ロードバイクで江戸川沿いを北上して彩の国へ
私も妻も意見が同じなのだけれど、子供が普通とは思えない勢いで部屋の中を走り回ってしまうということは、子供の責任とは言えない。
その子供としては生を受け、成長する中でそのような性質があったということだ。
ただし、自分の子供が下の階の住人に迷惑をかけているのに、お願いに来た近所の住民である私たちに逆切れしたり、騒音や振動を放置する親の態度はいかがなものか。
平謝りしろと言っているわけではなくて、迷惑をかけていること自体を認めようとしないから、トラブルが発展する。
朝の7時に子供が走り回る音で起床するなんて、私の世帯が異常な生活を強いられている。
階上の夫婦としては、もはや子供のコントールが難しい状態になっているのだろう。
子供の個性を早くに認めて対応すれば成り行きが違ったかもしれない。どうして下に人が住んでいる集合住宅に引っ越してきたのか。
しかも世帯主は感覚過敏持ちだ。
その前段階として、適切な対応をしないまま幼稚園なり小学校に入ったら、子供が集団生活に適応できなくて苦しむことが予想される。
いつまでも子供を自宅で育てるわけにもいかない。親が子供の個性を受け止めて、専門家の支援を受ける必要がある。
その夫婦が親としてやらなくてはならないことを、実際にやっているとは思えないから、私も妻もさらにストレスが溜まるわけだ。
それにしても上の階の子供の暴れ方が半端ない。朝7時前から30分以上、何かのリミッターが外れてしまったかのように部屋の中を走り回っている。
幼稚園が再開して、その集団生活の中に子供が入ってストレスが溜まり、混乱しているのだろうか。
仕方がないので、私は朝8時くらいに警察に電話して、その世帯に対して騒音や振動について対応するようにお願いした。
近所同士で解決しようとすると互いの怒りが燃え上がるという警察官の配慮によるものだ。
浦安市の新町は区画整備された美しいマンション群が特徴だが、マンションの住民においてはこのようなトラブルが珍しくない。
親は社会性があっても、子供がどうなるのかは分からない。小さなうちは何とかなるが、中高生くらいになってくると、ベランダを開けてギターをかき鳴らしたり、大音量で音楽をかける子供がいたりもする。
そして、上の階から警察が去った頃、天井から「ドスンッ!」ともの凄い音と振動がやってきた。それは子供ではなくて、成人、おそらく父親によるものだろう。嫌がらせのつもりなのだろうか。
警察官の話では、子供だけではなくて父親が部屋の中を走る時があるそうだ。そう考えると、ある程度の素因が関与しているのだろうか。
そのような時に限って、うちの上の子供が朝から不機嫌で、朝食を食べようとしない。その姿に妻が苛立ちを溜め始めて、甲高い怒声を響かせている。
日曜日の少し遅めの朝食というのは、静かで穏やかな雰囲気の中でリラックスするものだが、上の階で個性的な子供が走り回り、自宅では子供が言うことを聞かず、妻は切れている。
ただ、その日の私には、あまり余裕がなくて、ストレスで顔を歪めながらロードバイクを整備して、洗濯物を干した後でライドに出かけることにした。
1週間くらい前からだったろうか、都内で働いている時には問題がないのだが、朝の出勤時に浦安市内を通行している時、あるいは夜間に都内から浦安に帰宅した際に、軽いめまいがやってくるようになった。
また、前日は妻から家事と下の子供の外出を担当するように指示があって、子供を連れて新浦安駅前を歩いていたのだが、酒を飲んでいるわけではないのに、脳がしびれるような感じがあった。
人が多すぎるんだ、この街は。
この感覚はとても不快で、このまま死んでしまうのではないかという恐怖がやってきたりもする。
だが、何事も経験だな。特に焦りもない。
ドイツには「トラック一杯の薬より、一台の自転車」という諺があるそうだ。
本物のドイツ人にその諺が素晴らしいとコメントしたら、「何それ、知らない。オランダじゃねぇの?」という返答がやってきたので、本当なのかどうか分からない。
ただ、長引くパンデミックに加えて、尋常とは思えない上の階の家族の行動、共働きの子育て、さらには追い詰まった仕事のスケジュール等、頭の中で処理しなくてはならないことが多すぎて、心と身体の調和がとれていないことだけは分かる。
そのような時、薬に頼って人為的に脳をコントロールするよりも、身体を動かすことで脳と末梢とをリンクさせた方が、回復が早いと思う。
対応が早い方が良いことはもちろんで、それより以前なら不調の予防にもなるはずだ。
