2020/06/12

ラッキョウ星人たちとの交信

我が家において年に1回くらいやってくる「ラッキョウ漬け」が終わった。私はこの家庭内イベントが大の苦手で、妻が大量のラッキョウを漬けるたびに体調を崩している。笑い話だと私も思うが、事実なのだ。


状況を整理すると、感覚過敏を持っている私は、聴覚や嗅覚、視覚、触覚といった様々な感覚が尖っていて、脳がたくさんの情報を取り入れる。

普通の人なら気にならない臭いや音、手で触れた場所のわずかな差異など、様々なことが気になって、酷く疲れる。

それどころか、人の表情や声色、さらには人が書く文章から内面を読み取ってしまうくらいに重度だったりもする。

満員電車や駅構内での乗り換え、あるいはツイッター等で疲れ切ってしまうのは、このような性質が背景にある。

繊細な人と呼ばれれば聞こえはいいが、要は神経質な人なわけだ。

次に、私が苦手としている「ラッキョウの漬物」だが、ラッキョウの農家や漬物の製造販売に従事している人たちを批判するわけではなくて、自分の思考を越えたところでラッキョウを拒んでいる。

では、何をもってラッキョウが苦手なのかというと、まず、あの白くてヌルっとした不定形のビジュアル。

瓶やタッパーからラッキョウ漬を皿の上に取り出すと、いきなり動き始めるのではないかという恐怖感がある。

同じジャンルであれば、「ニンニク」だと思うのだが、ニンニクに対して私は何も反応しない。白くてヌルっとしていても、形が揃っていて、シャープな先端には美しさを感じる。

ただ、ラッキョウの形が苦手であれば、見なければいいだけの話だ。しかし、形以上に苦手なのは、ラッキョウを漬けた際の独特の匂い。

ニンニクの匂いの方がきついわけだが、私はニンニクの匂いは気にならない。子供の頃から焼肉などで食べていたからだろうか。

私個人の成長過程では、ラッキョウを食べるという習慣が全くなかった。妻と結婚してから持ち込まれた食文化だな。

我が家の場合、妻がジップロックに大量のラッキョウと調味液を入れて、玄関先に常温で放置するという習慣がある。

以前はキッチンで漬けていて私が吐きかけたので、自室から最も遠い玄関でラッキョウを漬けることになった。しかし、それでも臭う。

私は「酢」の臭いが苦手で、それが鼻に入るだけで体調が悪くなるのだが、ラッキョウの匂いが合わさると大変なことになる。

では、実際にはどのような症状が出るのかというと、心拍数の上昇。部屋の中で座っているだけなのに、110くらいになっている。

夜に寝る前にラッキョウ漬の匂いを嗅いだ後で眠ると、明らかに眠りが浅い。結果、睡眠不足の状態で職場で働くことになる。

ジップロックの常温ではなくて、安いガラスの瓶を買ってきて冷蔵庫でラッキョウを漬けてくれれば助かるのだが、妻としてはこのスタイルが最も旨く仕上がるそうで、方法を変えようとしない。

そもそも妻には私のラッキョウ漬への恐怖を感じないわけで、なぜここまで反応して疲れているのかも理解することができない。

私があまりに疲れていることを察した妻は、とても気を遣ってくれて優しい。

妻としては私がパンデミックや仕事、あるいは電車通勤で疲れていると勘違いしているはずだ。間違いなく。

私はそれ以上にラッキョウ漬で疲れているわけだが、夫婦の不和に繋がるリスクがあるので細かく説明することは難しい。

世の中には、①ラッキョウ漬を好む人、②普通に食べる人、③食べることさえ拒否する人という三種類のタイプがあって、食品については往々にしてよくある話なのだろう。

ラッキョウ漬の好き嫌いについて言えば、触感や匂いを含めて関与する遺伝子は複数あり、さらに生まれ育った環境も関与することだろう。

スーパーでラッキョウの漬物を買ってくるのではなくて、ラッキョウを自分で漬けるくらいの人たちは、私から見ると「ラッキョウ星人」と呼んでも差し支えないくらいの存在だと、浅い眠りの中で思った。

