ブルガリアン・ヴォイスで頭を空っぽに
そろそろ浦安市内の小中学校では分散登校から通常のスタイルに移行する。
子供たちが通う小学校や児童育成クラブでクラスターが発生すれば、再び施設が閉鎖されることだろう。そうなると夫婦共働きの世帯には直撃のダメージがやってくる。
とはいえ、現在の小中学校の現場では、カリキュラムを進めることと感染をできるだけ防ぐことで精一杯だろうから、おそらくオンライン授業の準備をしている余裕がないと思う。
子供が学校に通えないと、親が子供たちの面倒を見ることになるはずだし、市内に住む妻の実家を頼ることも難しい。
何だか綱渡りのような生活だな。
外出自粛でストレスに耐えている時期よりも、緊張感が緩んで通常の生活スタイルに戻ろうとしている現在の方が疲れが大きい気がする。
いや、気がするというよりも、現実に疲れている。その状況に動揺する必要はなくて、大きなプレッシャーが去った後にやってくる揺り戻しなのだろう。
問題は、脳が疲れた状態からどのように回復して、平時に近いモードに移行させるのかということだな。
その答えが分かれば苦労はない。想像以上に電車の人身事故が多いようだし、ネットを眺めればメンタルに不調をきたして倒れている人たちも多い。
日本国内においては、それまで普通に生活していた若い人たちが凶悪な事件を起こしていたりもするし、他の国では不幸な事象を契機に社会への不満が破裂して暴動まで起きているようだ。
この落ち着きようがない状態の中で、「ヒャハッー!」と夜の飲み屋に行って騒いでいる人たちのメンタルタフネスは凄まじいものだと思う。
何だろう。この底に足が着かない海や川で泳いでいるような感覚は。
私なりに心を落ち着かせる数少ない方法は、平時だった時と同じ趣味を続けることだな。
しかしながら、頭の周りに漂う黒い霧のような何かがある。どうにかしてこれを消すことができないだろうか。
焦りや不満、怒りや悲しみといった感情は、一過的に思考を通り過ぎるのではなくて、思考にまとわりついてループを繰り返し、より大きな存在となって人々を苦しめる。
そのようなストレスによる脳の疲労を回避するためには、短時間であっても感情のループを断ち切る必要があるのだろう。
何かに没頭することで、それまで抱えていた悩みを忘れるという術は、とりわけ宗教的でもスピリチュアルでもなくて、経験則として多くの人たちが知っていることだ。
また、かなり以前から機能的磁気共鳴断層撮影装置(fMRI)によって脳の活動を可視化することができるようになり、ストレスが引き起こす作用機序についても多くのことが分かってきた。
さて、サイクリングに出かけると気分がかなり楽になるのだが、動的ではなくて静的な状態においても、また少しの時間であっても、感情や思考のループを断ち切って頭を空っぽにしたい。
このような時には音楽を聴くことが一番だと思うのだが、不思議なことに平時の頃に楽しんでいた曲が頭の中に入りづらい。
私はハードロックやヘヴィメタルが好きなのだが、社会が騒がしいからだろうか、ドラムやギターの音がうるさく感じる。
そして、大量の音楽が入っているMP3プレーヤーの中から色々と曲を探したところ、心地良く感じる曲が映画の「攻殻機動隊」のサウンドトラックだった。
正確には「GHOST IN THE SHELL」や「イノセンス」で流れていた西田和枝社中の皆さんの歌声。
なるほど、FC2ブログでYouTubeを共有するには、このような操作が必要なのだな。画像は小さめに設定しよう。
GHOST IN THE SHELLを見たのは、私が学生時代の頃だったと思う。
人々がマイクロマシンを脳内に浸透させることで電脳化し、ネットという広大な海にアクセスすることが可能になった近未来。
脳と脊髄の一部以外は「義体」という人工物に置き換わっている女性サイボーグの主人公が、自らの存在に悩み苦しむという話の柱があって、そこから展開される「自分とは何か?」とか「生命とは何か?」という哲学的で壮大なテーマが衝撃的だった。
脳内に存在する情報というのは、突き詰めて考えると神経細胞同士を伝う電気信号という解釈になるわけで、そこに「自分」がいる。
では、脳に存在する全ての情報がデジタルに変換され、自我や記憶を含めた情報が脳の細胞ではなくてコンピューターの基盤の上に移された時、その存在は自分たりうるだろうか。
あるいは、ネット上に存在する個々の情報が互いに融合を繰り返し、自己複製し始めた時、それらの存在は生命体ではないと断言しうるだろうか。
生物としては足りない部分が多すぎるが、生命体の定義としては当てはまる箇所が認められたりもするわけだ。
このような難解だけれど本質的なストーリーにおいて、その背景で流れる民謡の歌い手の「西田和枝社中」の皆さんの声は、まさに脳天に響き渡る感じだった。
数十年の時間が経った今でも、彼女たちの歌声のインパクトは色あせることがなくて、今でも疲れた時や悩んだ時に曲を聴いて頭の中を空っぽにしていたりする。
