部屋の中でサイクリング
その春までに2年間のロードバイク通勤を続けてきて、週末のライドと合算すると年間の走行距離は約1万km。
ロードバイク通勤を中止したきっかけは朝の通勤中に交通事故に遭ったこと。
いくら長時間の電車通勤に苦しんだとはいえ、今から振り返るとよくあれ程まで交通量が多い場所をよくロードバイクで走り抜けたものだと思う。
幸いなことに私自身は巻き込まれた側で大きな怪我はなかったし、路肩に跳ね飛ばされただけなので誰かに損失を与えたわけでもなかった。
しかし、このロードバイクという趣味では、交通事故や落車によって他愛もなく命を失うリスクがあること、同時に歩行者を巻き込むと社会的に大きな責任を負うことを知った。
当時から乗っているロードバイクがクロモリの鋼鉄製で安定していたこともあり、跳ね飛ぶ瞬間に方向を見定めるくらいのわずかな余裕があった。
また、通勤時には見た目を気にせずに肩や腰のプロテクターを付けていたことも幸いした。
ロードバイクでプロテクターなんてと笑うサイクリストが多いことだろう。しかし、交通規制のあるレースと、一般の車道では状況が異なる。
何百キロや何トンもの鉄の塊が行き交う車道を、ヘルメットと布だけ身につけて自転車で走る方が実はおかしなことだと事故後に思った。
これらのプロテクターは全て足しても1kgにも満たないプラスチック製のパッドだが、もしも装着していなかったなら、鎖骨と大腿骨頸部の骨折というロードバイク乗りにとってよくある怪我で手術と長期入院、職場での信頼を失い、共働きの妻に負荷をかけるという最悪の展開だった。
多くのロードバイク乗りは落車して大怪我を負ったサイクストの話を聞いても「それはご愁傷様」と我関せずだろう。
しかし、そのタイミングはいくら気を付けていても確率論的なもので、いつか必ずやってくる。
今まで大きな落車を経験したことがなかったとすれば、これから落車するサイクリストの行列に自分が並んでいると思えばいい。テクニックや経験だけでは防ぎきれない事故は多い。
とはいえ、春にロードバイク通勤を中止し、ずっと乗り続けていたロードバイクのライドの時間や距離が大幅に減った。
昨年は初夏から天候不順が続き、休日のライドの機会も減った。
これは厳しいということでスピンバイクを手に入れた。
当時、スピンバイクはあくまでロードバイクのライドのための補助的な室内トレーナーに過ぎないはずだった。
しかし、現時点ではスピンバイクに乗る時間の方が長く、ロードバイクに対する熱意は急激に冷めている。
ロードバイクを完全に降りたわけではないが、サイクリングの楽しみ全てを担う存在ではなくなった。
最初はハイガーの廉価版のスピンバイクを試した。フライホイールに革製のパッドで負荷を加えるタイプで、その調整は難しかったがスピンバイクの楽しさやトレーニング効果を知るには十分だった。
ただし、この機材は作りが雑で調整範囲や機能も制限があり、数週間で壊れて粗大ゴミになった。
その後、タキザワのパワーマジックという本格的な室内トレーナーを購入した。
この機材はフライホイールに磁力で負荷を加えるタイプ。高回転かつ高負荷でいくらワット数を上げても騒音や振動がほとんどない。
パワーマジックは、高性能なスピンバイクとしてはリーズナブルな価格設定だが、それでもミドルグレードから少し下のロードバイクの完成車が買えてしまうくらいに高価だった。
しかし、少しオーバーな表現かもしれないが、スピンバイクとの出会いは私にとってロードバイクやサイクリングへの考え方を大きく変える上で余りある存在となった。
これまでに10年以上もロードバイクに乗ってきて、その過程で何台もの固定ローラー台を使ってきたが、それらはあくまでロードバイクという趣味の延長だった。
ロードバイクを固定ローラー台に設置し、まるで遊具で遊ぶハムスターのようにペダルを回す。
ハムスターとしてはケージの中で走り回れないストレスを発散するかのように必死に輪を回すわけだが、サイクリストも大した差が感じられない。
ロードバイクは前輪と後輪が揃った状態が美しく、風を切りながら地面を走ってこそ本来の意義がある。
感じ方は人それぞれで、私にはローラー台に乗って頑張っている自分自身の姿がハムスターになったような気がして情けなく感じた。
それ以上に深刻なのは、感覚過敏だからこそかもしれないが、ローラー台を使用する際の音や振動。
低騒音タイプのローラー台であっても喧しく感じた。
私はロードバイクに乗って有酸素運動を続けながら考え事に浸ることが好きなのだが、ギャリギャリとホイールやチェーンが音を出し、考え事に浸る余裕がない。音楽を聴こうにもボリュームが上がって耳が痛い。
さらに、隣人や階下の住民からのクレームが気になる。とてもじゃないが全力でペダルを回す気になれない。
また、ロードバイクでの実走に近づけるための製品開発は行われているものの、ローラー台の感覚は実走のそれには程遠い。
とどのつまり、ローラー台でペダルを回しても、乗っていて楽しくない。Zwiftのようなユーザー同士の交流や競争、あるいは視覚の変化がないと飽きてしまうことだろう。
ところが私には視覚過敏という厄介な性質があるので、細かく動く対象が多いと疲れて目が回る。そのためZwiftを楽しむことが難しい。
レース志向ならともかく、サイクリングの一環としてローラー台による室内トレーニングを続ける気になれなかった。
そこで試しに使ったのがスピンバイク。実走感としてはローラー台よりもさらに違っていて、ロードバイクを模して作った割には全く別の乗り物のような感覚がある。
