に一回くらいは帰省することがあるが、私と両親との間では常にテンションが張っている。近い将来に二人とも他界したとしても、私は涙さえ流さないことだろう。

しかし、若き日の悲しみは過去のものだ。

妻と結婚する前の交際時には、二人で「ららぽーと豊洲」に行くことがよくあった。

そのショッピングモールにある東急ハンズで、私はガラスでできたリンゴのオブジェを見かけた。

これは素敵だな。二人の関係を象徴しているようなデザインだ。いつか妻にプレゼントしようと思った。

ところが、結婚して子供たちが生まれ、子育てが本格化し、夫婦仲は急速に冷めた。

そして、上の子供が小学校に入学する前くらいの頃、妻が烈火のように怒り、自宅で大声を上げて癇癪を起した。

上の子供は泣き続けていて、私は妻に対して冷静になるように諭したのだが、ひとたび感情に火が付くと、妻は怒り続けて、意思の疎通さえ難しい。

全てについて否定形どころか、聞く耳を持たずに無視。矢継ぎ早にループする言葉で相手を追い込んでいく。

それは、私が子供の頃に母から受けた言葉の暴力とよく似ていて、長い時には数時間にも及ぶ。このままでは子供をスポイルしてしまうので、私は必死に妻を抑えようとした。

けれど、どんなに丁寧に話しても、時に声を荒げても、妻は全く意に介さない。

まるで人が変わったかのように狂気じみた妻の激高を目にして、私は妻の両親にも相談した。

このままでは家庭が破綻すると思ったからだ。

すると、義父母ともに、まともに私の話を聞くような態度ではなく、適当なコメントでいなし、途中から無言になった。

義父母が妻を説得する様子もなく、まるで他人事だった。

私が知らない妻の性格を、もちろんだが義父母は知っていたのだろう。

義父母が仲裁に入れば、それを認めざるをえない。だから逃げるわけだな。

とりわけ、義母の態度は許せなかった。「一人で映画を見に行かせればいい」だと?この状況で妻が受け入れるはずがない。

妻の性格は義母に似たのだろう。そして、妻が子供だった頃、義母はこうやって怒鳴り散らしたのだろう。

このエピソードに限らず様々なことがあって、私にとっての義父母は他人になった。

二人の介護や墓の世話は引き受けないし、顔を合わせたくもない。

その後も、妻は頻繁に自宅で癇癪を起し続けた。当時の私は何とか諭そうとして努力したつもりだった。

仕事をセーブして家事をこなし、子供たちが通う場所への送りや迎えを担当した。

しかし、状況は好転しなかった。妻には私の気持ちが伝わらなかった。

妻の激高が頂点に達して、私に対する直接的な暴力があった時、心の中で何かが砕け散る感覚があった。

その様子を例える上で最も分かりやすいイメージが、かつて目にしたガラスのリンゴのオブジェだった。

どんな父親であっても、心の中には家族を大切に想う気持ちがあって、どんな状況であっても大切にしていることだろう。

その存在に無数の亀裂が入り、砕けて床に飛び散った感覚があった。

そして、私は這いつくばって、必死に破片を拾い集めて形を戻そうとしていた。悲しさと情けなさで本当に涙が出た。

数え切れない夫婦喧嘩の後、私は妻に対して、お互いの考えが平行線なので議論には意味がない、子供たちが自立するまで連れ添うとだけ伝えた。

そこからの私自身の転落はとても早かった。

毎週のように妻が癇癪を起こし、私は動悸や耳鳴りが止まらなくなった。

妻は相手の心を察する思考に何かの滞りがあって、思い通りにならないと相手を責め、感情をぶつける。

相手が精神的に追詰まっても気にしない。自分の怒りが収まるまで発散する。

