自宅から消える袋ラーメンの謎
私は独身時代から袋ラーメンが好きで、食事を作ることが面倒な時には大変重宝してきた。
所帯を持った後も、夜中に小腹が空いた時、あるいは縁起でもないが地震による液状化を考えて、サッポロ一番やチキンラーメンなどを買って、自宅のストッカーに入れてある。
昨日、仕事が長引いて終電で浦安に帰ってきた私は、夕食時にどうしても汁物が欲しくなった。
我が家の夕食では、子供たちの意見もしくは妻の気分で献立が決められるので、私は出された食事を旨いと言って食べるだけだ。
しかし、真夜中に味噌汁やスープを作っている気力もない。そうか、このような時こそと思って、ストッカーを開けて袋ラーメンを取り出そうとした。その時だった。
あらかじめ購入しておいたはずの袋ラーメンが一つもない。私はとても神経質なので、袋ラーメンをストッカーに保存する際にも定位置を決めてある。棚の上から何段目のどちら側、パッケージの表面がきちんと見えるように並べたりもする。
それらの袋ラーメンのストックが全くないわけだ。そういえば、以前からストッカーを開けるたびに袋ラーメンの数が減っているような気がしていた。
私は神経質な割に適当だったりもして、とりわけ子供たちが家の中で大騒ぎしている時、あるいは妻が苛立って怒鳴った時には、記憶が飛んでしまう。
では、私以外に家族の中でインスタントラーメンを食べる人がいるのかというと、心当たりがない。
妻は食についてのこだわりが強く、スーパーで食材を買ってくることもあるが、その選定は念入りだ。通販で食材を取り寄せることまである。
外食ではどのような食材が使われているのか分かりにくいということで、我が家では外食をする機会がほとんどない。
そのような家庭環境で、子供たちが鍋を用意して水を入れ、ラーメンを作っていたとすれば、妻がすぐに気づくことだろう。
それ以上に不思議なことがある。
私が仕事で外にいる間に家族が袋ラーメンを食べているとすれば、その痕跡がどこかにあっても不思議ではない。空になった袋がゴミ箱にあったり、調理をした鍋が残っていたり。
つまり、私以外の人物が袋ラーメンをストッカーから取り出して食べていたとすれば、これは密室で行われたトリックという受け取り方もありうる。
しかし、「俺が大切にしていたサッポロ一番を...サッポロ一番を食べたのは、誰だ!」と家族に尋ねるというのも格好が悪い。ダメな父親の典型例だな。
ラーメン以外にもプリンを食べたとか、アイスを食べたとか。
私の場合には、それ以上に、このトリックをどうやって解き明かせばよいのかについて興味があった。
一つのトリックとしては、自分の中に何かの理由があるという線だ。
ここまでの感覚過敏を抱えて生きてきて、あまりに苦しく感じるストレスを回避するために、私の中に別の人格が形成されているという仮説。
サイコサスペンス的でとても面白い。
もう一人の私の人格は、共働きの子育ての中で主人格である私と入れ替わり、辛く厳しい毎日を耐えているということか。
その間の出来事については、主人格である私が意識することはなくて、別人格の私が袋ラーメンのストックを次々に消費してしまうわけだ。
しかし、袋ラーメンを購入する時間帯は主人格である私が行動しているわけだから、それらをストックすることはできない。
また、私の意識の範囲内で袋ラーメンが消費されている痕跡に気付くことができない理由も、この仮説ならば矛盾がない。
なぜなら、家族に対して目立たないように袋ラーメンを食べている存在が私自身であるとすれば、家族にバレないように、つまり私自身も見つけられないように適切に処理していることだろう。
ただ、この仮説が本当ならば、これはこれで危ない。また、心療内科に行って、「すみません、最近、私の別の人格が袋ラーメンを食べていて....」と説明し始めたら、おそらくドクターが真剣な眼差しになってしまうことだろう。
職場で度々実施されるメンタルテストにはパスしているし、五十路近くまで生きてきて、主人格と別人格が同居していたということに袋ラーメンで気づくというパターンはあるのだろうか。
ほら、もっとサイコパス的とか中二的とか、そういったドラマのような展開の人格ならまだしも、袋ラーメンを内緒で食べている別人格という話はあまりに情けない。
ただ、自宅で共働きの子育てを続けていると、ストレスに耐えようとアルコールを入れ過ぎて記憶がなくなっていることはある。
つまり、主人格の私と、酔っ払いの私という二つの人格...なはずがない。それが続いていたら、明らかなアルコール依存症ではないか。
そうなると、やはり私以外の人物が、ストックしてある袋ラーメンを食べているという仮説が浮かび上がってくる。
調査の基本としては、最も関係のなさそうな人物から聞き込みを始めるのが鉄則だな。しかし、自宅の中で聞き込みを行うと、その中にラーメンを食べている人物がいる可能性が高い。慎重に行こう。
そういえば、以前、小学校低学年の下の子供から不思議な話を聞いたことを思い出した。
うちの妻は食にこだわりがあって、外食が嫌いで、自分で料理を作るという方針だ。
私が料理を作っても、いざ品数が少ないとか、炭水化物が多いとか、味付けが合わないとか、散々な批評を表情で示してくれる。なので、私は料理を作らないことにしている。
しかし、下の子供いわく、妻は子供たちに手料理を用意し続けているが、たまに妻本人だけでラーメンを食べていることがあると。しかも、朝に。
これは犯人に繋がる有力な情報だ。
なるほど、私が深夜残業を続けて帰宅すると、起床が遅くなる。
妻は早めに起きるので、その時間帯に袋ラーメンを食べて朝食の片づけを済ませてしまえば、完全犯罪が成立するな。法的には犯罪に該当しないが。
食べた分を補充してくれれば構わないのだが、妻は何かのストックを使い切った後、使い切ったこと自体を忘れることがよくある。
よくよく考えてみると、小学校が長期に休校になり、給食がなくなった。
妻としてはできるだけ安全な食事を子供たちに食べさせたいという方針を貫いていて、ほとんどの昼食を自分で作ってきた。
しかし、さすがに自分が作る料理の味に飽きてしまったようだ。
週に一回くらいは私が適当な料理を作ったり、総菜を買ってきて済ませたりもするのだが、妻的には、たまにインスタントなものが食べたくなるようだ。
とはいえ、妻がスーパーに並んで袋ラーメンを買っている姿というのは、勘違いされると寂し気に見えたりもするし、夫としてはあまり歓迎することができない気持ちもある。
あえて本人に確認をとるまでもないし、妻には世話になっている。
スピンバイクトレーニングが終わって、コンビニで冷たいものを買ってくるついでに袋ラーメンを買い、ストッカーに入れておこう。
再び妻がストッカーを開けて、「しめしめ、ここにあるじゃないか」とラーメンを食べてしまう光景が想像できてしまう。
きっと、妻は少しの後ろめたさを感じながらも、肉食恐竜のように無慈悲な表情でラーメンを食べてしまうことだろう。
そして、次の瞬間には食べたことさえ忘れて知らない顔をするわけだ。
もしかして、食にこだわりがあって真面目で融通が利かないという妻の姿は、私がそのように受け取っているだけで、実際はもっと天真爛漫な別人格がいるということか。
袋ラーメンが好きな。
これはこれでサイコパスの係数が高い話だが、きっと考えすぎだな。交際時や新婚時代から子育てに入ってトランスフォームし、さらに変化するのかと。
だが、このようなエピソードを録に記すことができるということは、私の気持ちも少しは余裕が生まれたということだろうか。