2020/05/04

ロードからクロス的な諦観

このご時世では、通販といっても巣ごもりに備えた実用品ばかりを買っていたわけだけれど、たまにはいいかなと思ってロードバイク用品をポチる。


届いたのはBBBの安いアルミステム。一時期は1万円くらいするステムをためらわずに買っていたこともあるのだから、今から考えると不思議な価値観の中にいたのだなと思う。

忙しい仕事と長時間の通勤、夫婦共働きの子育ての中でロードバイクに乗る機会が減り、運動不足を補おうとパワーマジックというスピンバイクを購入したわけだが、まさかその翌年にパンデミックがやってきて重宝するとは思ってもみなかった。

昨今ではZwiftを使って室内でトレーニングをする人たちが増えて、出力をデジタルで変換することができるスマートトレーナーが品薄になっているそうだ。

パワーマジックの場合にはワット数を計算して表示してくれはするが、いざZwiftをやろうと思えばパワーメーターを内蔵した特別なペダルを買うくらいしか方法がないことだろう。クランクも専用設計なので、ロードバイク用のクランクを使うことができない。

黙々とペダルを漕ぐことが好きな私にとっては、とりわけZwiftのような存在を必要としているわけでもないし、わざわざ他者と一緒にオンラインで走りたいという気持ちもない。

とはいえ、いくら室内トレーニングの機会の方が多い生活であっても、趣味の主軸はロードバイクだと考えていて、ロードバイクのポジションに合わせて、スピンバイクのポジションを決めていた。

しかしながら、途中からスピンバイクのトレーニングが主体となってしまい、できるだけ気持ちよくペダルを漕ぐことができるポジションを調整していったところ、ロードバイクと全く違うようなセッティングになってしまった。

ペダルを回した回数から算出すると、スピンバイクに乗って何千キロも走ったという計算になり、身体がその感覚を普通だと認識し始めたようだ。

たまに室内でロードバイクに跨ってみると、それまでは普通だったのだけれど、とても窮屈で無理な姿勢だなと感じるようになった。

実走の場合には、風圧を考えるとあまりアップライトな姿勢は辛くなるし、重心の移動もあるからなのか腰への負荷を減らすことができたりもする。

愛車のクロモリロードバイクのセッティングは、過去に2年間で2万kmくらい走って煮詰めたものなので、おそらくこれが私個人にとっては最適解なのだろう。

けれど、ロードバイクのカスタム欲というものは理屈を越えるところにあって、「あー、このステムを短くして逆向きに付けたら、スピンバイクと同じ感じだな。アップライトの姿勢で景色を眺めながらのんびり走りたいな」というアイデアを実現してみたくて仕方がなくなった。

ネット上では、外出自粛が解除され始めた後のサイクルライフについて想像しているロードバイク乗りが増えてきた。それはとても希望に充ちた考え方であって、素晴らしいことだと思う。

私の場合には、「そもそもロードバイクって、なんだろう?」という哲学的なところにまで思考が戻ってしまった感がある。

普段から感じていたことではあるけれど、実走が難しいという非日常的な状態だからこそ、落ち着いて考えることができたのかもしれないな。

すでにサイクリングという趣味を始めてから11年目。

カーボンロードバイクにDURAコンポといったロードバイクを組んだり、レースに出たり、サークルを立ち上げてみたり、頭に思いつくことは一通り経験してみた。自宅に何台ものロードバイクが並ぶこともあった。

マウンテンバイクやミニベロを試したこともあったし、合計で考えると大きな散財だったな。

そして、最終的に私の手元に残ったのは、室内トレーニング用のスピンバイクが1台と、実走用のクロモリロードバイクが1台。

ロードバイクサークルについても人間関係に疲れたので解散することにした。これからは一人で走ることだろう。

シンプルといえばシンプルだし、熱が冷めたといえば熱が冷めたし、けれど、このスタイルがずっと続くような気もする。

ロードバイクという趣味はとても不思議で、ソロで走っていても他者の存在を意識してしまうことがある。

そこまでのスペックが必要ないはずなのに軽量高剛性のカーボンフレームを買ってしまったり、DURA-ACEのコンポーネントを取り付けてしまったり。

それらは実際のニーズではなくて、本人の見栄や承認欲も関わってきたりもする。

私のようなオッサンたちの場合には、ロードバイクという趣味品において社会的ステータスというか、年収というか、そういった格好を付けたいという気持ちがなくはなかったり。