もちろんだが、脳に対してストレスになっている事象を解除することができれば、脳の疲労は治まることだろう。
ニューロン同士の情報伝達にしろ、細胞の機能を制御する液性因子の発現の多寡にしろ、時間はかかるかもしれないが、入力を減らせば理論的には回復する。
だが、日常の生活において、それらのストレスを解除することができる内容と、そうでない内容があるわけで、子育て中は往々にしてストレスはそのまま存在する。
皆が表立って言わないだけで、市内でもあのお父さんとあのお母さんはメンタルクリニックに通っていたりするし、あのお父さんはうつ病で休職したことがあるし、あのお父さんもメンタルを飛ばしたことがあるとか、関係が近くなればそのような話が耳に入ってくる。
別にそのことを恥じる必要はない。だが、メンタルの治療薬の類は、中枢神経系の特定の分子をターゲットにしていることが多く、末梢の疾患のようには解決が早くない。
酒だって適量ならストレス解消になるが、過度になれば身体を壊す。通算してトラック一台分の薬を飲むか否かは医師や本人の方針にもよるが、治療薬を飲んだところで回復せずに、離脱症状で苦しむこともある。
ということで、私はストレスに対して薬を一切服用せずに、ロードバイクに乗ることで脳を休めている。
夫婦共働きの子育てなので、その間は妻に負荷をかけてしまうことになる。以前はそのことで夫婦喧嘩になったこともあったが、バーンアウトの地獄をサイクリングで乗り越えてからは、妻も理解してくれている。
最近の妻は、そのような私の「弱さ」に配慮してくれていて、「ごめん、めまいがするからロードバイクで走ってくるよ」という、健康なのか健康でないのかよく分からない行動についても背中を押してくれる。ありがたいことだ。
歌人の与謝野鉄幹は、人を恋うる歌で「妻をめとらば才たけて みめ美わしく情けある」と表現したが、そこまでのスペックを妻に求めるのは正しくない。
そこまでの女性と釣り合う男は少ないし、釣り合わないカップルもたくさん見かける。
妻という存在は人生の伴侶であって、様々なことを補完し、喜び、我慢しながら生きていく相棒だ。
人によって妻となる女性の好みや理想は異なるし、鉄幹さんの奥さんが人を恋うる歌のような以下略。
妊娠や出産という生命としては生殖の段階を越えた男女においては、付かず離れずの何とやらという適度な関係の下で、互いに長い人生を連れ添うことが大切なのだなと思う。
サイクルウェアを着ながら、肩や腰のプロテクターを装着し、アイウェアを確認し、バックパックを背負う。
最近では、バックパックの中に衝撃吸収用のハニカムシートを挟んでみた。落車の際に脊椎を保護するためのもので、機会があれば録に記したい。
室内に保管してあるロードバイクを玄関から外に出し、サイクルコンピューターで心拍数を確認すると、運動もしていないのに「95」という数値が表示されている。
脳がしびれたり、めまいがするという異常は、心臓の拍動にも影響を与えていることは間違いない。
ここで我慢して耐えるとメンタルが飛んでしまうので、適度に脳からストレスを取り除く必要がある。バーンアウトを経験して、その辺の扱いが分かってきた。
しばらく外に出てペダルを漕ぐだけで、心拍数が低くなっていく。
そこからケイデンスを上げていくと心拍数が上がり、ケイデンスを下げると心拍数が下がる。
そう、これが正しい心臓の使い方なわけだ。
ストレスによって心臓の拍動が速くなるという現象は、おそらく人類の進化においても保持された身体の防御反応なのだろう。
だが、人類の生き方が知的活動に傾けば傾くほど、脳の情報処理に無理がかかり、そこからの出力が混乱するのだろうな。
そのような場合、人類の進化の時計を遡って、反対向きにベクトルを持っていけばいいわけで、結局は「陽の光を浴びながら、汗をかいて運動する」という原始的な方法で脳のリズムを回復させるという理屈に至る。
今回は、とにかく浦安という私にとってストレスフルな街から脱出したい、また、千葉県という場所からも脱出したいと思った。
そして、行きたい場所はすぐに決まった。
埼玉県。特に、三郷市や春日部市。
私は千葉県民なのだが、千葉県よりも埼玉県の方が好きだったりする。のんびりとした県民性や、穏やかな街の感じがいい。
千葉県にも色々な場所があって、私が住んでいるのは北西部だ。千葉県はとても広くて、房総半島の太平洋側の外房では街も人も雰囲気が異なる。
北西部の街や人には慣れることができなくて、長年過ごした東京に早く戻りたいと思っているのだが、実は、千葉県の内房の街や人の雰囲気はとてもリラックスできて、とても素晴らしい。
