2022/12/26

ツイッターの閲覧数の開示によって映し出された人の心理

米国の大富豪のイーロン・マスク氏がTwitter社を買収し、CEOとして様々なシステムを変更している。それらの変更に伴い、各ツイートの閲覧数が他者にも制限なく表示されるようになった。ツイッターに興味がない人にとっては何の意味もないかもしれないが、この変更によって私はようやくひとつの謎が解けた気がした。

私自身はツイッターのアカウントを有しておらず、このSNSは人の内面の沼だと理解した。ペルソナが剥がれた人々の本性が剥き出しになって投じられ、まさにカオスのような状態になっている。しかし、どうして一部の人々がツイッターにのめり込むのか、私には理解することが難しかった。

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2022/12/19

自分用の落とし穴を掘ってしまう思秋期の恐さ

華々しい学歴と職歴を積み重ね、第三者から眺めると間違いなく栄光の人生を歩んでいる中年男性が不思議なタイミングでレールから外れ、仕事や家庭が崩れることは珍しくない。

私もオッサンなのでオッサンと記すけれど、最近、凄まじい落差で天から地に落ちていく同世代のオッサンを見かけた。真面目に生きていれば輝かしい未来があったはずだが、過去の軌跡を含めて多くが吹き飛んだ。最悪な年越しだな。

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2022/12/11

ちょいと寂しい夜のうた

職場に出勤してメールボックスを開けると、同世代の同僚が亡くなったという知らせが届いていた。この歳になってくると、同僚の親が逝去したという連絡の場合には感情が動かない。しかし、年齢が変わらない同僚が亡くなるとさすがに気持ちに響く。今回で何人目だったか。

この職場は人の死と近いところにあるからなのか、部署を越えた人間関係が疎遠だからなのか、スタッフが亡くなってもとりわけ何の変化もなく、理由を詮索するどころか話題にもならない。1本のメールが配信されて、それでお終い。たぶん、自分が死んだ時も同じ感じなのだろう。

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2022/12/04

いつもの年末、いつか過ごした時

2022年が明けて春を感じ始めた頃から強い浮動性の目眩に苦しみ続け、年の瀬がやってきた。この一年のHYPSENTの録は、浦安住まいに起因する適応障害に耐えながらも、何か楽しく感じることがないかと足掻いているオッサンの闘病記のようになってしまっている。無様だ。

以前から新浦安の住環境や長時間の通勤でストレスを重ねていたところに、コロナ禍で抑制されていた人の往来が再活性化したことが、今回の不調の原因なのだろう。この状況下で仕事が捗らざるも停滞することなく維持することができたのは、五十路が近いベテランの経験論。といえば聞こえはいいが、言い換えれば人生の惰性や慣性のようなものだ。

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