とはいえ、私も夫であり父親なので、漬物でゴチャゴチャと文句を言うわけにもいかず、玄関のラッキョウ漬の匂いで心拍数を上げながら靴を履き、自宅を出て深呼吸をする。

明らかな睡眠不足なので、電車の中ではまぶたが重い。その理由がラッキョウ漬というのは情けない。

この日は私の仕事として外せない作業があって、ラッキョウ漬で疲れていたとしても気持ちを切り替える必要がある。

実際にやっていることは単純なのだが、責任があまりに重い。

例えば、地面の上に長さ50メートル、幅30センチメートルの白線が引かれていて、その上だけを歩いてくださいと言われれば、何の苦も無く歩くことができるだろう。

しかし、その白線の両サイドが崖になっていて、さらに失敗したら誰かが死ぬかもしれませんという理不尽な漫画のような条件が付けられていたら、歩くという単純なことでもプレッシャーを感じる。まあそんな感じだな。

この仕事は、私の本業ではなくて、人手不足に加えて、私の手先が器用だという理由だけで担当することになった。

ミリ単位の作業においては、普段の生活で苦しんでいる感覚過敏がとても便利な能力になる。

グルメリポーターの彦摩呂さんであれば、「神経質の有効活用や~!」と表現してくださるかもしれない。

だが、職場の偉い人から「ちょっと手伝ってよ」と言われて手伝い始めて、すでに15年近くの時間が経った。

その偉い人はすでに退職していなくなった。

ちょっとにしては長すぎるだろと思い、そろそろ若い人たちに仕事を引き継ぎたいのだが、失敗すると大変なことになるので誰も手を挙げてくれない。

二人組の作業でサポートに入ってくれるのは、私よりも10歳くらい若い男性。彼は東京大学の出身で、同門ではないけれど駆け出しの学生だった頃から知っている。

彼は、180センチメートルを超える長身と俳優のようなルックスで、おそらく若い頃はとてもモテたことだろう。

しかも、性格は明るくて裏表がなく、誰かを笑わせることがとても上手い。

今では彼も立派な職業人に成長し、家庭を持ち、子供たちを育てている。時間の流れは速いものだ。

彼は保育園の送迎に行くこともあるそうだから、ママさんたちの井戸端会議で「あのパパ、素敵よね」と言われているに違いない。

もとい、あまりに単純だけれど責任が重いという作業においては、絶対に失敗しないという気持ちと十分な訓練が大切なのだが、それだけでは足りない。

ヒューマンエラーは必ず生じるものだという想定の下で、そのエラーを可能な限り早期に把握し、最終的なアウトプットとして失敗を生まないという体制が必要になる。

私が細かな作業に集中していると、視覚的あるいは精神的にも周りが見えない。彼がザイルパートナーのように様子を把握して、何かあれば助けてくれる。

しかし、作業に入る前の段階で、私があまりにぐったりしている姿が気になったのだろう。彼が「大丈夫ですか?」と尋ねてくれた。

「うちの妻が自宅でラッキョウの漬物をつくり始めてね....私はラッキョウ漬が苦手で疲れているんだよ」と私が答える。

まるで海外のB級映画で交わされるジョークのようだな。

サポートの彼が笑ってくれるのかと思いきや、真顔で悲しそうな顔をしていた。

彼の場合には立場が逆で、自宅で好物のラッキョウを漬けても、奥さんが嫌がって食べてくれないらしい。

なんと、この5年くらい共にタスクをこなしてきた相棒は、妻と同じラッキョウ星人だった。

とはいえ、私たちは、この状態で街を出歩くと間違いなく警察官に職務質問を受けるような格好をしているし、ラッキョウの話をしている場合ではないので、作業に取りかかる。

その最中にも、脳の嗅覚野に残ったであろうラッキョウ漬の匂いが気になる。

サポートの彼がラッキョウ星人だと分かったので、彼からラッキョウ漬の匂いが漂ってくるのではないかと錯覚してしまう。

