2020/05/09

映画の「トラック野郎」で和む

このご時世でペースを保って楽しく生活している人は少ないことだろう。心の中に鬱陶しく蓄積するモヤモヤした何かがある。ネット動画やゲームを楽しむ気にもなれず、スピンバイクに乗ることさえ面倒になってきた。つまり、何もする気が起きない。


行政が混乱し、マスコミが煽り、人々の心が荒れ、社会全体が苛立っている。

国内で大規模な自然災害が発生した時には、他の地域からの支援や励ましといった感動的なエピソードが生まれたりもするが、今回のパンデミックは全ての人たちが当事者だ。

この状況では、人と社会の本質がよく分かるな。

仕事を通じて知り合い、ずっと前から親交がある友人にむけて、久しぶりにメールを送ってみた。すると、案の定、ひどく消耗していることが一目で分かるメールが返ってきた。

その友人も、やはり人と社会の本質が見えたと語っていて、自分たちが守ろうとしてきた人たちは、一皮むけばこのような存在だったのかと落胆している様子だった。

それは私も感じていることで、仕事へのモチベーション、あるいは職業人としての矜持が大きく削られていることは否めない。

上から降ってくる指示に対して呆然とすることもある。一体、何を考えているのだと。

若い頃であれば、「おい、お前ら、どっち向いて仕事してんだよ!」と突っかかったかもしれないが、経験を積んでくると組織の課題は平時から分かっている。今さら指摘したところで変わらない。

ここまで歳をとってくると、上役たちも年齢が近くなってくる。色々と都合があるのだろう。

私のような老いた現場人に対しては、組織としても色々と気を遣ってくれるし、明らかにベクトルが間違った指示がやってくれば、自らの裁量の中で何とか対応するしかあるまい。

また、このフラストレーションがずっと続くわけでもない。落ち着いて考えてみれば、緊急事態宣言が解除された時、この社会は大きく動き出すことだろう。

それまでに溜まりに溜まった人々の不満や欲求は、老若男女問わず堰を切ったかのようにあふれ出すことだろう。

とはいえ、私にはそれが恐怖として感じない。あくまで個人的な印象だけれど。

職場での中ボスとの人間関係に苦しみ、中ボスがいなくなった後は、共働きの子育てでバーンアウトしかけて苦しみ、この5~6年はずっと調子を落とし続けていた。

途中から生きる気力さえ枯渇した当時の地獄と比べれば、今の混乱や苦労はあまり厳しくない。

一方で、当時の私のように絶望している人たちが現在の世の中にたくさんいて、これからも増え続けることだろう。

あらじめ考えておけば、また落ち着いて考えれば、苦しむ人が少なかったはずだが、この社会は平和な時期が長すぎた。

過去の地獄を経験した時に分かったことだが、苦境がやってきた時だからこそ、気づいたり、学んだりすることがたくさんある。

私としては、人や社会の本質を再確認することができたし、自らの仕事への矜持ばかりが大きくなり、うぬぼれに繋がっていたことも反省に値する。

家庭について言えば、普段の忙しい共働きの毎日の中で、子供たちとの時間が十分ではなかった。

これから子供たちが中学生になると、さらに親子の心の距離が広がることだろう。

二度と戻らない子供たちとの大切な時間が与えられた。

ずっと自宅に留まって親子ともにうんざりしているが、振り返ると貴重な思い出になるはずだ。

同時に、今回の災いは、これからの私の人生を歩む上で、また子供たちの将来の生き方を考える上で、何が重要なのかを知るための大きな機会になった。

社会が安定し続けるという前提でライフプランを立てるか、不安定になることを前提にそれを立てるか。

とはいえ、私は変化に強くないので、生活のペースが変わると酷く疲れる。この気だるさは深刻だな。

社会全体が苛立っている状況では、ネットがむしろストレス源になる。もう少しマスコミが頑張ってくれればよいのだが、別のベクトルで頑張ってしまっている。

ツイッター等のSNSでは膨大な数の人たちの感情が渦巻き、普段は相手にされないゴシップ誌のような情報まで広がっていたりもする。

このような時は、ロードバイクに乗って走り回ればストレスを消すことができるのだろうけれど、それすら難しい。

テレビは普段から見ないし、ネットニュースやSNSは疲れる。かといって、小説に没頭するような気持ちにもなれないし、なぜか普段から観たかった映画を観る気にもなれない。