ペダルを踏み込むと、ベルトドライブがヌルヌルと動いて、重量のあるフライホイールが回る。
フリーハブがないのでフライホイールの慣性が両足を交互に押し上げてくれて、その勢いがペダリングにリズムを生む。
足から腰に伝わる官能的とも表現できそうな感覚が心地良い。
まあこれは人にもよるだろうが、このヌルヌルした出力は今まで味わったことがない。人力飛行機で空を飛んでいる時はこのような踏力感なのだろうか。
ダイエットを目的とした有酸素運動も、高負荷のタバタ式も手元のダイヤルで自在に調節が可能。
自転車をローラー台に固定する手間もなく、早朝や深夜でも気にならない。別室の家族がスピンバイクの音に気付かないくらいに静かだ。
フィットネスジムのエアロバイクを自宅に設置しただけ、あるいは機種にもよるが近未来的な自転車に乗って走っているだけだと思えば、輪っかを回すハムスターのような悲壮感もない。
実走のようにウェアを着込む必要も、事故に遭う危険性も、信号待ちで待つことも、消耗品を頻繁に交換することも、機材のアップグレードの必要もない。
乱暴な運転をする自動車のドライバー、もしくは交通ルールを遵守しないロードバイク乗りたちに対して苛つくこともない。
当然だが天候や時刻に左右されず、気に入った飲み物を脇に置いて、雨でも雪でも、真夏でも真冬でも、音楽を楽しみながらペダルを回すことができる。
実走の場合には信号待ちや歩行者近くの徐行などで時間を取られるが、スピンバイクの室内サイクリングにはそれがない。
浦安から江戸川沿いを数時間走らないと得られない運動量が、スピンバイクなら1時間くらいで完了する。
私がロードバイクのロングライドで感じていた爽快感や満足感というものは、十分な有酸素トレーニングと、ペダリングを介した動的なマインドフルネスによる効果なのだろう。
つまり、実走に出ないと得られないと信じ込んでいたサイクリングの気持ち良さというものは、実は室内トレーナーを用いたインドアサイクリングでもある程度は再現しうることに気付いた。
パワーマジックを用いたインドアサイクリングの場合には、初期費用以外の金がかからない。
タイヤの交換もチェーンの洗浄も必要ない。数年に1回くらいドライブ用のベルトを交換するくらいだろうか。数千円だな。
ステムは可変式で手元のレバーで調節することができるので、ポジション変更が容易。バーテープを交換する必要さえない。
サイクリングの時間は1時間もあれば十分で、出勤する前の30分間くらいでもある程度は走った感がある。
子育て中の忙しい休日でも、乗ろうと思えば数分でサイクリングが始まる。
ランニングくらいの時間でサイクリングを楽しみ、ランニングのように膝や足首等を痛めることもない。
何より、スピンバイクを用いたインドアサイクリングを始めて実走を減らしてからというもの、妻からの評判が良く機嫌も良い。
妻がキレる機会が明らかに減った。ロードバイクの出費が減ったので家庭に入れる金を増やしたらさらに妻の機嫌が良くなった。
おそらく、スピンバイクをベースにしてVRやZwiftを連携させることができれば、サイクルシーンは大きく変わると思う。
スピンバイクを前後左右に傾けることができて、負荷や出力をデジタル処理することができれば、わざわざ地面を走るためのロードバイクでインドアサイクリングを行う必要もなくなると思う。
インドアサイクリングのために高価なカーボンフレームは必要ないだろうし、地面を走るためのホイールも必要ない。
オンラインのレースならば、開催者としても安全な上に利益が生まれると思うが。会場の確保も交通規制も必要ない。
それらは、サイクル業界においてもチャンスだと思うのだが、一体、どれだけの人たちがその可能性に気付いているのだろう。
ディスクブレーキだ、ワイドリムだ、グラベルだと、一般のユーザーが必ずしも要求していないことでサイクル業界が押すよりも、ずっと市場価値がある。
海外のプロレースをモデルにして一般のユーザーに商品を提供したり、いくらサイクル雑誌で宣伝しても、実際には小売店で自転車が売れないと嘆くビジネスモデルは、すでに限界だと思う。
また、仕事も家庭もあるサイクリストを危険な目に遭わせるレースを開催して、事故が起きた後の責任については保険以外をサイクリストに負わせるなんて本当に正しいのだろうかと疑問を感じる。
私もレースに出場したことがあるが、自らの生活を天秤にかける価値はないと思った。
表彰台で格好を付けている人たちの周りには、実際には人が集まっていない。
上位に入ったと本人たちが喜んで満足しているだけで、社会的に何かメリットがあるわけでもなく、結局は自己満足に過ぎない。事故で大怪我をするリスクを負うだけの価値がそこにあるのかと。
他者と競いたいのであれば、私は仕事で競う。その方が収入にも、キャリアにも、家族の幸せにも繋がる。
ヘルメットを付けて他は布だけでロードバイクに乗って車道を突っ走ることの無謀さ、より速く走ったり高級機材で見栄を張ろうと自転車に課金することの無意味さを悟った。
もちろんだが、太陽の光を浴び季節の風を感じるロードバイクの実走にも素晴らしさがあることは間違いない。
しかし、以前のように頑張ってペダルを漕ぐ気持ちは私にはない。無理に実走に出かけるつもりは全くなくて、外で走りたければのんびりと外を走る。トレーニングは室内で行う。それだけのこと。
ロードバイクのスペックやカスタムには関心がなくなり、結果として散財も減った。悪い夢でも見ていたかのように金銭感覚が正常化していく。
たかだか趣味なのだから、その価値観は人それぞれだ。これはこれで良いことなのだと思う。