埼玉県にも色々な場所があるだろうけれど、地理的に入り組んでいないからだろうか、どこを訪れてもノンビリしていて、人々が穏やかだと私は信じている。
埼玉県の中にも治安が良くないエリアもあるようだが、都内のようにブロック一つで治安が変わることは少ないだろう。
江戸川の河川敷沿いを自転車で走れば分かることだが、海沿いにある千葉県の市川市の辺りはカオスだ。
ゴミが散乱し、すれ違って挨拶をすることもなく、道端や河川敷でバーベキューをする人たち、わが子たちが道の上で遊んでいても注意しない親。
上半身裸で走っている中年男性や道一杯に広がって自転車に乗る小中学生たち、まあとにかく私は苦手なのだ。
そこから、しばらく北上すると、松戸市や流山市を通り過ぎることになる。この付近も特色はあるのだろうけれど、20代の頃から都内で生活していた私にとっては、千葉県の北西部はよく似た感じだな。
何と表現していいのか...人々が荒っぽいというか、ツンケンしている感じ。都内と一言で表現しても、文京区や北区と、台東区や葛飾区では街並みや雰囲気が違うわけだが、都内に例えるとどこに似ているのだろうか。
あくまで私感だが、千葉県北西部は足立区や江戸川区をより田舎にした感じだろうか。もちろん、市内にも色々なエリアがあるだろうけれど。
浦安市の新町の場合には、江東区を神経質かつ自由にした感じがあって、マンション群の場合には豊洲とかと似ているのかもしれないな。
埼玉県の三郷市や春日部市までサイクリングに行くと、人々がとても優しい。河川敷で部活の運動をしている中学生たちが挨拶をしてくれたりもする。
それにしても、噂には聞いていたが、江戸川沿いの河川敷は大変な人混みだな。河口から右岸を北上していたが、ロードバイクのライドどころではないな。
道の左右から周囲を確認せずに人が出てくる。
そして、河川敷でよくあることだが、野球少年や野球中年たちが集まってボールを追っている。
密集かつ密接だな。それらを理解することよりも、野球欲が勝ってしまうのだろう。
学校の授業が遅れているので、進学志向の子供や親は懸命に学習のペースを上げている。
野球を楽しむ余裕があるとは、素晴らしいことだ。
別に野球には罪がないのだが、遊歩道は駐輪された自転車で道がふさがったり、野球中年たちのミニバンが遊歩道の中まで強引に入ってくる。
このような野球中年のミニバンがやってきたら、無理をせずに徐行することが先決だ。彼らにロードバイク乗りの道理は通用しない。逆もまた真なりかもしれないが。
それにしても、最後にライドに出かけたのはいつだったろう。
録を確認すると、2月から5月は実走に出ていないようだ。この間は仕事が忙しくなったり、外出が自粛されて子供たちの世話があったりと、本当に辛かったな。
先週は28Cタイヤのトライアルのためにディズニーを周回したが、なんと4ヶ月間も本格的なライドに出かけていないということになる。
先日、ステムを短くしたのだが、この変更は良かった。身体が硬くなっていて前傾姿勢がきつくなっていた。ハンドルのアングルが気になるので、途中で停車して、少しずつ調整していく。
それにしても、平時よりも今の方が江戸川の河川敷が混み合っているな。真っすぐに走ることができないくらいの状態で、人を避けようとすると蛇行することになる。
サイクル用に手に入れたフェイスマスクは思いのほか調子が良くて、気に入って使っているわけだが、すれ違うランナーやサイクリストの多くはマスクをしていない。
おそらく、緊急事態宣言が発令された時も、江戸川の河川敷はこのような状態だったのだろう。
河川敷でクラスターが発生したという情報が入ってきていないようだから、まあこれでも大丈夫なのだろうな。
私が感じる千葉県の匂いは、市川市から松戸市まで変わることがなくて、流山市に入っても人が減るだけで、変わるようには感じられない。
この雰囲気が良いと感じている千葉県民は多いだろうし、それが普通だと感じている千葉県民も多いのだろう。
しかし、途中で埼玉県の三郷市にやってくると、雰囲気が違ってくる。河川敷沿いから街中に入っても、埼玉県民は穏やかだ。私なりの先入観が多分に含まれているけれど。
江戸川ローディたちのランドマークの一つである「みさとの風ひろば」からさらに北上して、途中でコンクリートの開けたスペースを見つけたので、ロードバイクを地面に横倒しにして、私は大の字になって寝そべった。
そう、ここは埼玉県。彩の国だ。
ああ、癒される。帰る気がなくなってきた。