けれど、人は黙っていれば何を考えているのかは分からない。

責任の重い作業であっても気にせず淡々と仕事をこなすベテラン....という表情を保ってはいるが、何千回と同じ作業を行っても、この緊張感は慣れない。

我が子たちを育てたり、保育園の卒園式や小学校の入学式でたくさんの子供たちの姿を見かける度に、逆に責任の重さを実感するようになってきた。

人が全くミスをしないということはありえないわけで、ミスをしたとしてもリカバーして、全体としてミスが生じない体制は重要だな。

まるで登山家が崖を登っていて足を滑らせた時のように、私がミスをしかけると、ザイルパートナーの彼がロープを握って支えてくれる。だからこそ安心して作業に取り組むことができる。

しかし、その信頼するサポートが、まさかラッキョウ星人だったとは。

ミリ単位の作業の中で、たまにラッキョウの姿が浮かび、それが去り、再びラッキョウの姿が浮かぶ。

しかし、人は黙っていれば何を考えているか分からないので、その後も淡々と作業を続け、ようやくタスクが完了した。

今回の作業はとても順調で、パーフェクトな仕上がりだった。ここまで私の調子が良いケースは珍しい。

休憩時間に、サポートの彼がどうしてラッキョウ星人になったのか、その経緯を紹介してくれた。

彼は学生時代に、東大のとある体育会系の運動部に所属していた。部活動において粗相をしてしまったので、先輩から一つのミッションが課せられたらしい。

そのミッションとは、部活の合宿において、肉のハナマサで大量のラッキョウの漬物を買ってきて、合宿期間中に彼一人で全て食べきることだった。あまりに残酷で不条理な上下関係だな。

有名国立大学卒の体育会系の若者が、大手企業の採用試験を楽々とパスして就職することが多い理由が分かる気がする。

彼が、どうしてそれだけ大量のラッキョウを食べる必要が生じるくらいの粗相をしてしまったのか、私にはその理由が分からなかったし、彼のスティグマを復活させてしまうのではないかと思って触れなかった。

おそらく、運動部でよくある派手な飲み会で、酔っ払って全裸になってキャンパスの中を走り回ってしまったとか、そのタイプの粗相なのだと思った。

それまではカレーの付け合わせでラッキョウ漬を食べる程度だった彼は、あまりに大量のラッキョウ漬を食べ過ぎてしまった結果として、ラッキョウ漬がないと食生活を維持することができないくらいのラッキョウ星人になったそうだ。

いや、それはベクトルが違うんじゃないかと思ったのだが、ラッキョウ星人になる理由は様々なのだなということを学んだ。

「今回の作業はパーフェクトでした! これからは作業の前日にヘソや鼻にラッキョウを詰めて寝たり、直前にラッキョウ漬を頬張ってきてくださいよ!」と彼から勧められた。

どこまでが冗談なのか分からない。

自宅に帰ると、妻と子供たちの機嫌が良い。この人たちは美味しいものを食べると、こうなる。

すると、案の定、妻が職場の近くで美味しいケーキを買ってきて食べたようだ。

機嫌が良い状態なら大丈夫だろう。どうして、妻が(私が苦手で体調を崩すような)ラッキョウの漬物を作るのかと、当たり障りのないように尋ねた。

すると...

「ああ、たまに子供たちがラッキョウを食べたいって言うから、漬けているのよ」と。

妻がラッキョウ星人だということは知っていたが、子供たちまでラッキョウ星人だったことに驚いた。

ヨーロッパなどでは強烈に臭うチーズを旨いと言って食べる人たちがいたりもするわけで、このような食のパターンは親から子、子から孫に伝わることだろう。

私もハナマサで業務用のラッキョウ漬を買って食べまくれば、今からでもラッキョウ星人になることができるのだろうか。

食の楽しみが一つ少ない気がして、何だか損をした気持ちになるから、試して...みたくはない。