我慢を重ねて半年間くらい経った頃だろうか。

私はモチベーションが枯渇し、普通にこなしていたことさえできなくなった。頭で考えても身体が動かない。

深い井戸に落ちたような、真っ暗闇の状態だった。

自宅に帰れば心拍数が上がり、朝になると心拍数が再び上がった。

眠る前に、「このまま朝が来なければいいのに」と思ったこともよくあった。

生きる上で家庭はとても大切で、途中から仕事にも影響が生じるようになり、職場のボスに涙ながらに説明した時の記憶を今でも鮮明に覚えている。

それでも離婚だけは避けた。これは性格というよりも、癇癪を起こす病気なのだと思った。可能な限り連れ添わねば、子供たちが辛い目に遭う。

子育てに入ってから妻はホルモンバランスが傾いたり、夫としての私の子育てや家事が足りなくて不満を溜めているのだと思った。

心の中で砕けたガラスのリンゴを絆創膏で修復して、いつか元に戻ることを願った。

ロードバイクに乗って通勤することで電車のストレスを回避し、とにかく生きようとした。家庭を保つには、夫であり父親である私が倒れるわけにはいかないと思った。

妻や子供たちからの労いも感じず、とても孤独な時間が流れた。

それでも、辛い子育てのステージは、子供が成長することで前に進んでいく。

ようやく家庭が落ち着いてきて、仕事のペースも戻ってきた。とても長い4年間だった。

時系列を戻す。

職場と自宅を往復する千葉県民に加えて、大学生の通学が始まった通勤電車は、いつもより混み合ってきた。

浦安市民の私としては、この状況にディズニー客が戻ってくることが気にかかる。まあ、通勤地獄としては6割くらいの感じだな。

都内にいる時には全く気にならないのだが、新浦安駅で下車してシンボルロードに出ると、かなり強いめまいがやってくる。このめまいの原因は分からない。

私の脳が浦安という街そのものを拒否しているのだろう。

けれど、もう少しすれば自宅に帰ることができる。

今朝は妻も子供たちも機嫌が良かった。きっと賑やかで明るい夜だろう。

途中のコンビニで缶の酒を買って、玄関のドアを開けた。

ドアの前に広がる光景を見て、私は凍った。

心拍数は過度に上昇し、左耳に耳鳴りがして音が聞こえなくなった。

玄関で上の子供が塾の荷物を背負ったまま直立して涙を浮かべている。

妻が険しい表情で腕組みして叱っている。

癇癪を起こした時の引きつった表情を見て、もはや言葉が通じない状態を察した。

おい、いくら腹が立っていたとしても、子供の重いバッグくらい降ろして、靴ぐらい脱がせてやれよ!

私は声を荒げたが、この状態になった妻は何を言っても話を聞かない。

子供を叱ることと怒ることは違う。夫の声が聞こえないくらいに激高する状態は治療が必要だと思う。

それに加えて、私は家事も子育ても不十分だ。それは認める。

だが、バーンアウトからやっと回復してきて、職場で地道に働き、精神を削る長時間の通勤に耐え、やっと帰宅した。

それなのに、「おかえり」の一言もなく、妻は機関銃のような勢いで言葉を発して子供に詰問している。

そこまで怒ることが大切なのか。これで円満な夫婦関係を維持することができるのか。

私が子供の頃に受けた母親からの言葉の暴力による傷は、大人になってからも癒えることがなくて、妻の怒り声を聞いているだけで呼吸が止まりそうになる。

家庭を持つことで幸せになれると信じて家庭を持ち、結果がこれか。

聞こえてくる声を聞いてみると、どうやら上の子供が学習塾でテストを受け、その点数が良くなくて、テストの答案を妻に見せなかったらしい。

それがきっかけで、こんなに癇癪を起こしたのか?