何だろうな、この感覚。自らを社会から切り離したくなるような厭世的な気持ちというか。おそらく、現在の状況から逃避したくなっているのかもしれないな。

子供たちを連れて市内を散歩していたら、鉄鋼団地や千鳥の配送センターに向かうたくさんの大型車を見かけた。

市民の一人としては、煩わしく、危険だなと感じるトラックやトレーラーだが、彼らだってもちろん仕事のために物を運んでいるわけだし、普段と変わらない光景を眺めると気持ちが楽になる。

この気だるい社会の雰囲気も、あと少しの辛抱だ。

もはや元には戻らない流れがやってくるかもしれないし、これからも悲しみが続くかもしれないが、子供たちが成人する頃には落ち着く。

それはとても長い道のりのように感じるかもしれないが、振り返れば一瞬のことのように感じるはずだ。

浦安市内を走る大型車の中に、とても派手なカラーリングを施した一台のトラックを見かけた。昨今では企業名がペイントされた地味なトラックが多いのだが、このトラックはこだわりがあるな。

自宅に帰り、夜が来て、映像作品でも見ながら自家発電でもしようかなと思ったのだが、その気にもなれない。

久しぶりに妻と仲良くしようかなと寝室を見ると、子供たちが子犬のように妻の周りを取り囲んでいる。

ということで、スナック菓子とハイボールを用意してAmazonを眺めていたら、ふと、昔の邦画の「トラック野郎」を観たくなった。

そうか、すでに40年近く前の作品なのか。

とても昔の映像なので、ストーリーへの自らの投影が難しくも感じたが、しばらく見続けていると、子供の頃の記憶が思い出されてきた。

当時は娯楽が少なかったので、実父と一緒に街に行って映画を観る機会がよくあった。

ポップコーンとオレンジジュースを両手に持って、やたらと反発力の高い椅子を引き下げて、独特の雰囲気と匂いがする空間がとても楽しかった。

しかし、当時の映画のレパートリーは少なくて、実際に映画館に行って子供向けの作品が放映されているとは限らなかったりもした。

カンフー映画ならまだしも、子供にヤクザ映画なんて、親となった現在の私なら勘弁したいところだが、当時は色々と緩かったな。

そして、実父が大好きだった映画が「トラック野郎」で、この映画を観ている時は子供をそっちのけでストーリーに没頭していて、映画が終わった後も実父の機嫌が良かった。

どのようなきっかけなのか分からないが、トラック野郎のシリーズの中で、主人公が草履を持って怒っているシーンが頭の中に強く残っている。

しかし、このシリーズは10作品もあるので、どのタイトルだったのか全く記憶が残っていない。

そうなると、すぐにネット検索を始めてしまうのが現代人の癖なのだが、その作品にたどり着くまでシリーズの最初から観て行くことにした。

平成生まれの父親たちは時代背景が分からないだろうけれど、この映画がヒットしたのは、現在の団塊世代の付近、つまり70歳前後の高齢者が20代から30代の「若者」と呼ばれていた時期に該当する。