加えて、ただ自転車を漕ぐだけの話なのに、速いとか遅いとか、そういった要素を意識してしまったりもする。

腹が出た中年男性がピチピチのウェアを着て、高額な機材を買うことでお金を速度に変換し、子供が歩くような河川敷の遊歩道を疾走している姿を見かけたりすると、何だか居たたまれない気持ちなる。

さらには、趣味だから自由なわけだけれど、必死になってペダルを漕いで速さを誇示するようなショップチームのロードバイク乗りたち。

ヘルメットを付けずにロードバイクで疾走するような人たちについては、もはや言葉が出ない。

では、私はどうしてロードバイクに乗り始めて、これからどのようなロードバイク生活を送るのだろうかと素になって考えてみる。

そういった他者への意識を感じることなく、一人で適当に走り出して、様々な場所を訪れ、様々なことを感じ、考え、限られた残りの人生の時間を楽しむという形になっていくのだろうなと思う。

かつて一緒に走ったことがある懐かしい友人たちと再会することもあるだろうし、釣り竿を背負って出かけたり、どこかの温泉宿を予約して日帰りのサイクリングに出かけることもあることだろう。

現在の愛車のクロモリロードバイクは、元々は浦安から都内への自転車通勤のために購入したものだ。

都内の道路は浦安市内のように整っていなくて、深夜の突貫工事で生じた凹凸がたくさんあったり、縦方向に溝があったりする。軽量なロードバイクで走ると乗り上げてふら付いたり、夜間は路面の状態そのものが分かりにくくて転びそうになった。

さらに、通勤の途中で雨に降られたり、コンビニに地球ロックで駐輪したり、タクシーに幅寄せされて接触したりもするので、リーズナブルなモデルがいいかなと思った。

速さよりもタフさを求めて行ったら、現在のような状態になってしまい、実際に交通事故に遭っても耐えてくれた。これからも気を付けなければと思うのだが、縁起も良い。

それにしても、心配性の私の性格がロードバイクにも顕れているな。

スペアタイヤを取り付けたり、輪行袋を取り付けたり、プーリー等のスペアパーツ、応急処置用のメディカルキット、さらにはカーボンではなくてクロモリ製のフロントフォークに換装したりと、気が付けば10kgを軽く上回る重量級に仕上がっている。鍵はもちろんだがアブス。

手組のホイールを取り付けたら、さらに重くなった。

以前、友人に愛車を持ち上げてもらったら、「これ、ロードというか、クロスくらいの重さだよね」と苦笑いしていた。確かにそうだ。

このクロモリロードバイクは、軽量なクロスバイクよりもずっと重かったりする。ドロップハンドルが付いたクロスバイクだな。

もちろん私自身がそうだったので偉そうなことは言えないのだが、延々と走り続けていたら、いかにもなスタイルで走るロードバイク乗りたちの姿が、何だか滑稽に見える時が増えた。

いや、ロードバイク乗り的には私のスタイルの方が明らかにキワモノ的な存在ではあるのだけれど、この趣味に興味がない人たちから見れば、ピチピチの半ズボンを履いて自転車で疾走する人たちの方が異質に感じるのではないか。

本人たちは手足が長い欧米人のようなサイクリストの姿を想像しているのかもしれないが、実際には足が太くて短い日本人が以下略。

50万円とか100万円くらいする自転車に乗って、ライドの邪魔になるからと簡素なワイヤーキーで駐輪して、それでロードバイクが盗まれたので許せないと怒ったり。これって、どうなんだと。

布一枚で疾走して、転んで鎖骨が折れてプレートを入れましたとか、大腿骨を折って人工関節になりましたとか。それって、どうなんだと。

「ああ、今日はいい天気だな」と、お気に入りのロードバイクに乗って、好きなところに出かけて、リフレッシュして家庭に戻ってきたり、次に出かける日を楽しみにして仕事や子育てを続ける。