悪い点数の結果を見せなかったのではなくて、怖くて見せられなかったんだ。激しく怒られるのだから。

中学受験では親の狂気が発動されるというが、受験産業の煽りも含めて、これはやりすぎではないか。

世の中には教育虐待という言葉まで広がっている。自称教育評論家だか何だか知らないが、それはただの虐待であって、教育の文字を付けるなと言いたい。

母親に限らず父親の中にも、自分の学歴以上のことを我が子に乗せて必死になる人たちがいる。

その背景には子供を想う気持ちに加えて、親の見栄、学歴や職歴のコンプレックスなど、様々なことがあるのだろうか。

親が子供の背中を押すことができるのは中学受験までだ。それは分かる。

しかし、テストの成績と個人の努力はパラレルではないし、精神論で檄を飛ばしても仕方がない。

高校、大学、大学院、就職まで、全ての試験にストレートで合格し、一度も落ちたことがない私は思うのだが、受験はゲームと同じ要領だ。

知的なスポーツでもある。

根性論でゴリゴリやっても、他者と競わせても限界が来る。周りが追いまくっても、本人のモチベーションが上がらないと効率が落ちる。

要は本番のハードルさえ飛び越えれば、試験に合格する。

だが、本番はそれまでの仕上がりを確認する場であって、会場に入る前の段階で勝負は決まっていたりもする。

地道なスキルこそが大切で、それは一朝一夕で身につくことでもない。

また、本番前の定期的なテストというものは、その時点での状態を知るためのものだ。

一喜一憂するようなものでもないし、足りないところがあれば冷静に受け取って、それを補習するだけのこと。

スキルアップは訓練ではなくて、パズルやゲームだと思ってリラックスし、楽しんで勉強することが大切だ。

それは仕事も同じで、楽しさや成長を感じられるとモチベーションが上がる。ノルマを課して追い込んだり、成果をグラフにして競わせるのは、昭和の古いやり方だ。

ただし、どうすれば子供が集中するのかについては考慮する必要がある。本人の地頭の限界もあることだろう。

地頭といっても、筆記試験という限られた範囲の物差しでしかないし、これで人の優劣を決めること自体がナンセンスだが。

叱り続ければ勉強すること自体が嫌になるし、子供の自主性に任せることと、放置することは違う。

だが、母にとっての子供とは、自らの身体から生まれた分身なわけで、気持ちが高まることも理解することができるし、中学受験について私が何かを言うと、「じゃあ、あんたが面倒を見なさいよ!」と反論されることが目に見えている。