この映画は、彼らよりも年上の人たちにも受け入れられたはずだから、戦前と戦後の両方の世代が観ていたということか。

私は団塊世代の子供の世代、つまり団塊ジュニア世代なので、子供ながらにその時代を過ごした。

当時はネットもなく、携帯電話もなく、もちろんだがSNSもない。とにかく娯楽が少なかった。情報源といえば新聞かテレビ。

人気のテレビ番組を見逃すと、小学校で友達との話題に付いていけないとか、今ならば信じられない話だろう。

地方の田舎の場合には遊園地は遠く、映画館に行くとか、海水浴や釣りといった自然で遊ぶとか。

しかし、私自身が当時の若者たちよりも年上になり、いざ中年親父になって当時の若者たち、つまり現在のシニア世代を回想すると、たくさんのことに気が付く。

それは必ずしも上品あるいは知的なことばかりではなくて、とりわけ、男女関係についての前向きな姿勢が、現在と全然違うのだなと。

当時の若い男性たちは、一生懸命にお金を貯めたり、月賦という名前のローンを組んでまでマイカーを手に入れようとしたようだ。実父もそうだった。

自動車という存在が男のステータスや見栄を映し出すものであって、格好が良い車に乗って女性を誘い、ドライブに行って、恋愛や交際を始めるというスキームがあったらしい。

第一次ベビーブームで生まれた団塊世代において第二次ベビーブームが生じ、その勢いで生まれたのが私たちのような団塊ジュニア世代だ。

勤労人口の増大は国力を高める上でも大きな存在になりえたが、団塊ジュニア世代において第三次ベビーブームが訪れることはなかった。

結果として、日本は世代分布が偏り、先行きが暗い少子高齢化の時代に入ることになった。

では、私たちのような団塊ジュニア世代が悪かったのかというと、そうでもないと思う。

同世代の多い競争社会を生き抜いている途中でバブル崩壊による不景気の波が押し寄せて、生活のためには仕事を優先せざるをえない状況が多かった。

「トラック野郎」という映画が流行した時期は、団塊世代が青春真っ盛り、あるいは結婚して家庭を構えるステージに相当したことだろう。

団塊世代は結婚するタイミングが早くて、20代の半ばには伴侶と連れ添っていることが普通だったと思う。

おそらく当時の結婚のタイミングは、現在よりも5年、あるいはもっと早かったような気がする。いや、印象ではなくて実際にそうだったのだろう。

最近では、ネットを介した情報通信技術が発達して、様々な情報が頭の中に入ってくる時代になった。異性についての情報も例外ではなくて、さらには結婚や育児といった情報まで見渡しているような状況だろうか。

昔の若い男性たちの場合には、大事な部分がマスクされた、もしくは文章だけが高度化された印刷物を読んでイメージトレーニングを重ね、必要に応じてプロから実地のレクチャーを受けた後、あるいはそのレクチャーさえない状態でいきなりの男女関係の実戦だったわけだ。

しかも、男女の交際のすぐ後に結婚が待っていたり、状況によっては実戦の前に結婚式があるという形もあっただろうから、その潔さが格好良く見える。

もちろんだが、現在のシニア世代が若者だった頃、その世界がトラック野郎のように奔放で明るかったのかというとそうでもないはずだな。

たくさんの人たちが地道に働き、子供を育て、そのような生活の中での娯楽として、この映画がヒットしたのだと思う。

けれど、当時の恋愛観や結婚観は映画の中にもよく顕れている気がする。交際から結婚までの勢いが半端ないな。

最近の日本では「草食系」と呼ばれる男性が増え、その表現が一時の流行語では終わらずにパワーワードとして社会に定着していたりする。

当時は、男女ともに肉食系だった気がする。性についてもっと一直線というか。

もとい、子供の頃にこの映画を観た時には「なんだこりゃ?」と思ったけれど、中年親父になって再び観ると、時代が変わっても変わらない面白さがあるな。

トラック野郎のシリーズでは、主人公の「一番星の桃次郎」が、好みの女性に出会って一生懸命に頑張り、結局はフラれてしまうというパターンが多い。その姿は誠実でもあり、健気でもあり、心に響く。

しかも、ヒロインを連れて去ってしまう男性のタイプがアレで、男から見ても格好が良いとは思えない人たちばかりだ。

ところが、桃次郎が気付いていない設定になっているが、視聴者としては、彼がヒロインに出会う前、あるいはヒロインを追いかけることに夢中になっている段階で、結婚すれば幸せになれるであろう気立ての良い女性とすれ違っていたりする。

所帯持ちの親父たちが映画を観ると、「違う、桃次郎!そっちじゃない!」と感じるか、「いや、ここは耐えて前に進め!」と感じるか、自戒を込めて色々と思考することだろう。

しかしながら、結婚について真剣に取り組んでいる桃次郎だが、風俗店に自分宛ての郵便物が届くような生活を続けているわけで、このギャップも面白い。

トラック野郎シリーズでの冒頭のお色気シーンは定番になっている。

少年時代の私は、にやけるどころか真剣な眼差しでそのシーンを見つめている実父の横顔が不思議で仕方がなかったが、同じ父親で同じ子育てのステージに差し掛かって、ようやく彼の真意を察することができた。

とはいえ、お色気シーンといっても、情報が氾濫している現在と比べたらずっとマイルドだ。

昨今のネットで流れる動画の方がずっと露骨だが、昭和の映画に特有の匂い立つような女性の色気は現在でも通じる、いや、現在だからこそインパクトがあるかもしれない。

一方、男女が早い段階で結婚を考え、それが普通の社会だったからといって、結婚して子供を育てる上での苦労がないというわけではなくて、夫婦喧嘩なんてよくあったし、浮気話もよくあった。

