2022/09/25

亀有付近まで心の領域を広げるサイクリング

私的にはとりわけディープな話ではないけれど、自分は大丈夫だと勘違いして崖の近くでハッピーに生活している人たちには煙たがられる話。誰だってその状況に陥る機会があるし、年老いて今際の時が近づけば間違いなくやってくる心境なのだから、別に忌み嫌う必要はないと思う。

うつ病などの精神疾患から寛解した人たちは、当時の病状を振り返って「ずっと続く暗いトンネルの中を歩いていた」とか「井戸の底に落ちて這い上がれなかった」と表現することがある。寛解せずに現在でも苦しんでいる人たちは、まさにそのイメージの中で辛うじて生きている。では、どうしてそのようなイメージが生まれるのか。

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2022/09/20

蛙の子が蛙のまま中学受験へ

上の子供の中学受験はまだ今年のことだったのかと、時間の流れがやけに遅く感じる。第一志望校に合格した上の子供は難関中学で深海魚になることもなく、かといってトップクラスのエリートたちと競り合うこともなく、中間層を自由に泳ぎながら毎日が楽しいと満足して学校に通っている。

中学校の宿題や小テストが多いからなのか、上の子供は親が勉強しろと言わなくても机で勉強している機会が増えた。しかし、我が家が現状に安堵するはずもなく、次は下の子供の中学受験の準備だ。とはいえ、上の子供のやり方が下の子供で通用するはずもなく、港から船出してすぐに座礁しているような感覚がある。

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2022/09/11

フクダ電子アリーナまで走った後で検見川の浜を眺める

頭を吹き飛ばされるように感じる強烈な浮動性の目眩は、前回の江戸川沿いのサイクリングで少しだけ緩和した。投薬等の治療を全く受けずに、自転車に乗ってひたすらペダルを回すだけで目眩が減るという現象は実に不思議なことだ。

今回のサイクリングは浦安から海沿いを走って千葉市を往復して帰ってくる市街地ルート。走り出しながら考えたことがある。古代の日本人は言葉に不思議な力が宿ると信じていて、それを「言霊」と表現していた。言霊は自分が欲した言葉を他者や自己が認識することによる感覚や思考へのループだと私なりには理解している。

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2022/09/08

分厚い雲の隙間から差し込んだ陽の光

8月中旬から生じた浮動性の目眩は、まるで頭部を吹き飛ばされるような感覚にまで発展し、生きる気力を確実に削り続けている。この浮動性の目眩の原因は、明らかに浦安住まいのストレスによるものだ。

息が詰まりそうなくらいに高い人口密度、妻と市内の義実家との共依存、短気で我の強い市民性、千葉都民の宿命である長時間の電車通勤。これらに加えて、夏休みに全国からこの街に押し寄せたディズニー客からのストレスが凄まじい。

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