映画で酷く揶揄されていたりもするが、あの映画は埼玉県の本当の良さを表現しているとは思えない。
埼玉県ではなく、千葉県を舞台として同じような映画を制作したら、おそらくヒットしなかっただろうし、千葉県民が真面目に怒ったことだろう。
埼玉県民だからこそ、そこまで自分たちを落として笑いに変換する度量があったということだな。
確かに都内を出発する東武東上線のホームで生じる埼玉県民同士の座席争いは熾烈だが、埼玉県民は基本的に穏やかで人懐っこい。
若き日に交際していた女性が埼玉県民だったので、よく知っている。
そして、春日部市に入った後で折り返し、流山橋から江戸川の左岸に入る。
江戸川の右岸は人が多すぎて、帰りが大変だ。反対側の左岸を走ろう。
しかしながら、江戸川の左岸にも千葉県民があふれていた。
右岸の場合には野球少年や野球中年が凄かったが、左岸には子供を連れた家族が多い。河川敷の道路まで使って休日を楽しんでいる。
スケートボードで遊んでいる父親と子供を見かけたのだが、その父親には道の真ん中で遊んではいけませんという基本的な常識がないのだろう。
徐行している私の目の前にスケートボードだけが滑り込んできた。
ロードバイクのバニーホップで回避するだけのスキルは私にはない。徐行で正解だった。
スケボーの持ち主は髪の毛を茶色に染めて刈り上げた、ごつい体躯の父親だった。真っ黒に日焼けしている。
もう少し穏やかな別の場所で彼に出会って、もっと距離を近くして酒を酌み交わしたりすれば、楽しい人なのかもしれないし、今まで気づいていなかったことを学ぶこともあるのだろうな。
実は、私が学生だった頃、将来はいわゆるヤンキー風の女性と結婚するというのもありだなと思っていた。
髪の毛を染めてヤンチャな感じがあるけれど、実は素朴で実直な人たちが多いイメージがあって、そのような人と結婚したら、面白い人生があるのではないかと。美人が多い気がするし。
では、実際にヤンキー風の女性と結婚したら、おそらくママ友同士の家族が集まって、バーベキューや飲み会が頻繁に開催されることだろう。
そして、一緒にやってくる父親たちは、今、私が対峙している人のような感じなのだろうか。その場所で、私はどのような会話をすればいいのだろうか。
やはり飲み物はストロングゼロなのだろうか、ワインだと引かれるだろうか。
やはり自家用車は黒色のミニバンなのだろうか、プリオスだと引かれるだろうか。
「○○くん」と君付けで呼んでもらうためには、どれくらいの間柄になる必要があるのだろうか、いや、同じ中学とか隣町の中学の出身でないと、本来の意味で友人になることは難しいのだろうか。
素に戻った私は、やはりヤンキー風の女性との結婚は現実的ではなかったと、居たたまれない気持ちで無視して走り去った。
あまりに久しぶり過ぎるライドでは、肩や首の疲労が激しい。今まで普通に乗っていたポジションなのだが、かなり窮屈だ。
それでも何とか80kmくらいは走っただろうか。
埼玉県の三郷市や春日部市でリラックスしたのだが、帰りの千葉県の流山市や松戸市、市川市を走っていると酷く疲れた。人が多すぎる。
江戸川左岸には、道路と川面が近接していて、美しい場所があるのだが、その場所でさえ釣り竿を持った親子連れが押しかけている。
狭い道路には自動車が並び、それらの家族の妻の方が運転席に座り、エンジンをかけたまま座席をリクライニングさせてスマホを見ていたり。
これで怒らない千葉県民の感覚が凄い。
千葉県民の現実に不満を溜めながらも、久しぶりの実走ならばこの程度のペースで十分だなと思いながら走った。
そして、帰宅して冷たいザル蕎麦と緑茶で昼食。
普段はあまり旨いと感じないコンビニ商品だが、ライドで思いっきり汗を流して帰ってきた後だと、別物だな。
気が付くと自室で眠ってしまい、目覚めたら両手足が日焼けして真っ赤になっている。
ヒリヒリして熱をもった手足をさすりながら、やっとロードバイクに乗ることができたことを嬉しく思った。
ようやく脳と末梢がシンクロし始めたらしい。
就寝前には全身に筋肉痛がやってきた。それぞれの筋肉から脳に伝わる情報がとても気持ちいい。
翌朝には、気になっていた脳がしびれる感覚やめまいが消えていた。
心と身体はリンクしているけれど、運動不足になると、その大切さを感じなくなったりもする。
私にとっては、トラック一杯の薬よりも、一台の自転車の方が効果があることは確かだな。
しかし、やはり私は河川敷沿いを走ることが好きではない。
次回からは、いつもの内房ルートを走ろうと思う。