若き日の私は、GHOST IN THE SHELLで流れる歌を聴いて、日本の民謡にしては音の重なりが複雑だと感じ、どこか別の国の音楽と融合させたのかなと思っていた。
脳の原始的な部位を刺激するような感じは、おそらく、アフリカの音楽ではないかと。
GHOST IN THE SHELLの音楽を手掛けたのは川井憲次さんで、当初、ブルガリアン・ヴォイス(Bulgarian Voices)の歌を映画に取り入れようと着想したらしい。
アフリカの音楽だと思っていたので、私の予想は外れた。
ブルガリアン・ヴォイスとは、ブルガリア地方の伝統的な民族音楽で、いくつかの音調の歌を重ね合わせて響かせることが特徴なのだそうだ。
しかし、川井さんたちがインタビューに答えた記事を拝見した限りでは、ブルガリアン・ヴォイスの歌い手たちは楽譜に基づいて歌うわけではないそうで、彼らが作曲した楽譜を読みながら歌うことが難しいことが分かったそうだ。
日本の民謡の歌い手の中でも西田和枝社中の皆さんは楽譜を読むことができた。彼女たちにブルガリアン・ヴォイスのように歌ってもらったところ、日本民謡の透き通った歌声とブルガリアン・ヴォイスが合わさったような幻想的な歌が生まれたようだ。
よくよく考えてみると、ブルガリアン・ヴォイス的な音楽は日本でも耳にしたことがある。
同じアニメであれば、「マクロスプラス」のクライマックスシーンで流れる「A sai en」は、ブルガリアン・ヴォイスのように聞こえる。
この作品を知っている人なら分かるだろうけれど、すでに遺跡のようになっていた巨大なマクロスがバトロイドの形態で多くの人たちの前に姿を現すシーンの音楽。
マクロスプラスの場合には、YF21が超高速の空中戦を展開する「伝説の5秒」の方が有名になってしまっているが、やはりテレビ版の初代マクロスを知っている団塊ジュニア世代としては、超時空要塞のマクロスがバトロイドに変形したシーンには鳥肌が立つくらいの興奮を覚えたが....
知らない人には全く意味不明だな。
それと、アニメ以外だと姫神の「神々の詩」とか。テレビ番組で使用されていたので聞いたことがある人は多いはずだな。
だが、よくよく考えてみると、私は本物のブルガリアン・ヴォイスの音楽を聴いたことがない。
どんな感じなのだろうかと、YouTubeで「ブルガリアン・ヴォイス」とか「Bulgarian Voices」と入力して検索してみたら、それはそれは興味深い世界が広がっていた。
このデトックス感は素晴らしい。何だこれは。聴いている間に思考が停止する。
自分が聴覚過敏持ちだということを忘れていた。危うく意識が飛びそうになった。
私なりのブルガリアン・ヴォイスの聴き方としては、ヘッドホンを付けて、ハイボールを引っかけながら、目を閉じて少し上を向いて、大音量で聴く。
ヘヴィメタルを聴く時には部屋の中を真っ暗にした方が心地良いが、ブルガリアン・ヴォイスの場合には部屋を明るくした状態で目を閉じて、電灯を向いた方が気分が乗るようだ。
YouTubeの場合にはパソコンのブラウザでタブを複製することができるので、2つか3つくらい同じ動画を開いておく。それぞれの動画のタイミングを1秒くらいずらしていくと、さらに頭の中に音楽が響く。
その間は、何も考えない。
日本の民謡や演歌でも人によって合う合わないがあるわけだが、ブルガリアン・ヴォイスの場合にはさらに相性が大切だな。
合わない曲の場合には聞いているだけで辛くなるが、自分の好みに合った曲が見つかると脳とのシンクロ率が半端ない。
ということで、この数日は、夜な夜なブルガリアン・ヴォイスをかけてリラックスしている。
これは素晴らしいぞと思ったので、妻にもブルガリアン・ヴォイスを聞いてもらった。
妻は感想を説明する前に、「ああっー!」と顔をしかめていた。妻いわく、色々な声が聞こえてきて単一でないため、背中がゾクゾクして気持ちが悪いらしい。
色々な声が聞こえてくることがブルガリアン・ヴォイスの魅力なのに、うちの妻はその良さが理解することができないというか、心身ともに受け付けないらしい。
背筋がゾクゾクするという感想が今ひとつ理解できないのだが。
二人の様々なギャップは今に始まったことではないので、一人でブルガリアン・ヴォイスを聴くことにした。
それにしても素晴らしいな。
五十路近くまで生きてきたら、人生なんてほとんどのことを経験して、あとは退屈な時間が続くと思っていたのだが、知らないことの方がずっと多いようだ。
あえて知らずに生き過ごすのも良し、何かを見つけて新たなことを知ることも良しだ。
コロナが落ち着いたら、仕事がてらブルガリアに行ってみたいな。確か、ギリシャやトルコの近くだったな。
当面の目標としては、YouTubeではなくてCD音源のブルガリアン・ヴォイスのアルバムをたくさん手に入れて、ヒーリング用のプレイリストをつくってみよう。
楽しみが増えた。