桃次郎の相棒の「やもめのジョナサン」こと松下金造は、両親を失った養子も含めて9人の子持ちだけれど、肝っ玉母さんの妻と仲良く連れ添っている。

しかし、たまに浮気をしようとして未遂に終わったりもする。

桃次郎からその姿を叱られて、金造は、「毎日、毎日、カボチャばっかり食べてたら、メロンが食べたくなるだろ!」と逆切れするシーンには、思わず大笑いしてしまった。

妻をカボチャと表現することは適切ではないし、倫理的に考えて行動に移すか否かは別として、所帯持ちの男性ならば心の中に差し込む感情かもしれないな。

その感情に耐えることも父親の責任だし、メロンと表現してしまう気持ちも分かる。

つまり、桃次郎と金造は、男の理想や欲求において対比する形で描かれていたというわけか。子供の頃には全く分からなかったな。

また、このシリーズの中では、政治や行政に対する皮肉めいたメッセージを感じる。とりわけ、その矛先は警察に向かっている。

今でこそ警察は市民に対してフレンドリーになってきたが、以前はとても不遜で横柄な態度をとることが多かった。

それは警察に限らず、市役所等も同じ感じだったな。私が成人になった直後は、郵便局でさえ横柄だった。

現在のシニア世代の人たちは、行政の人たちに対して厳しい指摘をすることがあるようだが、行政とはそういものだという考えがあるのだろう。

トラック野郎のクライマックスは、水戸黄門とか西部警察でもよくあるように非常に分かりやすい展開になっていて、往々にして制限時間が設定された中で、桃次郎がトラックに乗って疾走し、警察とカーチェイスを演じるという展開になる。

コメディだと思って楽しんでいる分には問題がないと思うが、白バイを池や土手に吹き飛ばしたり、パトカーを横転させたりと、実際に警察庁からクレームが来たくらいの派手な演出だった。

それだけではない。桃次郎の相棒の金造は前職が警察官で、現役時代は生活に苦しんでいるトラック運転手たちを厳しく取り締まっていた。

当時はそれが普通だと信じていた金造だったが、実際にトラック運転手として生計を立てている中で、一般の人たちの辛さを察していなかったことにずっと苦しんでいた。

法という存在はもちろん大切で、行政とは法に基づいて行われるものだ。この映画のようにそれを無視して構わないわけではない。

ただ、行政は人々の都合や心情を察した上で取り組みがなされるべきで、心の通っていない行政は人々から理解が得られず、憤りや憎しみの対象になるという話だな。

トラック野郎のカーチェイスでは、桃次郎との派手な喧嘩で殴り合ったはずの運転手たちが、彼を助けるための盾になって守ろうとする展開も多い。

このような自己犠牲による仲間意識は、世知辛い世の中を渡る上でとても大きな価値があるのだが、実際の人生で巡り合うことはほとんどない。

だからこそ、映画でそのようなシーンを見つめて感動するのだろう。

しかしながら、何日かかけてトラック野郎シリーズを観ていたのだが、子供の頃に実父と映画館で観たシーンが登場してこない。

あれは何かの勘違いだったのだろうか。とうとう、このシリーズで最後の作品となる「故郷特急便」を見始めた。

それにしても凄い映画だな。私が気が付いた時にはすでに大御所になっていた俳優や女優が、もちろんだが駆け出しの若い姿で登場している。

梅宮辰夫さんが登場した時にはすぐに分かったが、黒沢年雄さんの若い頃が分からなくて驚いた。

夏目雅子さんは当時から凄まじい魅力を放っていたのだなとか、それにしても昭和の女優さんたちがあまりに美しい。

彼ら彼女らにも若い時期はあって、しかしその時期に気付かずに私自身が老いてきていた。過去を振り返らなかったら、私は気づくことさえなかったことだろう。

そして、ようやく、少年時代の記憶の底に漂っていたシーンが登場した。

森下愛子さんが演じる風美子の気を引こうと桃次郎が出来る限りのおめかしをして、けれど風美子には将来的に結婚を考えている男性がいた。

派手に落胆して投げやりになっている桃次郎が、奮発して買った草履を手に持って嘆いているというシーンだった。

とりわけ印象に残るシーンでもないし、私の記憶に残り続けた理由も分からない。

しかし、その瞬間、私の頭の中はくたびれた中年親父から、少年時代の頃に戻っていた。

実父はどのような気持ちで、幼い私を隣に座らせて、一緒に映画を眺めていたのだろう。

桃次郎のように気性が荒くて若かった実父は、今ではすっかり老人になってしまった。

私も遠くない将来に同じ人生のステージに差し掛かることだろう。

トラック野郎の全シリーズを観終わった後で、それぞれの作品に登場した俳優や女優の現在の姿をネットで眺めてみる。

菅原文太さんと愛川欽也さんがすでに逝去されていたことに、今になって気が付く。

他の役者さんたちも、若き日の面影とは大きく違う。

これだけの変化が生じるだけの時間を、私は生きてきたということか。私自身が老いを実感するのも無理がなく、それが自然なことなのだな。

しかし、昔の人たちが残してくれた映画を観ることで、しばらくの間だけれど昨今の目を覆いたくなる状況から逃避することができた。とても有り難いことだ。

頭の中にモヤモヤとした何かが蓄積した時には、それらから影響を受けない思考の状態に入ることが大切だな。