上の子供を育てている限り、私の頭脳が遺伝したようには感じられない。感覚過敏も認められないし、知能指数が140を超えているようにも思えない。

妻としては一流の中学を目標にしているようだが、おそらく妻と同じレベルの中学に入学することだろう。それで十分ではないか。

銀杏の紋章を持っていても死にかけている中年親父がここにいるのだから。

ただ、小さな頃から何かを目標として設定し、地道に努力することは大切だ。

妻が子供に対して怒っているのは、テストの点数が悪かったからという理由ではなくて、子供の努力が足りなくて、それを反省する気持ちが感じられなかったことなのだろう。

かといって、あまりに叱責すると子供の自尊心を傷つけてしまう。夫の頭の中が特殊だっただけの話で、そのレベルを子供に求めても仕方がない。

妻は際立って勉強ができたわけでもないし、就職難の時代に就活で苦労したことを私は知っている。

ほとんどが書類選考で不採用。スーツとヒールをすり減らしながら、職に就くために歩き続け、頭を下げ続けた。

その時の苦労を我が子に味わわせてなるものかという気迫を私は感じるし、子供のことを大切に想うからこそ、こうやって熱くなってしまうのだろう。

けれど、中学受験も大切だが、家庭そのものを維持する上での夫の存在について、もう少しケアした方がいいと思う。

夫がメンタルを壊して倒れたら、中学受験どころの話ではない。

ようやく回復してきたところで、こんなことを繰り返していたら、いつか再びバーンアウトがやってくる。

現在、夜の23時。塾が終わったのが21時だったとすると、すでに妻は2時間も子供を叱っていたという計算になる。

「少し、落ち着きなさい」と妻に伝えて、日付が変わる前に私は夕食をとる。情けなくて目に涙が浮かぶ。

何のために、ここまで頑張って生きてきたのだろうな。

妻の癇癪があまりに酷いようならば、私は別居するしかないと考えていて、そのことは妻も認識しているはずだ。

感情的になることは仕方がないかもしれないが、日付が変わるまで怒り続けたら、私としても言わざるをえない。

もはや夫婦喧嘩を繰り広げるステージは過ぎた。

私が懸命に妻に対して言葉をかけたり、何とかして収めようとするステージも過ぎた。

妻が癇癪を起しても、ずっと夫が耐え忍ぶなんてことはありえない。

感覚過敏の苦しみを知らない妻に私の苦痛が分かるか。私が倒れたら、この家庭が傾くことが分からないか。

子供たちの同級生たちの中にも、両親が別れてしまって浦安を去ったケースが珍しくない。

元々、他人だった男女がずっと生活することは難しく、互いに思いやって許し合わないとやっていられない。

片方だけが我を主張し続けて、それで上手くやっていけるはずがないんだ。

すでに覚悟はできている。

私は肝を据わらせて、飯を食い、ただ無言で構える。これ以上に酷くなるのならば、夫婦関係を見直さざるをえない。

尋常ではない気配を察したのか、妻が少しだけ落ち着きを取り戻し、子供に対する叱責を止めた。

私だけが別居して家を出たら、妻はずっと子供を叱り続けるかもしれないと思うと、やはり私は自宅に留まるべきなのだろう。

いや、私に何も言わずに、妻を含めてLINEのグループを作るような義父母のことだから、私が子供たちを育てることなんて許すはずがない。

きっと、妻と子供たちを義実家に引き寄せて、私に婚姻費用を払わせようとすることだろう。

計算してみると、その形態の方が私の支出は減る。金を払わないという手段もある。義実家が溜め込んでいる金で立て替えればいい。

義実家との軋轢は、短くても10年は続くのだろうな。義父母に結婚の伺いを立てた時も苦労したが、考えるだけで気が重くなる。

早く旅立ってくれればいいのにとは思わないが、結婚前に思い浮かべていた義父母のイメージとは程遠く、しかし結婚するとよくあることなのだろう。

人生は上手く行かないものだ。やっと調子が上向いてきたと思ったら、この有様。

私は自室に入り、寝室で妻が眠るまで待機する。

この状況だと、私は睡眠不足のままストレスフルな通勤電車に乗り、メンタルを削りながら出勤することだろう。

私のことなんて何も考えていないから、自らの感情に任せて怒ることができるのだろうな。

どのタイミングでどうしていれば、このような状況を回避することができたのだろう。真面目に出勤して、働いて帰ってきただけではないか。

子供について気に入らないことがあれば、私に相談することだってできたはずではないか。どうして一人で解決しようとするのか。

笑顔で玄関のドアを開けて出勤して、帰ってきてドアを開けたら、この状態だ。

心の中でイメージしていたガラスのリンゴは、すでに修復が不可能なくらいに粉々になって、形すら残っていない。

それが存在していた場所には、同じ形をした真っ暗な空洞ができている感じがする。

明日は子供が反省して、妻が落ち着きを取り戻し、いつもの平凡な朝が来ることを祈って床についた。

翌朝、妻が子供を叱る大きな声と、物をぶつける音で目を覚ました。

一度、妻が癇癪を起こすと数日は続き、私への配慮はない。真正面から受け止めるとメンタルが崩れ去る。

睡眠時間は4時間。

動悸と耳鳴り、頭痛と吐き気。これで出勤する。

市内は相変わらず混み合っていて鬱陶しい。

妻や義実家にとって、浦安は住みやすい街なのだろう。

電車の中は東京に向かう多数の千葉県民。三密なんて言葉は通用しない。

車輪が付いた鉄の箱の中に人間が詰め込まれ、我や欲とともに運ばれる。

モラルやマナーが足りない人が目立つな。リアルなツイッターだな。いや、リアルを反映したものがツイッターなのか。

この状況でも、私は夫として父親として生きるわけだ。苦しみながら生き、毎日地道に働き、何か悪いことをしたわけでもない。

こんな通勤形態で仕事が捗るはずがない。家族の利便性のために、義実家の満足のために、こうやって時間を無駄にして心を削りながら職場に通っている。

最も避けたかった生き方だ。毎日、顔をしかめて生きることが、幸せな生き方か。

妻の癇癪は本人が感情をコントロールすることができないレベルで、こだわりを減らすことしか解決への道が見当たらないし、それが難しいことも私は理解している。

妻にカウンセリングや治療を提案しても、拒否することだろう。こだわりが強すぎるんだ。

見上げた空は晴れ渡っている。

いい天気だ。