あまり遠くもない将来、仕事をリタイアしたり、子供たちが独立した時にも、変わらずサイクリングに出かける。

私にとってのロードバイクという趣味は、それくらいの存在であってほしいなと思う。

ただ、そのような考えだって、私が他者を意識していることに他ならないな。

とにかく他者を意識しないように、周りに迷惑をかけることなく、私自身が心地良ければそれでいいじゃないか。

本気になれば速く走ることができたりもするけれど、そこまで必死に走る必要もないし、落車に備えてプロテクターを付けたって構わないじゃないかと。

それと、子供たちの教育にはとてもお金がかかる。毎月の学習塾の料金として5万円とか10万円とか。夏期講習だけで一人あたり20万円とか。

中高一貫の私立学校に通うようになれば、公立学校では考えられないくらいの学費がかかることだろう。

加えて、私が子供たちに望むのは、偏差値の高い難関大学に合格することではなくて、国家資格や学位という生きるための道具を手に入れること。

少しくらい遠回りをしたって構わないから、できれば二つくらいの資格を取得しておくと、その後の人生がより安定したり、選択肢が増えると考えている。

それらの資格を取得するためには、大学を出た後で専門学校に通ったり、資格を取った後で大学院に通うという必要が生じるかもしれない。

家や車、趣味や服に金をかけても、時間が経てば意味がなくなる。子孫のために資産を残すことも大切かもしれないが、自分たちが努力することを忘れてしまったら意味がない。

ということで、夫婦ともに地味な生活を続けて、子供たちの教育に金をかけるというスタイルが始まっている。

昔みたいに、勢いで高額なホイールを買うこともないだろうな。

落車した際の怪我によって仕事を続けられなくなったり、命を失うようなことがあったら、子供たちの将来にも関わる。レースに出ることもないことだろう。

クロスバイクに乗って軽くサイクリングを楽しむ感じで、ロードバイクに乗ろうかなと思う。

ということで、先ほどのBBBのステムを箱から取り出す。うん、価格の割にはゴツくていいじゃないか。

短めのステムを逆向きに取り付けて、ハンドルの位置を手前に、そして高めにセッティングする。

なるほど、随分と首の負担が減って周りを見渡すことができそうだな。車道でも余裕で信号を見上げることができる。

このポジションで荒川や江戸川の河川敷の向い風に耐えられる気がしないし、レーサーたちから見るとダサいオッサンのロードバイク乗りかもしれないが、そもそもそのような場所を走らないので関係ないか。

感染症のパンデミックが小康状態になったら、ロードバイクに乗って、今まで我慢していた季節や風を感じながら走ろう。

よし、前向きな気持ちになってきたぞ....

と、ここまではガチのロードレーサーに無常を感じて、ポタリングに変更する典型的な中年サイクリストなのだけれど、少し気になることもある。

パワーマジックというスピンバイクは、一般的なエアロバイクのような健康器具ではなくて、ヒルクライマーやトライアスリートが実際に使うことがあるトレーニング機材だ。

継続は力とは言うが、この外出自粛の状況では、否が応でもトレーニングをせざるを得ない。

すると、最初は厳しいと感じていた負荷のレベルも楽になり、かなりのウェイトでゴリゴリとペダルを回すことができるようになってきた。

心拍数が上がっていないし、パワーマジックのマグネットがおかしくなったのかと思って足元を見たら、不思議なことに太腿やふくらはぎがどんどんと筋肉質になって、ヒルクライマーの脚というよりも、競輪選手のような脚になってきた。

どうやら、トレーニング方法を間違っていたらしい。

クロスバイクなみに重いロードバイクに乗ってポタリングを楽しむというオッサンのサイクリストとしては、どうも状況が違う。

長距離はどうなのか分からないが、軽量なカーボンロードバイクに乗って思いっきり踏み込んだら、大変な加速が出る気がする。

確か、ドラゴンボールの悟空が、もの凄く重い胴着を着て戦っていたりもしたわけだが、この場合には方向性が全く分からない。

私は、どのようなロードバイク乗りになってしまうのだろう。